上賀茂神社と下鴨神社を合わせて賀茂社と書くのが憚れるような両者の関係である。「続日本紀」延暦3年(784年)に「遣使修理賀茂下上二社」とあり、この頃までには二社に分かれていたのが知れるが、分立の時期、いきさつなどは分からない。平安期の朝廷は両社を差別してはいなかったようだが、延宝9年(1681年)に上賀茂神社が江戸幕府に提出した「賀茂註進雑記」には「社に詣る事も奉る幣物なども下社を先にせらるる例也伊勢の外宮より先にせらるるがごとしと云々」とあることから、上下二社の間には、本家はどちらかといった議論があったのではと邪推もできる。
1.上賀茂神社
初穂料を出せば、現在中門の中に入れる。直会殿を通り権殿の前に出る。手前には一間流造の杉尾社がある。西御供所は屋根の葺き替えであろうか、足場が組まれシートで覆われている。本殿は、全く権殿と同じと言うが、僅かに見えるにすぎない。権殿・本殿は檜皮葺流造であること、棟持柱がないこと、高欄に座玉がないこと以外は、神明造によく似ている。流造が神明造から派生したと見られても仕方のないことのように思われる。もっとも神殿の創建時期次第によっては、神明造と流造が同時発生ということも考えられないことはない。「鴨社造営記」(賀茂御祖神社編「下鴨神社と糺の森」による、原典は未見)によれば、天武天皇6年(677年)の造替遷宮より萱葺と板葺から檜皮葺に社殿を替えたというが。これをそのまま信じれば伊勢神宮正殿もその原型を考え直さなければならなくなる。
上賀茂神社の権殿・本殿の高縁には狛犬が置かれ、正面には影狛が描かれている。何時の頃からかは分からないが、下鴨神社には同じように狛犬が置かれているが、影狛はない。勿論伊勢神宮正殿にこのような装飾はない。この権殿・本殿は境内が次第に高くなっていく所に置かれているが、その昔の瑞垣で囲まれた祭祀場所、神域が維持されているのであろうか。この中門の内、或いは楼門の内は意外と狭い、或いは建てこんでいるといったほうがいいかも知れない。火事が多く、そのたびに本殿焼失していたのはそのためか。費用のかかる式年遷宮は必要なかったのではと思える。気になるのは権殿・本殿が南面せず、東に20度ほど振れていることである。祭祀者が神山を向く方向でもなく、御祖神社の方向ともズレている。この軸は「ならの小川」(御手洗川)を境にして変わる。細殿、土屋、楽屋、橋殿ー雨と陽射しを避けるだけの壁のない建物ーがそれである。行幸といえど橋殿までで「ならの小川」を越えることはなかったようだが、これらは本殿に向いているわけではなく、参拝のためだけであったのだろうか。「ならの小川」と二ノ鳥居に囲まれた白砂が敷かれた広場は、建物は江戸初期の建築だが、平安期のテントを固定した場所のようである。
楼門
橋殿 土屋 橋殿
外幣殿
(注)2011年9月撮影
ちょっと古い写真だが、1979年7月、勿論世界遺産に指定される前である。本殿の後ろの木々の背は今ほど高くなく、参拝者も少ない。まだ神話が身近に感じられる雰囲気があったのではなかろうか。荘園を失い、知行地を取り上げられ、且つ米軍に裏山を接収されてもなお守ったモノがあったようである。
楼門から中門を望む 新宮神社参道
(注)1979年7月撮影
2.下鴨神社
上下二社の相違点は先ずは摂社・末社に重複する社がないことであろうか。祭神は親子でありながら、取り囲む神々が異なるのである。単純に役割分担なのであろうか、或いは本質的に性格が違うのであろうか。またこのことが境内の諸堂舎の配置にも関係するのであろうか。現在の社殿は上下二社ともに江戸時代の建築であり、室町期に作成されたといわれている絵図と比べると、上社はその社殿の内容・配置に大きな相違はないが、下社は室町期にあって江戸期にはない、また江戸期になって新たに増加した建物がある(前出「下鴨神社と糺の森」から)。
上下二社で社殿の配置の大きな違いは、御手洗川の扱いにある。上社では御手洗川を境に祭祀と参拝が明確に分かれているが、下社は御手洗川を楼門の中に、社殿がほぼ南北に軸を持つのに合わせて南北に流れを引き入れ、対称性が意図されているようである。上社は祭祀に、下社は参拝に主眼が置かれているように思える。上下二社の参拝用建築はいずれも御所風であり、変な技巧もなく単純で洗練されている。
楼門から鳥居を望む 舞殿越しに神服殿 舞殿
摂社三井神社 東本殿
(注)1979年7月撮影
3.式年遷宮の費用
「古事類苑」に造替費用のことを記録した「京都御役所向大概」が載っている。上社が宝永七年(1710年)から翌正徳元年(1711年)にかけ、下社は正徳元年から翌二年にかけ諸堂舎を修理・造替した時の費用である。幕府は各社一万両余、そして二社合わせ神宝等の修補・新調に七千四百両の費用を支出している。時の権力者が援助しなければ式年遷宮は実施できない。式年遷宮が修理のみとなっていく所以である。