一葉一楽

寺社百景

泉涌寺 ー 南宋仏教の移植

2018-03-19 19:27:09 | 寺院
入宋僧俊芿が嘉禄元年(1225)重閣講堂を建立し明年春落成(「泉涌寺不可棄法師伝」)。これが教・律・禅三学兼学の泉涌寺の始まりである。南宋仏教の移植である。伽藍もまた「東山泉涌律寺図」(古伽藍図)にみられるように、南宋の様式を模し、山門・法堂・仏堂・舎利殿を一直線に配し、廻廊でそれらを繋ぐ。しかし、応仁二年(1468)に全焼し今に残らない。
現在の仏殿は寛文八年(1668)建立、大工頭中井正知であった。「古伽藍図」に載る法堂に相当するのであろうか、典型的な禅宗様の建築である。舎利殿は、中井正知が関わった慶長期内裏の建物を移築したと伝わる。屋根を裳階付きに変え、軸部は蔀戸に桟唐戸・火灯窓を付加。和様に禅宗様を付け替えている。「古伽藍図」の舎利殿も火頭窓らしきものが描かれている。蔀戸に火灯窓を添えた理由か。
しかし山門・法堂そして廻廊は再建されることなく、「親しく大宋の儀を模するは唯この一寺のみ」と誇った伽藍の再興はならなかった。律を中心に、共同体としてのまとまりを重んじ、廻廊で囲まれた空間は、既に必要ではなくなっていたということであろう。


  大門



    仏殿

 舎利殿

 経蔵   浴室

(注)2017年12月撮影
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