一葉一楽

寺社百景

宗像大社 ー 海上の参道

2024-06-01 21:06:18 | 神社
玄界灘に浮かぶ沖ノ島から南南東に48Kmで大島、さらに11Kmで古代入江をなしていた釣川河口に到る。「日本書紀」巻第一によれば、師杵島姫命を祀る遠瀛(オキツミヤ)、田心姫命の中遠(ナカツミヤ)、そして湍沖姫命の海濵(ヘツミヤ)となる。
辺津宮も、沖ノ島同様斎場のみであったようで、高宮にその斎場が復元されているが、場所は嘗てとは異なる。神郡として宗形郡が建置されたのは、大化の頃(649)、宗像社が造営されたのは、宝亀七年(776)と「宗像社造営代々流記」にある。天応元年(781)には田島辺津宮に宗像三女神が合祀された。
宗祇が大内政弘に招かれ宗像大社を訪れたのは文明十二年(1482)である。「筑紫道記」には「ところは深山の側に。地は平にして木立茂き中に御社あり。廻廊はいたう破れて。雨露もたまり難けれど。御殿は廃せる所なし。」とある。貞和年中(1345-50)足利直義再建の社殿であろうか。ただ宗祇は「人の代の末まで守れ千早ふる神のみおやのことはの道」と詠み、祈ることは「道の事」であった。
この神殿も自火で弘治三年(1557)焼失。現本殿は大宮司氏貞により、筥崎大工日高定吉で再建されたのは天正六年(1578)である。拝殿は遅れて天正十八年(1590)小早川隆景の再建である。



高宮

 拝殿







(注)2023年5月撮影
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