石口くんのエッセイを紹介しようとしたのに、
昨夜は突然のパソコンの不調
どうにもお手上げ・・・
や~~めた。楽観的に「明日になったらすっかり元に戻ってたりして・・」
と。ほんとにそうなってる
何だったんだろ・・。NTT回線とは関係ないだろうに・・。
川尻くんのお仕事でもあるフリーペーパー。
「つなぐ秋号」
今回のエッセイ担当は、6組の石口くん。
原子力規制庁伊方原子力規制事務所上席放射線防災専門官。
現在は、最後の任務として福島県南相馬市にある
原子力規制庁福島第一原子力規制事務所で奮闘中。
原発事故から十年、思いの深さは私たちにははかり知れません。
そして、放射線物質の濃度が高くて「帰還困難区域」に指定された地で
石口くんの出身中学と同じ名前の中学校と出会う。
もちろん、原発事故の影響で休校中ですが。
この偶然の出会いは、石口くんにとって複雑な心境。
そして、故郷愛媛宇和島津島へ帰ろうという決意を固めたようです。
来年の3月には、28期で「石口くんおかえりなさい会」を兼ねて
集合できることを、コロナ終息を願ってます。
秋号の目次
フリーペーパーつなぐは、 こちらで
で。私にもあります。
旅先で偶然、出身小学校と同じ名前の小学校に会う。
石口くんのような深い思いとかではない
体育の時間や、陸上、ポートボールの練習などは外運動場でした。
6年生の時の担任が、ソフトボールの時間に、外運動場から打って、中運動場までボールが飛んで行ったことがありましたよ
いやぁ 明倫小学校・・・遠い昔の母校(笑)、卒業したのは 昭和30 年・・・そこから隣の城南中学校へ、その後晴れて宇和島東高 と進み 今じゃ よれよれの後期高齢者(涙)(^^;)
当時は木造凹型校舎と 講堂が前にあり 二宮金次郎の銅像がありました。(';')
運動場は 凹型の中に在り そこで運動会などやっていましたね~・・・
神田川原沿いの大運動場は 確かあまり使用されていなかったかと??