コメント
Unknown
(
kazukakawamoto
)
2016-08-11 20:50:50
若い時、山陰方面へ旅した風景が懐かしいです。鳥取砂丘の砂の上歩いたり、馬の背にまたがったが、すぐに降りたこと思い出します。もう一度、訪ねたいなと思いますが、体力に自信ないです。
Unknown
(
Bianca
)
2016-08-11 21:13:56
kazukokawamotoさま
若いころはずいぶんあちこち旅行されたのですね。でもまだまだ諦めるには早すぎます。体調維持に努めればきっとまた行ける日が来ますよ。
でもね、世界遺産とかオリエント急行とかナスカの地上絵とか、マチュピチュなど、過酷な気候のところはテレビで見る方が楽しいという気もしますね。
Unknown
(
セレンディピティ
)
2016-08-14 00:59:11
こんばんは。
鹿児島に帰省されてから、あちこちご旅行されて戻られたのですね。
島根は私は若い頃に津和野に2回訪れたことがありますが(いずれも萩とセットで)
鳥取にはまだ一度も足を踏み入れたことがないのです。
いつか島根、鳥取とゆっくり旅してみたいです。
鳥取県知事さん、なかなかのやり手ですね。
すなば珈琲と、スターバックスの誘致?でも話題を集めましたが
先日は鳥取砂丘で是非ポケモンGOを、と宣伝していましたね。
Unknown
(
Bianca
)
2016-08-15 00:00:10
セレンディピティ様
ただの巨大な量の砂浜を、あそこまで観光資源として活用するのも逆転の発想の妙でしょうね。愉快な知事ですよね。山陰は年をとっても楽しめる土地ですので、いつかゆっくりといらしてください。その頃は、山陰新幹線もできて、もっと楽に来られるかもしれません。
Unknown
(
桃すけ
)
2016-09-01 17:05:37
鳥取に行かれたんですね。私の両親は鳥取県出身です。
母は鳥取の街中の人で、お茶は芸者さんと習っていたようで、その写真もありますが母が10代のころだから80年くらい前?わあっです。父は兵庫県の県境の山育ち。私が小学校1年から3年まで暮らしたことがあり、もうとても忘れられない良い思い出です。大阪弁の小さな女の子は村の子たちについていくのに必死でしたが、楽しかったなあ。はじめは慣れなくて、休憩時間は学校の図書室でひとりひっそりと本を読んでいました。本好きになった原点ですね。10年ほど前その学校が閉校になることを知らされて訪れたのが、鳥取行きの最後になりました。
Unknown
(
Bianca
)
2016-09-02 08:05:50
桃すけ様
若桜街道添いをバスで行くとき、小学校の桜の木に登った友達がさよならと手を振ってくれたという貴女の文は、同じく父親の故郷の田舎から都会に引き上げた経験のある私には懐かしく、文集のなかでも印象に残っています。その若桜街道には残念ながら短時日の中で行く暇がなかったし、上記の茶店や美術館は、10年前には、まだできて無かったかも知れませんね。それはともかく、鳥取はまるで松江とは違い、小さいはずなのに個性的な知事が続出しているだけに、自由闊達な空気を感じました。素敵な故郷?をお持ちだと思います。
Unknown
(
桃すけ
)
2016-09-02 17:00:39
わあ、ありがとうございます。私の文章よく覚えてくださっていてうれしいです。ほんとうに地味な県ですが、私が通っていた小学校は昭和26年(古いねえ)ころですが、実験校みたいなものになっていて、学芸会も個性的だったように思います。「そら豆の煮えるまで」とか「源頼朝」とかを演じていたんですよ。私は音楽劇で「白雪姫」の小人を演じました。母がみんなの衣装を縫っていたことも思い出しました。その「白雪姫」ですが、兄の同級生(女性)の息子さんが、今、劇団「鳥の劇場」を主宰されていて「白雪姫」を何度も上演されているそうで、不思議な縁を感じます。
個性的な知事のこと、ほんとうにそうですね。なんだかまた鳥取に行きたくなりました。
Unknown
(
Bianca
)
2016-09-03 05:12:36
桃すけ様
私は2年生で学芸会で「白雪姫」の継母を演じたことがあります。母のスカートを借りて、はまり役だと言われました。「そら豆の煮えるまで」は、創元社の世界少年少女文学全集、演劇編にあり、学級内で演じたような記憶も……。
こうしてみると私たち、やはり同時代ですねぇ。
Unknown
(
桃すけ
)
2016-09-03 19:24:26
あなたが演じた白雪姫の継母は、末の妹が演じました。絶対イヤと言っていましたが、私は、はまり役だと思いました。(笑)「そら豆の煮えるまで」は創元社の世界少年少女文学全集にあるなんて知りませんでした。上級生が演じたのですが、変な題と思ったので、私の長期記憶にしっかり記憶されています。兄の同級生の息子が劇団「鳥の劇場」の主宰者で、と言いましたが、兄の同級生というのは鳥取の田舎の学校のときの・・・です。鳥取は「白雪姫」が好きなんだなあと、思ったのですがそういうことでもありませなね。
Unknown
(
Bianca
)
2016-09-04 12:49:48
桃すけ様
あのころ、白雪姫がはやっていたのでしょうか。ディズニー映画のせいかも知れませんね。よく考えると、教育的な主題とも思えませんが。末の妹さんと言えば、私も末娘です。美貌自慢で弱い者いじめの継母とは、何の共通点も無いはずですが、性格女優的な面があるのかもと、よく解釈することにします。
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若いころはずいぶんあちこち旅行されたのですね。でもまだまだ諦めるには早すぎます。体調維持に努めればきっとまた行ける日が来ますよ。
でもね、世界遺産とかオリエント急行とかナスカの地上絵とか、マチュピチュなど、過酷な気候のところはテレビで見る方が楽しいという気もしますね。
鹿児島に帰省されてから、あちこちご旅行されて戻られたのですね。
島根は私は若い頃に津和野に2回訪れたことがありますが(いずれも萩とセットで)
鳥取にはまだ一度も足を踏み入れたことがないのです。
いつか島根、鳥取とゆっくり旅してみたいです。
鳥取県知事さん、なかなかのやり手ですね。
すなば珈琲と、スターバックスの誘致?でも話題を集めましたが
先日は鳥取砂丘で是非ポケモンGOを、と宣伝していましたね。
ただの巨大な量の砂浜を、あそこまで観光資源として活用するのも逆転の発想の妙でしょうね。愉快な知事ですよね。山陰は年をとっても楽しめる土地ですので、いつかゆっくりといらしてください。その頃は、山陰新幹線もできて、もっと楽に来られるかもしれません。
母は鳥取の街中の人で、お茶は芸者さんと習っていたようで、その写真もありますが母が10代のころだから80年くらい前?わあっです。父は兵庫県の県境の山育ち。私が小学校1年から3年まで暮らしたことがあり、もうとても忘れられない良い思い出です。大阪弁の小さな女の子は村の子たちについていくのに必死でしたが、楽しかったなあ。はじめは慣れなくて、休憩時間は学校の図書室でひとりひっそりと本を読んでいました。本好きになった原点ですね。10年ほど前その学校が閉校になることを知らされて訪れたのが、鳥取行きの最後になりました。
若桜街道添いをバスで行くとき、小学校の桜の木に登った友達がさよならと手を振ってくれたという貴女の文は、同じく父親の故郷の田舎から都会に引き上げた経験のある私には懐かしく、文集のなかでも印象に残っています。その若桜街道には残念ながら短時日の中で行く暇がなかったし、上記の茶店や美術館は、10年前には、まだできて無かったかも知れませんね。それはともかく、鳥取はまるで松江とは違い、小さいはずなのに個性的な知事が続出しているだけに、自由闊達な空気を感じました。素敵な故郷?をお持ちだと思います。
個性的な知事のこと、ほんとうにそうですね。なんだかまた鳥取に行きたくなりました。
私は2年生で学芸会で「白雪姫」の継母を演じたことがあります。母のスカートを借りて、はまり役だと言われました。「そら豆の煮えるまで」は、創元社の世界少年少女文学全集、演劇編にあり、学級内で演じたような記憶も……。
こうしてみると私たち、やはり同時代ですねぇ。
あのころ、白雪姫がはやっていたのでしょうか。ディズニー映画のせいかも知れませんね。よく考えると、教育的な主題とも思えませんが。末の妹さんと言えば、私も末娘です。美貌自慢で弱い者いじめの継母とは、何の共通点も無いはずですが、性格女優的な面があるのかもと、よく解釈することにします。