コメント
Unknown
(
桃すけ
)
2011-02-24 18:09:46
お母様は国語の先生だったんですね。どんな詩を書かれていたのでしょう。興味があります。あなたの文章とはまったく似ていないのですか?感性は似ると思うのですが・・。私の母も本好きでしたが、自分で何かを書くということはありませんでした。叔母(母の姉)は新聞に投稿したりしていたようで、国語の先生になりたかったようですよ。母も3姉妹でした。「雨の日にお香を焚きながら本を読むのが好き」というような人ですが、父と結婚してそのような優雅な生活とは縁がなくなってしまいました。それにしても、どや顔とは笑ってしまいます。可愛いではないですか。
Unknown
(
Bianca
)
2011-02-26 10:20:03
桃すけ様、コメント有難うございます。
自分では認めたくないのですが、似た所が可也あるような気がします。同じ年頃に同じ本を読んでいるし、知的には近いかもしれません。彼女の歌は大胆でバッサリ型。父は線が細くて女性的。師匠の土屋文明には、母の方が覚えが良く、歌会に父だけが行くと「奥さんは?」と聞かれたとか。私は父の歌が好きですが、似たもの同士の反撥もあるのかも。締切日の前になると父は苦悶しますが、母はサッサと仕上げていました。共通の話題は短歌のこと。貧乏でも病気でも、短歌は出来ますが、やはり人的環境が大きいかな。
Unknown
(
桃すけ
)
2011-02-26 13:31:23
ビアンカさんには、そのような文学的?土壌があったのですね。お父様とお母様が歌作りをなさってるなんて、わが家では考えられないことです。察するに、お母様の歌は個性的で魅力的のような気がします。私の母が書いた文章、手紙類も含めて何もないので、どのような文章を書く人なのかわかりません。叔母からの手紙は残っている(当たり前ですね)のに。父はかなり達筆で、絵も描くという人で、手紙は毛筆で候文だったようですよ。当然これも私は目にしていません。従姉妹の家にはあったそうですが、処分して手元にはないそうです。残念です。私は母の家系に似て、まったく字はダメです。いいところは似ないなあと嘆いています。
Unknown
(
Bianca
)
2011-02-27 07:26:16
母の短歌、私のことも2,3作っていますが、思い出すたびにムカッとします。子どもにとっては親は愛情を日々何くれとなく注いでくれればいいので、その外は余計、むしろ邪魔だと思います。歌は「悲しき玩具」であると石川啄木が言っていますが玩具に夢中になっている親というのも考え物です。
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自分では認めたくないのですが、似た所が可也あるような気がします。同じ年頃に同じ本を読んでいるし、知的には近いかもしれません。彼女の歌は大胆でバッサリ型。父は線が細くて女性的。師匠の土屋文明には、母の方が覚えが良く、歌会に父だけが行くと「奥さんは?」と聞かれたとか。私は父の歌が好きですが、似たもの同士の反撥もあるのかも。締切日の前になると父は苦悶しますが、母はサッサと仕上げていました。共通の話題は短歌のこと。貧乏でも病気でも、短歌は出来ますが、やはり人的環境が大きいかな。