コメント
アラブの友
(
戸張 昇
)
2012-08-25 15:01:41
しづのをだまき様
1年半近くたって本文を読ませてもらってコメントするのは恐縮ですが、私より数年先輩と拝察されるいづのをだまき様との共感できるところを発見したので止むに止まれずコメントする次第です。
昨日辻邦生の「時の扉」をコメントしましたが、私がダマスカスに駐在している1991-2年頃にT.E.LAWRENCE部隊が爆破に失敗したTELL AL-SHAHABの鉄橋を訪れ写真も撮ってあります。1900-01年にフランスの製鉄所が製作した鉄製の枕木(というよりかまぼこ型の鉄板)とレールの上を歩いたことを思い出しています。
私がアラビア語を勉強しようと思った動機も正しく渡辺照宏著の「外国語の学び方」を呼んで国連(ユネスコ)で使用されている6ヶ国語の1つであると知ったことからでした。今でも「アラビアのロレンス」には特別の愛着を持っています。
Unknown
(
Unknown
)
2012-08-26 09:09:56
戸張昇さま
どう致しまして、旧い記事へのコメント歓迎です。
その本を読んだという人は初めてです、奇遇ですね。
私がシリアにいたのは77-79年のことです。僻地でしたが、協力隊の規則で自家用車は持てず、もっぱら移動は乗合いタクシー(セルヴィス)。いちどだけ、国境を越えてバスでアンマンにだけは行ったことがあります。
ロレンスと言えば、行ってみたいのは彼の受難の地、デラア(本当はダルーア?)です。昨今よくニュースで見ますが、何の変哲もない町(映画でもそうでしたが)みたいですね。
Unknown
(
戸張 昇
)
2012-08-27 15:36:34
Unkownさん
渡辺昭宏の「外国語の学び方」を読んだという人は私が勤めていた職場仲間に一人いました。社内でも奇遇感を持ちました。
デラア(ダルアー/Dar'aa)はヨルダンとの国境の町ですが、確かに変哲もない町といえば特に遺跡などもない普通の町という印象でした。町の東にピクニックに行くような湖(池?)、町の西に10KM程行けば TELL AL-SHAHABの鉄橋(ヤルムーク川に架かっている)に行きます。毎月ヨルダンのアンマンに出張しましたが、ヨルダンから帰る時に国境を越えてダルアーの町に入ると、ヨルダンと比べてダルアーの町が薄汚れて見えてシリアの貧しさを感じました。1989-90のダマスカスでも昼過ぎには停電、断水で、風呂に入ったことはなく、小さなウォーターヒーターの冷水をシャワーとして浴びる程度でした。91-92は新しく出来たビルに引越し出来て、自家用発電機が備わっていたので停電や断水の悩みからは開放されましたが。
Unknown
(
Bianca
)
2012-08-28 18:59:16
戸張 昇さま
続けてコメント有難うございます。
そうでしたか、ダマスでさえ自家用発電機を使っていらしたとは、電力不足は国中に及んでいたのですね。あの国境の町がデラアだとすると、アンマンに行く時に通ったのかしら、私は国境通過するとき緊張のあまり体調を壊すので、気づかなかったかも。アンマンではマーゴ・ヘミングウェイの映画「リップスティック」を見て、紅い内装の「マトアム・シーニー」に毎日通いました(シリアには中華がないので)。
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1年半近くたって本文を読ませてもらってコメントするのは恐縮ですが、私より数年先輩と拝察されるいづのをだまき様との共感できるところを発見したので止むに止まれずコメントする次第です。
昨日辻邦生の「時の扉」をコメントしましたが、私がダマスカスに駐在している1991-2年頃にT.E.LAWRENCE部隊が爆破に失敗したTELL AL-SHAHABの鉄橋を訪れ写真も撮ってあります。1900-01年にフランスの製鉄所が製作した鉄製の枕木(というよりかまぼこ型の鉄板)とレールの上を歩いたことを思い出しています。
私がアラビア語を勉強しようと思った動機も正しく渡辺照宏著の「外国語の学び方」を呼んで国連(ユネスコ)で使用されている6ヶ国語の1つであると知ったことからでした。今でも「アラビアのロレンス」には特別の愛着を持っています。
どう致しまして、旧い記事へのコメント歓迎です。
その本を読んだという人は初めてです、奇遇ですね。
私がシリアにいたのは77-79年のことです。僻地でしたが、協力隊の規則で自家用車は持てず、もっぱら移動は乗合いタクシー(セルヴィス)。いちどだけ、国境を越えてバスでアンマンにだけは行ったことがあります。
ロレンスと言えば、行ってみたいのは彼の受難の地、デラア(本当はダルーア?)です。昨今よくニュースで見ますが、何の変哲もない町(映画でもそうでしたが)みたいですね。
渡辺昭宏の「外国語の学び方」を読んだという人は私が勤めていた職場仲間に一人いました。社内でも奇遇感を持ちました。
デラア(ダルアー/Dar'aa)はヨルダンとの国境の町ですが、確かに変哲もない町といえば特に遺跡などもない普通の町という印象でした。町の東にピクニックに行くような湖(池?)、町の西に10KM程行けば TELL AL-SHAHABの鉄橋(ヤルムーク川に架かっている)に行きます。毎月ヨルダンのアンマンに出張しましたが、ヨルダンから帰る時に国境を越えてダルアーの町に入ると、ヨルダンと比べてダルアーの町が薄汚れて見えてシリアの貧しさを感じました。1989-90のダマスカスでも昼過ぎには停電、断水で、風呂に入ったことはなく、小さなウォーターヒーターの冷水をシャワーとして浴びる程度でした。91-92は新しく出来たビルに引越し出来て、自家用発電機が備わっていたので停電や断水の悩みからは開放されましたが。
続けてコメント有難うございます。
そうでしたか、ダマスでさえ自家用発電機を使っていらしたとは、電力不足は国中に及んでいたのですね。あの国境の町がデラアだとすると、アンマンに行く時に通ったのかしら、私は国境通過するとき緊張のあまり体調を壊すので、気づかなかったかも。アンマンではマーゴ・ヘミングウェイの映画「リップスティック」を見て、紅い内装の「マトアム・シーニー」に毎日通いました(シリアには中華がないので)。