コメント
アラブの友
(
Unknown
)
2013-09-03 10:13:25
しずのをだまき様
ブログ再開をお祝いします。島根県の豪雨など心配していました。
私事ですが、9/1-2に東京の大学のアラビア語クラス会を新潟県越後湯沢で開き、旧友に「しずのをだまき」さんのブログにコメントしたのを見せてきたところです。また、昨日は横浜に帰宅直後に、実家のある埼玉県越谷市が竜巻に襲われたと報道され、びっくりしましたが、幸い実家及び二人の弟の家は2-3KM離れていて無事でした。
私はイスラム教に対比する形でキリスト教、仏教に20代のころ興味を持ち、中村元先生の本もよく読みました。いつか「中村元記念館」を訪れる機会があれば良いなと思います。「セイント・おにいさん」も図書館にあれば読みたいと思います。
Unknown
(
Bianca
)
2013-09-03 20:07:14
「アラブの友」さま
コメント有難うございます。あれからこのブログを忘れず、同窓会で披露までしてくださったとは、嬉しい限りです。山陰にお出での際、もし状況が許せば、不便な場所ですが、記念館を訪問し、ついでに、「聖★おにいさん」にも会ってやってください。ところでシリア空爆についての米国の下院はの決議はどうなるでしょう?当時も生活の端々になんとなく感じてはいましたが随分あやうい中で過ごしていたんだなあと思いますね。
アラブの友
(
Unknown
)
2013-09-04 18:33:50
Bianca様
「しづのをだまき」さんの名前表記を間違えてごめんなさい。
さて、シリア空爆ですが、化学兵器を使ったものを許しておくことは出来ないと、米国大統領が言った以上、残念ながら空爆が実施されるのではないかと思います。米国議会も最後は承認するのではないでしょうか。
2000年に父ハ-フェズ・アサドが死亡した時に、ハマー、ホムスあたりから反シーア(アラウィー派)政府への狼煙が上がるかと思っていましたが、シリアのスンニー・アラブ人だけでは勝ち目が無いと判断したのか、それとも抑圧されても日常の平和の方が良いと判断したのか、憲法を改正してでも34才の若者に権力継承を認めてしまいました。この政治形態は北朝鮮と同じです。(シリア人はもっと賢いと思っていたのですが、私同様、自分の命を懸けてでも政治を変えようという勇気を持った人はいなかったということでしょう)。シリアを含めてアラブ世界が今後どうなっていくのか全く予測がつきません。
Unknown
(
Bianca
)
2013-09-05 11:31:39
アラブの友さま
私の所属していた協力隊は2国政府の取り決めで派遣されていたので、働く場も生活の場も政権に近い人間に囲まれており、むしろシリアでは少数派であるアラウィ派に親しみを覚えていました。スカーフやベールに覆われる女性の多いハマやアレッポの抑圧的な雰囲気よりも、近代的な明るさのあるダマスや地中海沿岸の町のほうを好んでいたのです。また、パンや野菜果物、乳製品など基本的な生活物資は安くて豊富だし、教育は無料だし、先進国並みの自由や国内の出世を望まなければ生活に困難はないし、それでこうも政権が続いたのではと思います。
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ブログ再開をお祝いします。島根県の豪雨など心配していました。
私事ですが、9/1-2に東京の大学のアラビア語クラス会を新潟県越後湯沢で開き、旧友に「しずのをだまき」さんのブログにコメントしたのを見せてきたところです。また、昨日は横浜に帰宅直後に、実家のある埼玉県越谷市が竜巻に襲われたと報道され、びっくりしましたが、幸い実家及び二人の弟の家は2-3KM離れていて無事でした。
私はイスラム教に対比する形でキリスト教、仏教に20代のころ興味を持ち、中村元先生の本もよく読みました。いつか「中村元記念館」を訪れる機会があれば良いなと思います。「セイント・おにいさん」も図書館にあれば読みたいと思います。
コメント有難うございます。あれからこのブログを忘れず、同窓会で披露までしてくださったとは、嬉しい限りです。山陰にお出での際、もし状況が許せば、不便な場所ですが、記念館を訪問し、ついでに、「聖★おにいさん」にも会ってやってください。ところでシリア空爆についての米国の下院はの決議はどうなるでしょう?当時も生活の端々になんとなく感じてはいましたが随分あやうい中で過ごしていたんだなあと思いますね。
「しづのをだまき」さんの名前表記を間違えてごめんなさい。
さて、シリア空爆ですが、化学兵器を使ったものを許しておくことは出来ないと、米国大統領が言った以上、残念ながら空爆が実施されるのではないかと思います。米国議会も最後は承認するのではないでしょうか。
2000年に父ハ-フェズ・アサドが死亡した時に、ハマー、ホムスあたりから反シーア(アラウィー派)政府への狼煙が上がるかと思っていましたが、シリアのスンニー・アラブ人だけでは勝ち目が無いと判断したのか、それとも抑圧されても日常の平和の方が良いと判断したのか、憲法を改正してでも34才の若者に権力継承を認めてしまいました。この政治形態は北朝鮮と同じです。(シリア人はもっと賢いと思っていたのですが、私同様、自分の命を懸けてでも政治を変えようという勇気を持った人はいなかったということでしょう)。シリアを含めてアラブ世界が今後どうなっていくのか全く予測がつきません。
私の所属していた協力隊は2国政府の取り決めで派遣されていたので、働く場も生活の場も政権に近い人間に囲まれており、むしろシリアでは少数派であるアラウィ派に親しみを覚えていました。スカーフやベールに覆われる女性の多いハマやアレッポの抑圧的な雰囲気よりも、近代的な明るさのあるダマスや地中海沿岸の町のほうを好んでいたのです。また、パンや野菜果物、乳製品など基本的な生活物資は安くて豊富だし、教育は無料だし、先進国並みの自由や国内の出世を望まなければ生活に困難はないし、それでこうも政権が続いたのではと思います。