映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
ある教育実習生
「清須会議」で思い出したが、私が高校1年か2年の時、ひとりの教育実習生がやってきた。
★彼が紹介され、全校生徒の前で挨拶をした時、やせて小柄で、尖った顔をして、一見風采があがらなかったが、喋りだすと、演壇に両腕を支え、学生運動家の演説の風に難解な用語を並べてまくしたて、のどかな地方都市の教師も生徒もただもう、唖然・茫然としたものだ。六十年安保闘争からあまり時間が経っていないころだった。
しかし何をやらかすかというみなの危惧をよそに、仕事にかかると熱心でまじめだった。
★彼は日本史を担当したが、こんな試験問題を出した。わら半紙にガリ刷りの……。
「豊臣秀吉はずっと神になりたいと思っていたが、死んでから本当に『豊国大明神』という神になった。彼を祭った神社の名前をかけ」というものだった。(答は「豊国神社」)
これは知識をもとめる問題というよりは、それ自体が物を考えさせる問題である。正規の日本史の先生は無表情で、一本調子で古代の土器や古文書などを細かく説明するだけで、授業はいつも眠気をこらえるのに精いっぱい、このような目の覚めるような試験など望むべくもなかった。
★授業中「女は人間じゃないですよ。女類だね。いま世界で一番頭のいい女性はボーヴォワールだと思うが、その彼女にしてからがサルトルの説を信奉しているのだから」
私は「女類」という言葉を初めて聞いたので、あっけにとられ怒りも覚えなかった。むしろ、かれのような女嫌いでも認めるくらいすぐれた女性がボーヴォワールだということだけを銘記し、ひとりで彼女とサルトルの本を読み始めた。古本屋で「第二の性」第3巻を見つけたし、家に新潮社の現代世界文学全集「他人の血」があった。
同じ巻にあったサルトルの「嘔吐」も読んでみたが、肌触りがごわごわで、ボーヴォワールの方に親しみを覚えた。
★私たちの使っていた日本史教科書の著者・坂本太郎氏の名前を見ると、(彼の主任教授だったのではと思うが)「ああ、太郎ちゃんね」と笑いながら言い「この教科書は必要なことが書いて無くて、不必要なことばかりが書いてある」と言った。
彼がいた期間は、一か月足らずだと思う。しかし彼の鋭くとがった批判の数々は若さそのものの象徴のように思い出される。「ボーヴォワール」はあれ以来ずっと私の中に住んでいるが、彼女を初めて教えてくれたのが、いまは名前も憶えていない、偏見に満ちた鹿児島男子だった事に、教育というものの不思議を感じるのである。
●ボーヴォワール
「ビアンカ・ランブラン」9-4-18
「美しいひと」 10-8-1
「愛という名の孤独」 11-12-8
「写真集 40年前の東京」12-1-9
「サルトルとボーヴォワール」12-11-18
「ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代」21-1-31
●サルトル
「フロイト」9-10-20
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コメント有難うございます。女子校だから、貴女はしっかりしているんですね。共学だと女子は少数派で、自分から遠慮したり、重要な役は男子が独占するとかでした。鹿児島だからとりわけそう。今の時代はどうか解らないけれど。教育実習は基本的に卒業した学校で行うように定められているようです。でも、それなら素敵なお姉さまみたい人は来ませんでしたか?読書はタイミングですね。大体、活字が小さくて読む気がしないでしょ?
「お姉さまみたいな人」が来なかったとは残念ですね。私の話をしますと、中学生の時、短大生だから20歳位かな、美人で優しい教生が来て、女生徒に慕われ、放課後も残って話をしたり、別れた後も文通したりというエピソードがありました。名前も覚えていますが、「花物語」に出てくるShさんと同じなんですよ。いまは思い出すのも恥ずかしいですが、20歳と13歳という、感じやすい年頃だったのでしょうね。