今朝の朝日新聞のコラムで親鸞について『親鸞の生き方を見れば、挑戦すること、それが信仰だと思います。』と俳優の三國連太郎さんが言っている。今まで信仰と言うものをそういった解釈で考えた事がない私にはとても新鮮なコメントである。ただ、自己探求などの作業を続けて行くと最終的には宗教的な色合いが濃くなって行くという話は時々耳にする。エサレンの有名なゲシュタルトファシリテーターに関しても年々宗教色が強くなってきていると言う評判だ。やる事をやれるだけやったら後は祈り(念仏)、逆説ではあるが『努力しつつ任せる』しかないような気がしている。『努力』も挑戦の一つなのかもしれない。