カメラに入っていた写真を取り出すと、生前のウルタ君の写真がありました。
飼主はいつも彼の姿よりも彼の顔ばかり撮っていましたが、最後までウルタ
君の写真は顔の写真でした。顏でも目ばかり写していて、耳まで入っていない
写真がほとんどです。
あれから
ブログにアップした昔のウルタ君の膨大な数の写真をつい、見てしまいます。
すると、ウルタ君が三歳になった日の記事に、飼主の三つの夢が書いてありました。
上の二つの夢は叶いました。
ウルタ君は二度ほど飼主と一緒に眠ってくれました。
今年になってから、ウルタ君もようやくお客さんの事を歓迎して
くれるようになりました。
コロナウィルスの抗体価も激減して、これからいよいよシニアのウルタ君
の充実した毎日の報告ができると思っていたのですが、三つ目は叶いませんでした。
11月21日の当日から二週間ほど、「ウルタ君がいない」と思って、日に何度も
パニックを起しそうになるので、精神のために「ウルタ君はずっとここにいるのだ」と
思う事にしました。
写真を見て、ウルタ君の話をしているだけで落着くのですが、夢には何度も冷たくなっている
ウルタ君を抱き上げた時の事が出てきます。苦難に遭った時、それを受け入れろと言い、受け入れる
必要があるのかと問います。過去にしなければ未来は無いというが、忘却と過ぎた事実はもちろん
違うし、なんといっても飼主には現在なので忘却は論外で、過ぎた事実になる可能性もない。
「生き続ける過去」だけが妥協できる受け入れ方ではないか。
となれば、ウルタ君は確かに去ってしまったけれども、約束はずっと守られていて
彼と飼主とは「ずっといっしょ」なのです。
聖職者に対するいろんな批判もありますが、こうしたときにそばにいてくれて、断固として
正しい道を示してくれる僧侶や神官や神父はありがたいものなのです。聖職者でなくても人生
で必ず起きてしまう悲嘆に際して、傍でしっかり道を語り続けてくれる人がいれば尊いのです。
めったにいないのですが。
なにもしないでいると、人は勝手に「冥界下り」を始めてしまいます。
ウトナピシュティム、イシュタル、オルフェウス、デーメテール、イザナギ、フンアフプー。
無数の神話が「危険だから止めろ」と警告しているのに、同じ事を繰り返すのです。
今朝もウルタ君に香を手向けて、写真を見詰めました。
ウルタ君のことだけ思っている時間がまだ飼主には必要です。
コメント一覧
飼主
まいこ
こまいぬ
まりま~
最新の画像もっと見る
最近の「うるがいた日々」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事