京都大学入試試験中のカンニング問題で、仙台の予備校生が逮捕される騒ぎになった。しかし、一方で「周りが騒ぎすぎ」とか、「試験監督こそ問題」という意見が相次いでいる。
確かに、たかがカンニングくらいでマスコミが騒ぎすぎもあるだろうし、試験監督の職務怠慢が今回の事件を引き起こしたとも言える。試験監督がしっかり監督して、本人に注意して携帯電話を取り上げるなどの処置をすれば、公にまで発展はしなかっただろう。これは大いに反省すべきところである。
しかし、「たかがカンニング」とは言うが、「されどカンニング」なのである。今回の事件は、張本人が初めから正々堂々と試験に向かっていれば、起らなかった問題で、あくまでも悪いのは、カンニングをした本人なのである。悪いことは、たとえそれが小さいことであれ、大きいことであれ、悪いことなのである。周りのせいでこうなった、と非難するのは、それは自分の起こした不始末を他人のせいにするのと同じである。それを頭にいれて、主張してもらいたいものである。
確かに、たかがカンニングくらいでマスコミが騒ぎすぎもあるだろうし、試験監督の職務怠慢が今回の事件を引き起こしたとも言える。試験監督がしっかり監督して、本人に注意して携帯電話を取り上げるなどの処置をすれば、公にまで発展はしなかっただろう。これは大いに反省すべきところである。
しかし、「たかがカンニング」とは言うが、「されどカンニング」なのである。今回の事件は、張本人が初めから正々堂々と試験に向かっていれば、起らなかった問題で、あくまでも悪いのは、カンニングをした本人なのである。悪いことは、たとえそれが小さいことであれ、大きいことであれ、悪いことなのである。周りのせいでこうなった、と非難するのは、それは自分の起こした不始末を他人のせいにするのと同じである。それを頭にいれて、主張してもらいたいものである。