ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

181130 嗚呼壮烈の岩屋城址に九博、朝日のコラボ写真を撮りにいったが!!

2018年11月30日 | ボランティア

 九博ボランティアで季刊誌の編集に関与しているが正月発刊号の表紙に九博の建物と日の出のコラボ写真を使いたい、ということで撮ってみましょうかと軽く引き受けたのだが、いざ実際に早朝検分してみると森の樹々に邪魔されて真っ赤な日の出を入れるのは不可能と悟る。ヘリかドローンでも使わないと無理じゃないかと・・。

近場の山から撮れないかということで岩屋城址を思い出し行ってみることにした。西鉄太宰府駅近くの浦之城橋から四王寺林道をとおって登り口に向かわんとしたがなんと途中の大願寺あたりから通行止め、先の大雨被害で道路が崩落したとか。観光課に問い合わせると観世音寺から市民の森をへて九州自然歩道を利用して行けるという。ずっと前に展望所は行った記憶があるが市民の森通過コースは未体験。

ということで天気も晴れ予想で5時起床、体調もまあまあだったので6時出発。しかし外は真っ暗だし朝は冷える。ともかく市民公園入口の案内表示を車のライトで探索。確認してから観世音寺の駐車場に車をおき、リュックを担いで6時40分出発。日の出は7時だから7時半につければ日の出と遭遇できるだろうと軽く考えていた。表示板をみながら市民公園へ。

 途中出会った朝散歩のおじさんに岩屋城址までの時間を聞く。あのてっぺんだからと指さして30分もあれば行けるよ・・・7時20分、女性二人組と遭遇、あと5分くらいですよ。ほんとかね。7時半、林の先から真っ赤な太陽、焦る!

やっと岩屋城址の表示板。

ラストスパート。

通行止めになっている林道にでる。

丁度、岩屋城址のぼり口部分だけ通れるようにしてある。ここは以前来た場所。もうすぐだ。

嗚呼壮烈岩屋城址の石碑。1586年、大友氏の武将、高橋紹運以下700余名の武士が島津氏の大軍に攻められ全員討ち死にしたとある。360度展望台、太宰府天満宮、九博の周りを山々が連なる。

7時40分、太陽はだいぶのぼって赤みはなくなりギラギラまぶしいだけ、おまけにガスがかかったようで霞んでいる。

九博は森の中で天井屋根だけが見える。

絶逆光だしなかなか絵になりそうにないね。到着が30分は遅れた感じ。おまけにかすんでいてどうしようない。重量に耐えかねて、FZ300のコンデジしか持ってこなかった。

家を6時にでたという中年女性。せっかく撮影に来られたのにこんな天気で残念ですね。まあ1発で決まるとは思ってはいなかったがなかなかむつかしそう。たとえ赤い朝日が撮れたとしても九博はやねだけだしね・・・

8時15分撤収。帰路に着く。

この辺りの紅葉は日にはえてまだ美しい

面白そうな被写体を探しながら下山。

朝、暗い中確認した表示。結局、観世音寺に着いたのは9時35分。帰りの方が余計にか買ってしまった。朝日とのコラボがむつかしいので正月らしい雰囲気をだすために朝焼けがある日を見逃さずにガラス壁面を赤くそめる初あかねを狙った方がよさそうだ。帰宅10時。スマホ万歩計、6.8km、9894歩でした・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

181119 九博ボランティアの館外研修で北九州へ。なかなかの1日でした!!

2018年11月19日 | ボランティア

 九州国立博物館のボランティア5期生として活動をはじめて1年と7か月を経過、勝手もわかってそれなりのペースで参画できている。1期3年で4期生の継続組と5期生150名余りでざっと300名近いメンバーが九博のパートナーとして自主的に無償で博物館活動の支援に携わっている。

 私は第一志望で環境部会、第二志望で展示解説部会で一昨年申請してあまり理解しないまま環境部会に籍をおいたわけだが要するに九博が展示、収蔵している文化財を保護する業務を主管部門の科学科の指導の下、側面から応援しているということになる。欧米では文化財保護従事者はシーダーと言われる専門職である。

 IPO(統合的有害生物管理)という化学物質を使わないやり方で文化財を保護する活動の日本での最先端博物館が九博というわけである。

 そんなわけで9つある部会がそれぞれ自主企画で館の外に出かけてボランティアとしての資質を高めようとするのが年1回行われる館外研修ということになる。企画内容がチェックされ合格した部会が館外研修でき、大型バスのチャーター代などを九博が支援してくれる。

 ということで昨日日曜日、33名の参加で北九州にでかけた。8時半、二日市を出発、太宰府ICにのって北九都市高速をへて9時半最初の訪問先に到着。閉館になった黒崎のスペースワールドそばの北九州市立いのちのたび博物館。集合写真をとったあと会議室で館のスタッフより説明をうける。事前提出の質問への解答という形の展開。

 この博物館は40数億年前の地球誕生から現在に至る自然と生命の歴史を約4500点の実物を標本やレプリカでわかりやすく紹介されている自然史ゾーンと中国、朝鮮に近い北九州地域の歴史や人々の暮らしの変遷を約1500点の歴史資料をもとに展示紹介されている歴史ゾーンの二つにわかれてゾーンニングされている。

子どものみならず大人も興味をもってみれるよう随所にわかりやすい工夫がなされ、大変興味深かった。

 北九州についての知識は意外とうすく今回はあらためて存在価値をみなおした。新日鉄のOBとおぼしきシーダーさんの熱っぽく解説してくれる姿勢にも感化されたきらいがある。

 

恐竜などの標本展示やタイムスリップできるような白亜紀のゾーンなど子供たちには大喜びするだろう。

しかしこんなリアルな標本を作る会社もあることにおおいに感心した。

生物標本など多くあることからこの博物館でも搬入時のガス燻蒸や定期的なトラップ設置などでIPM活動も学芸員さんたちが自らやっておられるとのこと。

イベントなども随時企画実施され入館者の維持拡大に努力されている。今も箸と和食の文化史と称して食のたびイベントが行われおり、利きダシなどやっていた。年間60万人ほど来館者があるとか、じっくり楽しむには1日かかりそうな充実カツわかりやすくおもしろい博物館でありました。12時半、小倉にむけ出発、13時、あるあるCityに到着、1Fの居酒屋で海鮮丼の昼食、他部門との交流もかねた楽しいひと時でした。

 いつも思うがボランティアの面々、ユニークで愉快な人が多い。やはりそれなりの人が集まっている感じではありますね。14時、次の研修先は同ビル6Fの北九州市漫画ミュージアムにむかう。

ここの名誉館長はあの松本零士さんだがこのミュージアムは市をあげて北九州市を世界をリードする漫画の王国にしようと取り組んでいる。

北九州出身の漫画家は200人ほどいるらしいが閲覧できる蔵書は5万冊をこえ自由で気楽な雰囲気で漫画を楽しめる仕掛けになっている。

 

漫画の過去、現在、未来がわかる殿堂であわせて未来の漫画家を育てる人づくりの場にもなっている感じだね。

一角で漫画のスキルアップ講座も行われていた。

出席メンバーのひとりが私は幼少期教科書というより漫画でほとんど学んだ感じでしたと述懐していた。

 有名作家の漫画の原板他を22世紀にまで残すための収蔵庫も見ることができたがここでもIPM的発想での取り組みが行われていた。16時まえ研修を終了し一路筑紫野に向かう。参加者の感想を車内で交換しながら18時まえ二日市に到着。有意義な1日ではありました。また原点にもどって頑張ることにしましょう!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180530 九博、至上の印象派展、ビュールレコレクション、特別観覧!半数、本邦初公開!1億円以上の絵画とは?!

2018年05月30日 | ボランティア

 ビュウルレコレクションて何?スイスの大富豪ビュールレが生涯をかけて何百億円という巨額のマネーと労力を費やして集めた600点をこす印象派を中心とした個人の絵画コレクション。3人の子供たちが200点ずつ引き継いだとか。そのうちチューリヒ美術館所蔵の作品64点が東京、福岡、名古屋で順次展覧会。東京では30万人を動員したらしい。半数以上が本邦初公開、チュウリッヒでみた日本人以外の日本人は誰も見ていない作品。きわめて一見の価値がある美術展ということ。

写真撮影が2点認められている。そのうちの1点がルノワールの「可愛いイレーヌ」1880年作。

2点目がモネの「睡蓮の池」2m×4mの大作。1920年の作。

このコレクション秘話。

2008年2月10日、ビュールレ・コレクションから絵画が武装強盗団によって盗まれるという大事件が発生。盗まれた絵画は4点。

『赤いチョッキの少年』(1894/1895) ポール・セザンヌ
『ルピック伯爵と娘たち』(1871) エドガー・ドガ
『ヴェトゥイユ近辺のひなげし』 (1879) クロード・モネ
『花咲くマロニエの枝』(1890) フィンセント・ファン・ゴッホ

なんと1億8000万スイスフラン日本円にして約175億円。これらの盗まれた絵画のうち、

ヴェトゥイユ近辺のひなげし』と『花咲くマロニエの枝』は同じ2008年の2月18日にチューリッヒ市内の駐車場で発見され、赤いチョッキの少年』は2012年4月12日に、強奪に関与した容疑者を逮捕した際に発見された。そして、残る一枚、エドガー・ドガの『ルピック伯爵と娘たち』は、未だ行方不明のまま。花咲く・・と赤いチョッキの2点が出品。

モネの睡蓮の絵は200点ほどありあまり売れなかったらしいがビュールレのコレクションのおかげで価値が上がったらしい。ビュールレのように一貫したポリシーを持ったコレクターによって絵の価値が見直され増幅されるようだ。

 ところで印象派の絵というのはクロード・モネの描いた「印象・日の出」という絵を旧来の芸術アカデミーに酷評され、爾来印象派というジャンルができたらしい。

 印象派の絵画の特徴は、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外での制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングル、などがあげられており旧来の王朝芸術とは一線を画するもので会ったらしい。

 印象派は登場当初、この時代には王侯貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家、芸術アカデミーにも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医者、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった。絵画における印象派の発展によって、他の芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や文学などして知られるようになったということ。

 特別観覧会ということで九博の講師からレクチャーをうけ、200人ばかりがぞろぞろ見学。館長が自分の家に飾るならどれを選ぶかという視点でみたら面白いですよとアドバイス。

 まあ冒頭の「かわいいイレーヌ」あたりは大きさ的にちょうどよいのかもしれない。しかし実際見てみるとモデルは銀行家の8歳の娘らしいがふさふさした金髪やかわいい手は印象派的筆のストロークだが色白の顔や肌は旧来手法で美しく描き分けられており、その可憐さに目を奪われる感じがするね。九博では7月16日までの会期だがすでに3万人近い好調の出足のようだ。妻にも早く見に行くようにすすめよう!!

 ルノワール、モネ、ドガ、マネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなどよう知られた名前だが一体絵の価値は何で決まるのかね。要するに億万長者のコレクターがいるから需給の関係ですごい値がついてしまうのだろうね。・・・MLBの日本選手も同じか?!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180512 九博ボラ、九博周辺環境実態把握研修、トレッキングスタイルで実施!

2018年05月12日 | ボランティア

 九博ボランティアも2年目に突入。文化財の敵の有害生物を薬剤ではなくIPM(総合的有害生物管理)手法で実施している九博科学科を側面支援する環境部会に属して、トラップの製作や交換作業、来館者視点にたっての館内ウオッチングなどのボラ活動を行っている。

 今日はそんなボランティアメンバーの専門知識研修の一環として国立博物館をとりまく生植物環境の実態を九州環境管理協会の専門家から学ぼうという企画。トレッキングスタイルに身をつつんで参加。10時、研修室に集合して予備学習。改めて九博の周囲は自然環境に取り囲まれていることを再認識。九博入り口は誰でも自由にはいれる(飲食物禁止だが)。ということは有害生物も入り込むということ。10時20分、周辺探索開始。

天満宮から動く歩道にのって九博にあがって左手に去年から枝垂桜の植樹が始まっている。九博雲海桜という看板が出来上がっていた。いつ頃見れる状態になるのか定かでないが九博名物にしようという企画のようだ。枝垂桜が雲海のように見える・・・よさそうだがね

東駐車場方向の山道を歩きながらOさんの解説が続く。植物学の講習みたいだね。ツワブキ、野アザミ、カタバミ(葉で10円を磨くとぴかぴかになるらしい)、山桜は実がなるがソメイヨシノはクローンだから実はできないが一斉に咲くとか)。

調整池。大雨の時はここに水を流し流量調整するとか。

ラクウショウ、ミゾソバ、スイカズラ、イグサなど。真竹とモーチクソーの見分け方(竹の節のラインが2本が真竹)とか。日本は数十年前杉の乱造をした付けが今スギ花粉で国民を悩ましているとか。松、ヒノキ、杉と植え方があるとか。

わが家の玄関口にもあるエゴの樹。黒いのがぶら下がっている。ヨーランといってオトシブミという昆虫の卵が入っているとか、おもしろいね

東駐車場入り口の大きな楠木、移植されたらしい。楠木は生命力があるのはシロハラなど野鳥が実をついばみ他の場所に運んでくれるので絶滅しないとか。・・楠木千年、ことしも若葉なり!

 そのかわり、シロハラをはじめ野鳥が九博ガラス壁面に移った楠木めざし飛び込む事故が絶えない。西面のガラスが常時あいているという摩訶不思議な現象を発見、なぜ?

梅の花方面に降りてゆく階段サイドのあおもみじ、陽をあびて輝いている。この赤い種とドングリの違い。

ドングリはその重量でころころ土のある所まで転がっていかねばならないのであんな形状をしているとか。話は面白かったが、さてIPMとどう結びつけるのか、いまいち?でしたね。あの開いた窓とか無防備な会館入り口が気になるが・・・・12時終了、ほどよいウオーキング研修でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180226 しかし高木菜那選手、よく勝ちましたね、大興奮!!よく朝、九博子供フェスタ!400人ほどの子供たちが我々のブースへ!

2018年02月26日 | ボランティア

 最後の女子スピードスケート競技、「マススタート」。最初は今いちルールがわかりにくかったが、団体追い抜きで金メダルをとった高木菜那選手(25歳)が2個目の金をめざし出場。

 皆さんもいやというほど各テレビ局の解説で経験と実力と判断力で見事金をもぎ取った経緯を見られたと思うがほんとに素晴らしかったね。いままで先を越されていた妹の高木美帆選手を日本女子初めての金2個ゲットいうことで姉の高木菜那選手が面目を施した・・ということだね。いやはや理屈抜きに大したものでした。

 長野以来メダルをとれなかった女子カーリングが3位決定戦でイギリスチームをこれまた劇的に5対3で逆転勝ち、お見事でした。今回のピョンチャン冬季オリンピックは本人はもちろんコーチ監督、国をあげての努力が金4、銀5、銅4の史上最高の結果をのこせた要因だね。この2週間余り、おおいに感動させてもらいました。

 興奮さめやらぬ日曜日、9時、九博にでかける。10時から4時まで九博子供フェスタが開催される。昨日は17時過ぎまで設営準備。10時開会。子供たちがやってくる。九博は面白いところというイメージを子供たちに持ってもらい未来の九博のベースファンをつくろうという狙いかな。

 霧雨模様だが客足は好調。子供ずれの家族が続々やってくる。ボランティア環境部会がどんなことをしているか、紙芝居でみせたり、九博内外を3D眼鏡でみせたり、

顕微鏡で蜘蛛の眼や蝶や蚊や花を子供たちにみせたり、

知恵の輪や浮沈子などで科学的な興味をもさせたり、結構、子供たちは興味津々で楽しんでいたね。折り紙コーナーなんかもあって古い大型ポスターなどつかって兜をおったり、各ブースとも盛況で4時の閉会まで我々のブースには400人近い入場者があった。

 片付け前に部会メンバーが集合、記念撮影をして、ミュージアムホールを元の状態にもどし、17時半ごろ終了。立ちっぱなしで少々疲れましたが楽しいフェスタではありました。これを契機に九博ファンになってもらいたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180210 九博特別展、「王羲之と日本の書」開幕、ボランティアは「子供フェスタ」の準備に大忙し!

2018年02月10日 | ボランティア

 立春後、雪や雨で天候不順。7日もボラ予定が大雪予報で中止、九博駐車場入り口が坂道になっているためか用心しての処置。今日から特別展、「王羲之と日本の書」が始まる。日本の書道史を専門としておられる現館長の記念講演がある。連絡ボードの確認と子どもフェスタの写真の前回記録を確認のため九博に出かけた。

 王羲之って何?という感じで今までまったく知らなかった。日本の書の原点となるような人らしい。書道に関連している人にとっては大変関心のある人なのかもしれない。

 13時過ぎ、ボラ室に着く。同じ部会のMさんが子供フェスタの準備で来ておられた。去年、ボランティアの所属部会を決める時に「子供フェスタ」でがんばってもらうのどうのという話を聞いていたが何のことやらわからなかった。

 九博には年間100万人ほど入館者があるということだが来館者を増やすためにも子供たちに九博に関心をもってもらい九博ファンのすそ野をひろげるという目的で九博を愛する会とボランティアが共催で実施、今年は10回目を迎えるということ。「学校よりおもしろく、教科書よりわかりやすい」を標榜する九博、それをより実践しようというわけ。県下の小学校に3万枚のパンフを配るとか。

 私の部会も基本、全員参加で6つのブースを展開、受付マグネット、紙はいきもの、紙芝居&3D、あら!不思議、インジケータを探せ、チャレンジコーナーの6つ。私はまた写真班ということになっている。まあ25日の開催日まで各ブースの準備に忙しいというわけ。子供にいろいろ質問されて困らないよう想定問答集なるものも作っているようだ。

 折り紙も十三種ほどつくるようだが結構、ボラのメンバー、楽しそうにやっている。

 案内板やパネル準備も昔取ったきねづかできれいにできあがってゆく。

 パソコンに去年のブース毎写真構成や枚数のデータがはいっていた。100枚くらい撮影している模様。外部に出す写真は肖像権に注意ということか。14時前、講演会場のミュウジアムホールへ行く。なんと補助いすもいれて満席。書道に関心のある人が多いんだね。結局、ボランティアは入れず、聞きそこなった。まあ来館者ファーストだから致しかたないね。会期は4月8日まで。

 まあ多くの人に来てもらいたいものだ。帰宅の途につく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180129 モンゴルストーリーならず、ジョウジアの星、初優勝。九博消防避難訓練に参加!

2018年01月29日 | ボランティア

 人口400万人の小国、ジョウジアの星、栃ノ心が30歳で涙の初優勝。白鵬が早々と休場し、鶴竜の休場明け優勝を画策、モンゴルストーリーだと愚考した予測が外れた。鶴竜が10連勝したときには安定した相撲ぶりに全勝優勝するのではと思ったが、悪い引き癖がでてその後4連敗、その間隙を縫うように甲冑を身にまとったような平幕栃ノ心が握力90の怪力で14日目にして初優勝を決めてしまった。

だいぶ前の不祥事を報告しなかったとして春日野部屋はニュースの渦中にあったが6年ぶり平幕優勝のビッグニュースで帳消しになってしまった感じ。

ジョウジアの大統領以下の国をあげての祝福はすごいものだ。栃ノ心は両国をつなぐまさに親善大使だね。まあよかった、よかった。はやいとこ、ジョウジアの新妻と生まれたばかりの娘さんに会わせてやりたいものだ。来場所はいきなり関脇に昇進するのかしら?

 九博で消防避難訓練があるというので出席。なぜ今頃訓練か。昭和24年の今頃、奈良法隆寺金堂が火事、壁画が焼失してしまった。なんと壁画の模写作業をしていたときに画家が使用してた電気座布団の消し忘れが原因で出火。本物が焼失、模写壁画がその後使われたという。この事件を契機に昭和30年文化財保護法ができ、この時期、消火訓練などが行われるようになった。つい先日太宰府天満宮でも消火訓練が行われ巫女さんたちが消化ホースをにぎって訓練している様子が新聞に出ていた。

 太宰府消防署から3人、訓練にこられ、1時半から1時間講習。「今、大地震が勃発したらあなたはどうしますか」ビデオ30分、その後パワーポイントで講習。地震対策概論といったところ。実際起こればそうはいかないことは想像にかたくない。それゆえに普段からの準備心構えがだいじなことがわかる。私の寝所の押し入れにはバイクのヘルメットとシューズがいれてはいるが家具倒壊対策など不十分だね。

 いったんボラ室にもどり、15時、地震発生の館内アナウンス。テーブルの下にはいりこむ。茶室で出火、北側でガス噴出など館内放送。九博内で構築された消防隊のボラ室担当のHさんの誘導で南側バス駐車場方面に避難。出口の電気錠締まっており焦ったがすぐに開錠、駐車場に避難。寒い。

 寒さに耐えながら全員の集合をまつ。15時半、エントランスホールに場所をうつして閉会式。

数百名が観覧している特別展の時に地震などが発生した場合、九博消防隊などがよほどしっかり指示誘導しないと大混乱は避けられない気がするね。自助、共助、公助!まずはおのが身や来館客の安全を担保して、文化財を守るという行動をとるのが基本なのだろうが、人担当、文化財担当など明確に分けておく必要がありそう。あらためて我が家の緊急対策を見直してみよう!

 

1949(昭和24)年1月26日7:00、法隆寺金堂から出火し、内部を全焼して鎮火するという出来事があった。出火元は電気座布団、壁画の模写をしていた作業員が寒さをしのぐために使用していたもので、皮肉にも壁画の本体は失われて、その模写によって現在、法隆寺金堂のかつての姿を偲ぶ事ができる。壁画の破損は火災だけでなく、消火作業のホースの水圧で剥がれたものもあった。法隆寺金堂は世界最古の木造建築として知られ、この翌年に焼失する金閣寺ともども、特に連合軍も空襲で焼くのを避けようとしていて、戦災を免れたものだった。
 
この火災、火元は電気座布団とされたが、それが電源の切り忘れによるものだったのがわかったのは、1968(昭和43)年1月25日、法隆寺保存工事事務所の電気技師だった男性が実名で偽証を毎日新聞に告白してからである。この男性は電気座布団の電源を切り忘れた画家をかばって偽証をしたのだった。この電源を切り忘れた画家は福島出身で、後に平成に入ってから文化勲章を受章している。電気技師は食糧難と貧苦の中、金にもならない法隆寺壁画模写に身骨を削る画家たちの姿に打たれて、世間の非難がこれら画家たちに及ぶのを関係者と相談の上、緘口令を敷いて防いだのだという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

180127 九博ボランティア2年目

2018年01月27日 | ボランティア

 

九博ボランティア、4月から2年目に入る。新役員も決まった。新しい役割分担も決めてゆくことになる。
交流課y課長の口ぐせ、「楽しくやっていただいていますか?」
まあ、みんな、ワイガヤで楽しそうではあるね
いいことだ。
これが災害ボランティアならそうはいかない。
まあ、われわれは幸せなことだ。
あらためてボランティアをさせていただいていることに感謝ですね!

(はじめてスマホから投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

171205 九博、環境部会館外研修その2、武雄物産館から筑紫野の福岡共同公文書館へ!

2017年12月05日 | ボランティア

 昼食会場の武雄温泉物産館へのバス移動の途中、車中から武雄図書館、歴史資料館の外観をみて、12時前、武雄温泉物産館に到着。

 2Fの食事会場へ移動、着席。他の団体さん3~4か所、広い食堂。メニューは豆乳豆腐や釜飯など。談笑しながらの食事、その後は物産館での買い物。しょうがのお菓子や茎わかめ、シイタケの煮物などわが妻への安上がりのお土産。レジのおばさんに「旦那さん、一桁うえのお土産はこちらにありますよ」と言われてしまう。今までお土産を買って妻に喜ばれたという経験が少ないし、あまり買い物が上手とは言えないのでほどほどにしておく。

 13時10分、筑紫野にむけ出発。武雄北方ICに入って筑紫野ICへ。途中金立SAでトイレ休憩。

代表のUさんの提案で座席の席替え。往路とは違うメンバーと談笑、情報交換しながら15時前、筑紫野市の福岡共同公文書館に到着。とりあえず記念撮影、午前中欠席だったTさんも合流。ここでの集合写真は35名、ばっちりでした。

 

 筑紫野市図書館や生涯学習センターなどはよくでかけるが市警察に隣接する公文書館は敷居が高いというか普段から意識外の存在だった。

 今、国会でモリカケ問題で与野党の大論戦中だが、9億円の国有土地がどういうプロセスで8億円も値引きして1億円の払い下げ価格になってしまったのか。本来このプロセスがきっちり残ってないとダメ。いかなる論拠で誰が起案して誰が承認したかの行政のプロセスが公文書として残され、国民にも開示され、会計検査院の年度検査にも提供されなければならない。そんな重要な公文書が財務省の一担当レベルで廃棄されるなど考えられない暴挙で首相夫妻の関与が疑わても仕方がない。

 2Fの大会議室で副館長から公文書とはどういうものか、公文書館とは、開館して5年になる福岡共同公文書館がどんな経緯でどんな目的をもって作られたのかなどをパワーポイントの資料をつかって説明いただく。

 公文書には保管期限が決まっているが保存期間満了の公文書を評価選別基準に従って重要とされるものをこちらの共同公文書館で預かり永久保存するとのこと。1964年のオリンピック東京大会関連の公文書など、まさか半世紀後に2回目の東京オリンピックが開かれるなど行政担当者は思ってもみなかったらしい。とくにこちらでは昭和30年以前の公文書などを特に重要視して永久保存しているとのこと。

 開館5周年を記念して特別展「公文書で巡る鉄道の旅」が1月28日まで開催されている。明治から昭和初期の公文書や写真パネルでいかに鉄道網がひかれていったか興味深く展示されている。琴奨菊出身の柳川は昔はサンズイの河だったようだ。

 全体説明のあとバックヤードを案内いただく。3Fの建物中で書架延長は26Km、収蔵能力は約80万冊、30年分とか、すごいですね。歴史公文書などの有害生物対策は業者に委託して化学的な燻蒸(酸化エチレン)をしているとのこと。九博はIPM思想でやっているがここでは陣容的にも難しいようだ。

 17時、アンケートに記入して17時20分、朝出発したところで解散。今回は展示解説、英語案内、中国語案内、イベント、フィールド、サポート、教育普及など他の部会10名の参加を得て、充実した館外研修でありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

171204 九博ボランティアの館外研修で武雄の宇宙科学館と筑紫野の共同公文書館を視察、意義ある1日でした

2017年12月04日 | ボランティア

 時節ははや師走。今春からスタートした九博ボランティア活動。所属するIPO環境部会、30数名のメンバー。全員、何かを担当して傍観者にならないようにしようということで、そのうちの一つ年1回の館外研修が2日に行われた。数名のメンバーが3~4か月前から企画、準備を重ね、二日実施の運びとなった。館外の他施設を訪ね、新たな発想手法を学び今後のボランティア活動に活かそうという狙い。部内活動ではそれぞれの時間制約などで所属部内でさえコミュニケーションの濃淡があり、この機会を利用して親交をさらに深めようということ。

(佐賀県立宇宙科学館)

 34名のメンバーがわかれて西鉄、JRの両二日市駅から乗り込み、水道局前を8時40分、一つ目の視察先佐賀県立宇宙科学館にむけ出発。他部門から10名参加、皆、こころなしかうきうき気分。冒頭、環境部会代表のUさん、交流課のY課長、当研修企画のリーダーNさんらのあいさつの後各自自己紹介、皆ユーモアを交えて和気藹藹、天気も外はかなり冷えていたが車内は元気、やる気で満ち溢れている感じ。けっこう結構!予定よりちょっと早めに到着。早速、記念撮影。今回の写真担当は私とNさん。

 科学館入り口に向かう階段に集まってもらい撮影。前に大きな男性が立ってしまい、階段があったとはいえ女性が真ん中で顔が隠れてしまいそうだったが皆はやく入館したそうな気分が読み取れたのでさっと撮影。眼がうっとおしいというか大部視力が低下しているね。モニターを見ただけではすぐにはチェックできず。

入場料を支払い入館証を衣服に張り付けて入場。大会議室で館長から科学館の概要、狙いをうかがう。

 館長曰く、資源小国の日本は戦後づっと科学技術の振興を通じて経済大国になってきたが最近の科学技術の振興は勢いを失い技能オリンピックでも常勝金メダル国家だったのが直近では9位にまで陥落、トップの座を中国に明け渡してしまっている。

さらには最近の子供たちの理科嫌いは憂慮すべき状態。便利さがあたり前になり蛇口をひねれば湯がでてくる、その仕掛けを探ろうというWHYの精神がたりない。それをこの科学館で改革していこうというわけ。

 子供たちが親と一緒にやってきて体験型の興味深い仕掛けを親子で共有しながら学び、そして自ら探求してみようと自発心を呼び起こそうというわけだ。

(マイナス20度体験室)

そういう啓蒙活動の主役が館内のスタッフ、人が主役だという。

あちこちの子供が楽しんで体験でき学んで行ける仕掛けが網羅されている。九博の理念コンセプトも「学校より面白く、教科書よりわかりやすい」博物館をめざそうとなっているが、どこまでできているかだね?

 11時半駐車場にもどる。記念写真用の科学館をバックにしたひな壇があったので2回目の記念撮影。ここではばっちり一人一人の笑顔が撮ることができた。食事会場に向かうべくバスに戻る。なんと3人の女性がバスで休憩していました。撮り忘れ!! 集団ツアーはむつかしいですね、いやはや。後半はまた明日ご報告いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする