今回タイトルは「介護者の気持ちを大切に」で、講師は臨床心理士宮本典子
先生で、出席者は男性3人、女性7人だった。それぞれが誰を介護しているかを
一人づつ、自己紹介とともに話したが、結果は母親6人、夫3人、妻一人だった。
先生は介護する人は「自分の心身の健康を最優先」にするようにと、再三お話し
された。それぞれが介護している人の状態を話したが、トイレが垂れ流し、夜中
に徘徊する、すぐに怒りだす、また実の母親に何故か敵対視され、心身が不調
になり治療を受けているなど、お気の毒で聴いていても大変辛かった。
それぞれが一所懸命に介護している気持が、あまりにもリアルに感じられた。
介護者が元気でなければ、十分な介護ができないので、今回は「介護者の気持ち
を優先したお話」で、介護する人が元気でなければ、良い介護はできない。
そのため、「一人で抱え込まない」「自分を大切に、自分の時間をつくる」など
私も当事者として、絶対に必要であることを十分納得できた。
☆認知症7年目になった夫は
夫は日日や年齢が分からない、言ったことをすぐ忘れるが、穏やかで、自分の事
はほとんどできるし、頭の回転は良く、日常会話は全然ふつうで「認知症優等生」だ。
でも先生が「それで困っていることはありませんか?」と一人づつ聞かれたが、私は
「以前のような深い会話はできないのが辛い」と言った途端に、涙が込み上げてきた。
夫は穏やかで大らかで、私には大変甘い(子供達はいつもそう言った)人だったので
過去にはほとんど干渉されず、また自由も束縛されなかった。
そのため、現在の私が存在していると、夫には感謝の気持ちは強い。
何にも確執もないから、やさしく介護できるのだが、今まで夫がやっていた
ことをすべて私がやらなければならないし、重要なことは子供達がサポート
してくれるが、やはり時々はどうしようもない淋しさに襲われる。
☆若い世代に負担をかけないために
私が二時間の間に色々な事を感じたのは、やはり寿命が急激に延びた現在は
その分高齢者も家族に迷惑をかけないように、まだ元気な内に「認知症になら
ないように」「死ぬまで元気でいられるように」それなりに努力すべきではないか
と思ったことだ。「有終の美を飾る」それは理想ではなく、「高齢者の一人一人が
ただ老後を楽しんで過ごすだけではなく、子供達世代に負担や迷惑をかけないため」
にもしっかり認識し、行動すべきではないかと、私は痛烈に感じた。
そのため、私は死ぬ瞬間まで元気でいられるよう、絶えず努力しているのだが
これは自分自身だけではなく、高齢者全部が意識し、また社会全体として必要な
事だと思っている。
☆夜中に目覚めて
7年目を迎えた夫が他の認知症の方より穏やかなのは、色々知識があるから
こそできている。でも、心の奥に深い悲しみの湖があり、その水が外に溢れな
いように、誰にも頼らず長年絶えず自分をコントロールしている私。
今日の会に出て、「他の認知症の家族より、私はよっぽど幸せだ」と思い
今まであまり誰にも頼らず、愚痴らず、一人で抱えこんでいることにを
改めて気づいた。すると、過呼吸になりそうになり、夜中に飛び起きたが
人一倍神経が細い自分がいつも耐えている、それが健気で、たまらなく
愛しくなった。プロとしてさまざまな自分を制御する方法を知っているが
生涯の伴侶とは言え、これから一生介護が続くのだと思ったら、その気持ちに
今押し潰されそうな自分に辟易している。でも、「書くことは知的な作業」
これを書きながら私は随分救われているのだ、と感謝できた真夜中だった。
先生で、出席者は男性3人、女性7人だった。それぞれが誰を介護しているかを
一人づつ、自己紹介とともに話したが、結果は母親6人、夫3人、妻一人だった。
先生は介護する人は「自分の心身の健康を最優先」にするようにと、再三お話し
された。それぞれが介護している人の状態を話したが、トイレが垂れ流し、夜中
に徘徊する、すぐに怒りだす、また実の母親に何故か敵対視され、心身が不調
になり治療を受けているなど、お気の毒で聴いていても大変辛かった。
それぞれが一所懸命に介護している気持が、あまりにもリアルに感じられた。
介護者が元気でなければ、十分な介護ができないので、今回は「介護者の気持ち
を優先したお話」で、介護する人が元気でなければ、良い介護はできない。
そのため、「一人で抱え込まない」「自分を大切に、自分の時間をつくる」など
私も当事者として、絶対に必要であることを十分納得できた。
☆認知症7年目になった夫は
夫は日日や年齢が分からない、言ったことをすぐ忘れるが、穏やかで、自分の事
はほとんどできるし、頭の回転は良く、日常会話は全然ふつうで「認知症優等生」だ。
でも先生が「それで困っていることはありませんか?」と一人づつ聞かれたが、私は
「以前のような深い会話はできないのが辛い」と言った途端に、涙が込み上げてきた。
夫は穏やかで大らかで、私には大変甘い(子供達はいつもそう言った)人だったので
過去にはほとんど干渉されず、また自由も束縛されなかった。
そのため、現在の私が存在していると、夫には感謝の気持ちは強い。
何にも確執もないから、やさしく介護できるのだが、今まで夫がやっていた
ことをすべて私がやらなければならないし、重要なことは子供達がサポート
してくれるが、やはり時々はどうしようもない淋しさに襲われる。
☆若い世代に負担をかけないために
私が二時間の間に色々な事を感じたのは、やはり寿命が急激に延びた現在は
その分高齢者も家族に迷惑をかけないように、まだ元気な内に「認知症になら
ないように」「死ぬまで元気でいられるように」それなりに努力すべきではないか
と思ったことだ。「有終の美を飾る」それは理想ではなく、「高齢者の一人一人が
ただ老後を楽しんで過ごすだけではなく、子供達世代に負担や迷惑をかけないため」
にもしっかり認識し、行動すべきではないかと、私は痛烈に感じた。
そのため、私は死ぬ瞬間まで元気でいられるよう、絶えず努力しているのだが
これは自分自身だけではなく、高齢者全部が意識し、また社会全体として必要な
事だと思っている。
☆夜中に目覚めて
7年目を迎えた夫が他の認知症の方より穏やかなのは、色々知識があるから
こそできている。でも、心の奥に深い悲しみの湖があり、その水が外に溢れな
いように、誰にも頼らず長年絶えず自分をコントロールしている私。
今日の会に出て、「他の認知症の家族より、私はよっぽど幸せだ」と思い
今まであまり誰にも頼らず、愚痴らず、一人で抱えこんでいることにを
改めて気づいた。すると、過呼吸になりそうになり、夜中に飛び起きたが
人一倍神経が細い自分がいつも耐えている、それが健気で、たまらなく
愛しくなった。プロとしてさまざまな自分を制御する方法を知っているが
生涯の伴侶とは言え、これから一生介護が続くのだと思ったら、その気持ちに
今押し潰されそうな自分に辟易している。でも、「書くことは知的な作業」
これを書きながら私は随分救われているのだ、と感謝できた真夜中だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます