ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

食事つくりの工夫

2021-07-19 07:26:36 | エッセー

野菜だけでトロミをつけたカレー

 前日ベーコン、玉ねぎ、キャベツ、エリンギ、オクラを入れ、トマト風味

で煮込んだが、必ず残るので次の日はカレーに決めている。

 今回は野菜だけでとろみをつけたカレーに、トライしてしようと思った。

ニンニク、玉ねぎ、にんじんを細かく切り、我が家手製のニンニクオイルで

炒め,残りの野菜に加えてカレー粉を加え、しばらく煮込みそのまま一晩おいた。

 翌朝豚肉を100グラム位細かく切って加え、ジャガイモを入れ、水と赤唐がらし

3本入れ、焦がさないように煮込み、また火を止め冷めるまで置いた。

※初めて16穀ご飯の素を入れて炊きましたので、見た目は良くありませんが

 冷めてからポテトマッシャーで、少し粒が残る程度につぶし、再びカレー粉

クミン、シナモン、ナッツメック、ウスターソースを少し加えた。

 味が薄かったので鶏ガラ顆粒を少し加え、かき回しながらまた少し煮こ

んでできあがり。材料は野菜類8種類、豚肉、ベーコン。家の手料理は

添加物はまったくゼロ。食品添加物の害を熟知しているため、いつも手

づくりの食生活で、手間暇はかかるがそのため大変美味しかった。

 最近食事の量が減った夫も、私も何時もの倍ぐらい食べてしまった。

近くに住む友人二人にもぜひ食べて欲しいと、上げたら「とても美味しかった」

「凄く贅沢なカレーで最高」と大好評でした。手間はかかりますが、お時間

がある時お試しになりませんか?カレーは一晩おいた方が美味しくなる

ようです。

 

 

 

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小さな幸せはどこでも・・・

2021-07-18 07:22:19 | エッセー

 時々見ていたが、夫は背中を搔くための長い竹でできた「孫の手」を

ベットの傍に置いて「カーテンを閉めて」と頼むと、その「孫の手」で

器用に閉めている。先日気が付いたら、それで戸まで閉めていた。

 二人共背中が痒い時など全くないので、使った記憶はないほどだ。

 昨日タンスの一番上の引き出しが開かずに困って,夫に「開けて」と

頼んだら、彼はしばらく触っていたが開かなかった。

 するとベッドから「孫の手」を持ってきて、それを差し込んで動かしていたら

引き出しはスッと開いた。「スゴーイ!背中かきってそんな事にも役立つんだ

とってもお利口さんなのね」と夫に言ったら、「だからオレ何時も傍に

置いておくんだ」とちょっと嬉しそうだった。

  認知症の夫だが、時にはビックリするほど、頭が働くこともあり、身の

周りにある小さなグッズも、使い方で色々利用できるのだと、夫に教え

られた思いがして、ちょっと嬉しくなった。

 そんなダブルの「ちょっとした嬉しさ」が、もしかしたら我が家の

円満さなのかも・・・だから幸せなのかもと感じた。

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記憶の彼方から

2021-07-17 01:15:17 | エッセー

 先日送られてきた尊厳死協会の雑誌をゆっくり見ていたら、「ウミハ

ヒロイナ、オオキイナ」の小学唱歌の歌詞と、広々とした海の写真が掲載

されていた。その写真を見ながら、思わず懐かしい海の歌を歌ったら

大昔の楽しかった事が蘇った。私が入学した時は「国民学校」と言われて

いたが、まだ入学した間もない頃に、何の催しか覚えていないが、学年全体

で学校放送を聞いたことがあった。その中でまだ入学したばかりの1年生

の私が、ただ一人選ばれ校内放送で歌ったのが、まだ覚えたばかりの

「海の歌」だった。

 確かその日は梅雨明けのとても暑い日だったが、マイクの前で一人で

歌った。幼い頃から童謡歌手だったので、ステージ経験が多かったので

まったく上がらず歌えたら、先生方に大層褒められた。

 放送室から長い廊下を歩いて教室に戻るとき、空が真っ青でとても暑かった。

教室に戻ると、先生やみんなが拍手をして迎えてくれ、ちょっと恥ずかし

かったがとても嬉しかった。梅雨明け宣言と、何気なく見た雑誌は、ありありと

まざまざと「記憶の彼方」の小学校1年生の頃を思い出した。

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堕ちこんだ日

2021-07-16 10:22:26 | エッセー

 忘れることは、嫌な思い出を何度も反復するたびにストレスを重ね、逆に

しっかりと覚えてしまうに対して、「忘れる能力が強い人」はこの「嫌な

思い出を手放せる人」で「理不尽なストレスに対して耐性が強い」側面を

持っていることなのです。もしもすべてを全部覚えていたら?それは頭が

いっぱいになってエトセトラ・・・

 忘れることはこのように必要なものですが、でも、昨日はこんなことが

あり、小々落ち込みました。それは、朝9時にケアマネージャーの訪問が

あり、10時に夫の定期的なケアのため歯医者さんを予約してありました。

 朝は早く起きますが、私は毎日ほぼ60分近く心身のトレーニングがあり

また、夫のデイホーム3回は、いつもお迎えの時間がゆっくりで、割合に

楽なのです。

ところが朝9時の訪問となれば、着替えなければいけないし、私にとっては

かなりストレスなのでした。いつもの訪問が終わったのは9時30分過ぎ

それから家から近い歯医者さんに夫を行かせることを、コロッと忘れ気づい

たのはお昼頃でした。私は時間管理はかなり得意な方で、約束は必ず守る

方です。それなのに・・・これは明らかな老化現象で、全く頭から記憶が

消えていたのです。「ああ!年取るのはいやだなあ」と反省しきりの

一日でした。

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もしもすべて自然体だとしたら?

2021-07-14 18:34:27 | エッセー

「自然体で生きる」「ありのままで生きる」それはとても良いことだと思えるが

人生100歳時代と言われる現代、もしもみんながそうであれば、世の中は随分

索漠とした風景になると思う。見た目がよくない老人が増えるしだけではなく

介護される人だらけになるだろう。毎日のように流れるテレビのコマーシャル

新聞広告、折込みチラシなどは、若さと健康と美しさに関するものばかりだ。

 つまり、すべて自然に逆らっているとも言えるが、それが人情だと思う。

何もしないで自然体でいたら、その結果は、お金と手間をかけて努力した

人のみが、若々しく見えるし、健康も保てるのは自明の理だ。

※活躍していた頃

 40歳代後半から50歳位は明らかに向老期だが、それを全然意識せず「この

ままでいいや」と、今までと同じ生活状態でいたとしたら、その結果は60歳

過ぎには、ツケになって表れる。また身体面だけでなく、精神的にもそれ

なりに努力している人は、人間としての重みが感じられる。

 大昔ある講演会で「その道で成功している人は、必ず人知れず努力をして

いる。白鳥は水面を滑るように泳いでいるが、見えない水の中では必死に

足を動かしているように」と聞いたことを思い出した。

 

 私は仕事が大好きでいつも努力していて、色々な意味で満足した人生を

送れるはずだった。でも、私の人生の設計は、想像できないほど大きく

変わった。その一つは夫が認知症になり、その介護のために、私のエネルギー

のかなりをそれに当てなければならないことだった。

 それ以来その介護のため、絶えずアンテナを張り、最新の情報をキャッチし

それらを元に自分なりに考え実行している。その努力の成果は自他共にも

十分感じられるから、大変遣り甲斐がある。能力はないが、努力を継続

できる人間だと思っているが、やはり自然体でいたら、もうとうにこの世

にはいないと思う。でも、まだ夢追うのは困ったものだが、心の中で

「ラストステージのためにがんばって!」とささやくのだから、もうしばらく

努力しようと思っている。時にはやり過ぎもありますが・・・

 

 

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