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毎日の出来事や思ったことなど
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日記代わりのブログです。

あの日

2025年01月17日 | 日記
30年前の早朝、関西で大きな地震があったと報道されましたが、こちらでは状況がわからずヤキモキしていました。
そのうち、高速道路が倒壊しているのを見て、ただごとではないと震えました。そして厳しい寒さの中、着のみ着のままの姿で震えている人々を見て泣いてしまったことを覚えています。
その後も毎日死者の数が増えていき、いたたまれない気持ちでした。
PTAや自治会での募金活動、日用品の提供や発送のお手伝いなど自分できることは限られていて、それも辛かったです。
それ以降も大きな地震や豪雨災害が毎年のように起きています。他人事ではありません。
東南海地震も近いと言われています。この地域が被災したら、被害は日本国中に影響があり生活に支障が及ぶでしょう。
防災意識を高め、助け合う気持ちを忘れないでいたいと思います。
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4 コメント

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Unknown (フーミン)
2025-01-17 11:58:13
姫子さま、こんにちは。
そうでしたよね。家の下敷きになっているのにそこが火災になって、本当に悲惨な状況でした。尊い命を無駄にしない為にも日頃の備えをしておかないといけませんね。ありがとうございます。
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Unknown (姫子)
2025-01-17 08:28:14
まったくその通りですね
いつどこで大地震が来てもおかしくない
現状ですから防災意識を高めないといけません

阪神淡路大震災の起きた時間 主人のお弁当作って
朝食の準備して居る時にテレビからの悲惨な映像
もうショックという一言 私も震えが来ました
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Unknown (フーミン)
2025-01-17 08:25:50
けいこさん、おはようございます。
あの地震で人生が大きく変わってしまった人々が多いことと思います。直接被災されなくても御苦労された方も多かったんですね。ありがとうございます。
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Unknown (keiko(けいこ))
2025-01-17 07:46:29
おはようございます。

私の仕事の先輩の女性〜神戸に住んでおられた妹さんご夫妻を亡くして、、そのお子さんたち2人(先輩の甥)を引き取りました。
しばらく ご一緒に甥御さんたちも上手くこちらの生活にも慣れたとお聞きして安堵したこと思いだします。
それから 、、でも いろいろあって 関西に戻られました。
甥御さんたちも今では30後半だと思います。
先輩との付き合いはもうありませんが、、
この日になると 先輩の大変な日々を思いだします。
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