がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

魔除けの石柱

2020年04月28日 | ・琉球歴史/文化風景

 

去年の5月に撮った宮城島の集落の一角です。
「南グスク」に行ったときに撮りました)


「うるま市文化財シリーズ10 宮城島」(うるま市教育委員会)の
マップによると、これは

「魔よけの石柱」

 

ようは、石敢當的なものなのですが、
石敢當の文字はありません。

本来は石そのものに
魔よけの力があるとされてきており、
このように文字のない石敢當も
今でも時々見ることがあります。

過去記事→「沖縄のまじない、と不思議な石敢當

 

ちなみにこの写真の場所は
「T字路の突き当り」ではありませんでした。

ただ御覧の通り古い狭い道なので
開発されて今はT字路ではない、というわけではなさそう。

この地域ではT字路とかは関係なかったのかな?

 

 

さて、

GWですが、ご存じの通り今年は
新型コロナ感染拡大防止に伴う外出自粛要請中!

やんばるや周辺離島の島々も来島自粛を求めています。

県民の皆さんの中には、
自粛疲れだしドライブくらいならいいでしょ?
との考えの人もいるかもしれませんが、

知らない車が多く訪れているのを見るだけでも
地元の人は不安を覚えると思います。

地元の人を不安にさせちゃ、イカンですよ。

 

うん。

 

だから沖縄県民も、
やんばるや離島への遠征は
今は厳に慎み、
シンプルにおとなしく、ステイホームしましょうね!!

 

体を動かしたい!って人は
自宅の大掃除&模様替えをおすすめします!
体も動かせて家もきれいになって、きっと気分もすっきりー!


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宮城島の南グスク

2020年04月16日 | ・琉球歴史/文化風景

 

久々の、グスク探訪記事です。
(2019.5訪問)

 

訪れたのはうるま市海中道路を渡った先の島、
宮城島にある「南(なん)グスク」です。

なんグスクって響きですぐに浮かぶのは
名護市の名護(なん)グスクなんだけど、
こちらは南と書くほうの「なんグスク」です。

 

 

ちゃんと案内表示もありました。

 

「南」とあるように、
南グスクの由来は南山にあるようです。

 

南山から逃れてきた宮城按司は
イークン山に住んでいたが、
のちにナングスクに移った
と言われているようです。

 

 

門っぽい。

 

 

入ってすぐに、泉が。

「ナンガー」かな?

 

 

さらに登っていくと
「按司火ヌ神」がありました。

 

 

祠のそばにわずかに石垣が。

道はさらに奥へと続きます。

 

 

切り立った崖と大岩の間を行く。

 

そこからさらに上に登ると…

 

 

お墓がありました。

宮城按司と、その妻のお墓だそうです。

 

 

行く道もお墓の周りもきれいにされていていたので
きっと今でも住民の方々が大切にしているのでしょう。

 

 

ちょっとお天気が残念でかすんでいますが
木々の間からは伊計島が見えました。

 

 

宮城按司がなぜ南山を追われたのか、
いつの話なのか、

そして、宮城島の按司といえば
向かいの伊計グスクの按司と戦った
泊グスクの川端イッパーですが、

彼と宮城按司との関係なども
気になりますね。

字誌などもあるようなので
その辺を調べてみたら
南グスクや宮城按司にまつわるドラマが
もう少しわかるかもしれません。

 

以上、
グスク訪問レベルC
宮城島、南グスクでした。

 

参/「うるま市文化財シリーズ10 宮城島」(うるま市教育委員会)


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琉球最古の獅子

2020年04月03日 | ・琉球歴史/文化風景

 

2020年シーサーの日。

 

そのまま村シーサーの記事にしようかと思ったけど、
(まだまだまだまだストックあるある)
ちょっと趣向を変えて…

 

シーサーの歴史について。

 

シーサーはご存じ、獅子文化にルーツがあります。

獅子文化はエジプトやメソポタミアあたりの
古代オリエントが発祥とされ、
そこからシルクロードを経由して、中国へ、
そして琉球に入ってきました。

 

 

琉球における最古(級)といわれている獅子造形が、

浦添ようどれの、
英祖王陵石厨子のレリーフです。

 

 

英祖王代の、
13世紀後半に造られたといわれている
浦添ようどれ。

 

その中にあるこの石厨子が
いつに造られたものか
はっきりとはわかっていません。

ようどれと同時期なら13世紀後半ということになりますが、
素材(中国産)などから15世紀頃ではないか、
ともいわれています

 

+

 

琉球最古の「村落獅子(村シーサー)」といえば
冨盛の大獅子(1689年)が有名ですが、

「獅子」枠で言えば、
浦添ようどれの石棺の獅子がそれを遡って
最古(級)ということになります。

 

なお、はっきり記録のあるものでは
1498年の円覚寺放上橋勾欄羽目の獅子があります。

 

ようどれの石棺が
それよりも前か、後か、
…ですね。

 

ともあれ、
獅子文化は13~15世紀の間には
琉球に取り入れられていた
ということになります。

(シルクロード→中国から入ってきた獅子文化ですが、
同時に、インド→東南アジア経由の獅子造形の影響も受けた可能性もあるようです。
獅子文化もチャンプルーということですね)

 


王国歴史博物館常設展/沖縄と世界のシーサー
『石獅子の起源とそのはたらき(民芸795号)』(國吉房次)
『おきなわの美術』(宮城篤正監修/東京美術)

 

 

なお、今回掲載した石棺はレプリカです。

浦添グスク&浦添ようどれの近くにある
「ようどれ館」では
浦添ようどれの西室内部が再現されており、
石棺や埋葬されていた遺骨のレプリカを
間近で見ることができます。

 


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首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加しました

2020年03月29日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加してきました。

参加者は定員フルの老若男女。

おひとりさまから
友達同士、親子など。

外国の方や
リピーターの方もいました。

 

銭蔵で受付をしたら、
淑順門を通って
作業場所である後之御庭へ。

ちょうど正殿の真後ろにある広場です。

 

 

現在立ち入り禁止になっているここ、
かつての有料区域は
撤去工事が進められています。

右側奥が北殿、左側奥が南殿、
中央奥が正殿にあたります。

奥の赤い建物は奉神門です。

 

 

作業は破損を免れた赤瓦の
漆喰をはがすこと。

作業に必要な道具、
軍手やマスク、ゴーグルも準備されていました。

受け取った瓦は、
奉神門の丸瓦。

 

 

ひたすら、漆喰をこすり取っていきます。

思っていたよりもぼろぼろと取れるので
特に難しい作業ではありません。

でも、まんべんなく
きれいに落とすには時間がかかります。

 

ひたすらこすり取っていく。

ただひたすら瓦に向きあう。

どんどん無心になっていく。

 

黙々と無心になることで、
それは
祈りにも似た表現行為になっていく

 

という、
石の声」での体験を思い出しました。

 

 

瓦を抱えて、
支えて、
こすり取って、
磨いて、
払って、
なでる、
そしてまた抱え持つ、
このような単純な一連の作業が、
自然に首里城と己に向き合う時間になっていきました。

 

それは
首里城への想いであったり
復元に携わったへの想いであったり
祈りであったり
追悼であったり
後悔であったり
愛おしさであったり
決意であったり

 

……。

 

 

 
もちろん、
かしこまって神妙な面持ちでやらねばならない
というわけではありません。


でも防塵マスクしてるし
作業は一人でやるものなので、
グループで来ている人も
作業中は自然とそうなっていたんじゃないかな、


というのが私の感想と、実感。
 

 

作業が終わった瓦は検品へ。

ハンマーで軽く叩いて、
その音で瓦の良し悪しを判断します。

高く響く音は合格の印。
赤瓦ってこんなきれいな音がするんだ、と
ほれぼれしました。

 

 

2時間(途中休憩10分ほど?)の作業で
丸瓦6枚、平瓦4枚、
合計10枚の瓦の漆喰はがしをすることができました。

 

ノルマがあるわけじゃないので
自分のペースで無理なく進めることができます。

 

 

休憩時間や作業の合間には
現場作業員さんの話も聞くことができました。


瓦の構造。
丸瓦と平瓦の組み合わせ方。
どこを漆喰で固めるのか。


その組み合わせ方を知る、
間近で見るって、
意外とないですよね。

 

 

焼失前の各屋根の写真や、
瓦の種類も見ることができました。

 

 

正殿の赤瓦は、
完形のものはほぼ残っていないそうです。

 

 

正殿左 龍頭下 丸瓦。

貴重な1枚。

 

瓦も、龍頭棟飾(陶製)も、
落ちて粉々に割れてしまいました。
(瓦や龍頭に関していえば、火災で燃えたというよりは
焼け落ちて割れたという被害)

割れてしまったそれらも全て回収して
次の何かに活かせる予定とのこと。

 

作業員さんの言葉が印象的でした。

 

「私たちは、割れてしまったこれらを瓦礫とは言わない」

 

 

左右両端の赤丸部分に
龍頭棟飾のひげが見えます。

真ん中の丸が大龍柱。

左側のブルーシートのあるところが
世界遺産でもある遺構部分。

 

↓2本の大龍柱。

 

 

さて、ここで
ボランティア参加者の特典を
書かせていただきます。

もうお気づきのように、

 

① 
現在、一般立ち入り禁止である「現場」に入れる


現場や遺物を間近に見れる


作業員さんなどから話が聞ける
(ほかにも色々聞いたり、見たりしたけど
ブログに載せたのは一部です)


通常通れない淑順門を通れる


参加証がもらえる

 

の5つです。

 

 

淑順門、これね!

完成した時からずっと見てるけど
ずっと行き来できない門だったから
実際にここを通るのはワタシも初めてでした。

 

 

淑順門の裏!

ひそかにテンション上がったよねー。
(…ワタシだけ?)

 

赤瓦漆喰はがしボランティアは
4月26日まで実施されます。

4月実施分の申し込みは
明日3月30日11:00から、
専用サイトの応募フォームから受付開始になります。

 

一人でも多くの人が(特に県民が)
参加してくれたらな、と思います。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

 

 

 

「え~?
でも15歳未満は参加できないじゃない?

子どもと参加したかったけど、
うちは子どもが小さいし無理だわ…」

 

と言うそこの奥さま!旦那さま!

 

ちょーっと待った―――!!

 

 

 

見学会もございます。

 

実際に作業はできないけれど、
この現場に入って、
同じ景色を見て、
作業員さんの説明も聞けます!

もちろん、
子ども連れだけじゃなくて
大人の方だけでも見学OK!

 

現地を見るだけでも十分価値がありますよ。

 

当日、現地受付先着15名限定になります。

 

詳しくは☟

首里城赤瓦漆喰はがしボランティア見学会 開催

 

なお、気になる駐車場についてですが、
首里城駐車場を利用できます。
(ボランティア参加者優先というわけではありませんが、
時世柄、駐車場、余裕ありです…)

料金は定額320円です☆


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首里城赤瓦の漆喰はがしボランティア

2020年03月25日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城再建に向けて、
市民参加型の取り組みとして、
赤瓦の漆喰はがしのボランティアを募集しています。

これは破損を免れた赤瓦を
今後様々な形で再利用すべく
漆喰をはがしてきれいな状態にする活動です。

3月1日から実施の予定でしたが
コロナの影響で延期になり、
今週からやっと始まりました。


実施期間は当初の予定を延長して
4月26日までです。

 

3月実施分
全日、定員に達しているため
現在申し込みはできません。

 

4月1日~4月3日実施分
申し込みの電話先行予約を
明日26日(木)から受け付けるようです。

 

4月4日以降の実施分
3月30日(月)以降に専用応募フォームからの受付になります。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

をご覧ください。

 

 

+ + +

 

 
撤去工事が始まった頃の首里城
(2月中旬撮影)

 


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1966年のイザイホー、他

2020年02月14日 | ・琉球歴史/文化風景

 

亡くなった身内の遺品整理をしていたら出てきた、
という写真スライドを見せてもらいました。

復帰前の、60年代~70年代の沖縄。

もう5・60年前のものです。

 

 

中には、1966年の久高島の神事「イザイホー」を撮ったものが(!)

スライドカバーにはメモが書かれており、

66.12.29

とあります。

12年に一回行われるというイザイホーは
1978年が最後となっているので、
その1つ前のもの。

 

 

ちなみに、

66年のイザイホーには、

「太陽の塔」でおなじみの芸術家、
岡本太郎が取材で来島しているので、
もしかしたらこのスライドの見物人の中に
岡本太郎が映って…いたりして…(未確認)。

 

 

今は途絶えてしまったイザイホーの、
貴重な記録です。

 

 

 

 

スライドはイザイホーのほかにも
各地の史跡も。

 

 

65.12.18

守礼門(裏)と園比屋武御嶽石門。

 

 

 

 

驚くことに、コザ騒動の時の写真も。

1970.12.20

 

 

この方はカメラマンではなく、
写真が趣味だったようです。

普通の家に、
このような貴重な写真って
まだまだ残っているものなのですね。

 

 

 

この写真を託された人が、
「これ、撮ってからブログに載せていいよ!」
って言ってくれたので、
一部、紹介させていただきました。

 

ありがとうございましたm(_ _)m


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中城ハンタ道マップ

2020年01月24日 | ・琉球歴史/文化風景


昨年の秋に「歴史の道百選」にも選ばれた
中城ハンタ道(中頭方東海道)。

 

中城ハンタ道が「歴史の道百選」追加選定(沖縄タイムス)

中城ハンタ道「歴史の道」に 文化庁、23年ぶり選定(琉球新報)

 

その中城ハンタ道をたどることができる
「中城ハンタ道マップ」
ができていました!

 

ルートや各ポイントの史跡、景勝ポイント、
近くの飲食店などが紹介されています。

 

 

ルートが分かりにくいところは
拡大表示されているので安心!

 

ただ、中城ハンタ道の特徴は
アップダウンが激しいこと!

以前実際に歩いた時のレポがこちら

 

距離の数字だけみて
「これくらいならいつも歩いてるから大丈夫さ~」
と余裕こいてて痛い目にあう…

なんていう話もしばしば。

 

 

そうならないために、
このマップには標高グラフがついている!

おお、これは親切

時間と距離の目安もついているので
参考にできますね。

 

私も昔歩いたことがあるけど、
このマップ片手に、もう一度歩いてみたいかも♪

 

中城ハンタ道マップは
中城村内公共施設、近隣の観光案内所などで
無料配布されていますので
気になる方はぜひゲットしてみてください~♪

 

 

注意

中城南小学校そばの糸蒲公園スタート、
中城城跡ゴールのルートです。

が、ゴール手前の中城高原ホテルが解体工事のため
現在はその中を通ってグスクまで歩くことはできません。
(その手前で立ち入り禁止になっているようです)


(2020.1.9)

解体工事が終わっても整備工事のため、
しばらくは立ち入り禁止が続くようなので
その点はあらかじめご了承ください。

 

また、
往復するとかなりハードなので、
帰りはタクシーなどでスタート地点に戻ることを推奨します。
そのつもりでご計画を☆


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若水汲みと年末詣

2020年01月02日 | ・琉球歴史/文化風景

あけましておめでとうございます

 

2020年になりました。

昨年は(私の人生史において)大きな転換の年になりました。

昨年の「転換した1年」を受けて、
今年は「前に進める1年」
にできればと思っています。

 

楽しくがんばります!

 

今年も「がじゅまるの樹の下で。」を
よろしくお願いいたします。

 

―和々―

 

 

 

さて、
お正月に合わせて行っている
「若水取り」

昔ながらの樋川から水を汲んで
お正月に使う、というもの。

前回は澤岻樋川と金武大川の
若水汲みを行いしました。

 

 

今回はどうしようかなーと考えた挙句、
南へ!

 

 

夏場の水遊びスポットとしても有名な
垣花樋川(かきのはなひーじゃー)

に行ってきました。

 

前回同様、元旦の早朝に行くのは
無理だったので、前日の大晦日に。

 

 

参考にしたのは、
前回同様こちらの本。

 

『おきなわ湧き水紀行』
(ぐしともこ著/ボーダーインク)


泡盛の水割り、スープ、コーヒーなどに
垣花樋川の水が使ってるエピソードが
紹介されています。


 

夏と変わらぬすごい水量。

どばどばどば~!!

 

動画→

 

 

汲ませてもらいました。

ほかにも水を汲みに来ている人が
途切れずに訪れていましたよ。
(ペットボトル10本分とか!)

 

 

水は自宅でろ過装置にかけたのち、煮沸。

お正月のお雑煮とコーヒー、白湯に使いました♪

 

 

 

 

若水汲み同様、
お参りも、年始の「初詣」ではなく、
年末の「年末詣」にしています。

 

今回は、南ということで「真壁宮」へ。

 

 

だいぶ前に来たことがあったけど
その時以来、久しぶりに訪問。

 

お正月仕様にはなっていませんでした。

 

 

糸満市の建てたオフィシャルの案内版がありました。

拡大↓

 

 

南山時代にさかのぼるとなると
かなり古い。

元々あった
真壁グスクの御嶽と弁財天が
合体したパターンかな。

 

 

真壁宮の案内板。
半年前にできたばかり。

琉球八社の沖宮の分社っていうのは
オフィシャル案内板の「臨海寺の和尚が…」
という部分のことか。

沖宮の神宮寺(併設寺院)が臨海寺

 

 

真壁宮の裏が真壁グスクです。

遊歩道もあったけど、
草ぼーぼーで完全に機能を失っていました…。

 

…ので、
遊歩道ではない、宮の右側から。

 

奥までは行けなかったので
手前のほう。

大きな岩。

 

 

岩の上のほうに
石積みらしきものがちらり。

崩れ落ちたであろう石が
下に落ちていました。

 

野面積みや一部切石積みがあるようですが…
せっかく遊歩道や展望台も設置しているのだから
草刈メンテナンスされるのを希望。

 

真壁宮ゆかりの岩(霊石)も
きっとこのグスク内にあるのでしょう。


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赤木名散歩

2019年12月25日 | ・琉球歴史/文化風景

前記事で書いた奄美大島の赤木名グスク

残念ながら赤木名グスクは満喫できなかったけど、
赤木名エリアは楽しみました。

せっかくなので、
いくつかご紹介。

 

 

奄美大島グルメといえば、
これは外せない!

鶏飯!!

鶏飯で有名な「みなとや」。

自分でそのつどよそおって
アツアツの出汁をかけて食べるスタイル。

本場の鶏飯、美味しかったです★

 

食べたら消費。
赤木名散歩。

 

 

大島代官所跡地。

「代官」ってことは
近世の大和世の時代ですね。

奄美大島の歴史区分の中には、
「那覇世」と「大和世」があります。

沖縄に「大和世」と「アメリカ世」があったというのと
意味合いは一緒。

 

 

サンゴ(だと思う)の石垣。

 

 

マンホールが海の生き物でした。

赤木名は海のそばで、
前田川とつながっています。

かつては海からこの川に入って
赤木名グスクのふもとまで行けたようで、
「船着場」や「船だまり」と呼ばれる場所もあったようです。

 

 

そしてもう一つ。

島料理居酒屋、
その名も
「ガジュマルの樹の下で」

 

当ブログを検索したら食べログが出てきた
という方もいらっしゃるのでは?

それが、こちらのお店です。

 

営業時間外だったので
食事などはできませんでしたが、
以前から(勝手に)親近感を持っていたので
記念に看板と一緒にパチリ。


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「グスク・ぐすく・城」展、みどころ10

2019年11月28日 | ・琉球歴史/文化風景

 

先週の19日から始まっている県立博物館の企画展、
『グスク・ぐすく・城』

前売り券もゲットして(しかも複数枚)、
早々と行ってきました!

 

会期は2か月間、
来年の1月19日までなので
これから行く、という方のほうが
多いかもしれませんね。

そこで、和々的見どころをまとめてみたいと思います★

 

まず、

内容もりだくさん

キャプションや説明パネルはやや専門的で固め

です。

専門用語もそうですが、言い回し(言葉選び)とか漢字の変換とか
一般的でないものも多かったので(ルビもほぼ無いし)
ちょっと固く、難しめな感じはしました。
正直なところ(^^;)

 

そこで、
まずアドバイスをするならば、

キャプションやパネル、
全部読んで全部理解しようとしなくてOK!

本読む時と一緒。
おいしいところ取りでいいんです!

最初から全部理解しようと頑張りすぎたら
後半疲れちゃうよ(^^;)

 

もちろん、ある程度知識があって苦に感じない人は
がっつりじっくり読んでもらっていいんですが、

う~ん、なんだか少し難しいな…と思った人は、
そういう部分は流し見程度にして、
「おっ!」と気になった「モノ」を見ることに
時間と気力を注ぐのが吉です★

 

大丈夫。

「おっ!」っていうモノ、たくさんあるから!

 

では、初心者でも大丈夫!
和々的、見どころ&押さえどころ10!

 

1 集落のAR(拡張現実)

普天間後原第二遺跡の集落跡。
発掘現場の写真や図面からだけではわかりにくい集落の様子が
タブレットを通してARで見ることができます。
タブレットを動かして色んなアングル、距離で見てみましょう★

 

2 与論グスク全景模型

様々なグスクのジオラマ模型を一堂に集めているのですが、
中でも与論グスクはこの企画展に合わせて作られた新作…だとか!?
かっこいい…!!
与論グスク、いつか絶対行く…!

なお、グスクジオラマ模型は
1階の常設展にも4つほどあるので
(座喜味、知念、下田原遺跡、浦上有盛遺跡)
常設展を見たことない方は、こちらも一緒に見るのをおすすめします♪

 

3 中城グスク防御ゲーム

兵士たちを任意の場所に配置し、
中城グスクの正門から攻めてくる敵から
一の郭にいる王様を守るというシミュレーションゲーム。

最初ゲームのシステムや操作が「???」だったのですが、
一度理解できれば何度でもやりたくなります。

ちなみに、私はゲームオーバーしました…。
(グスクの構造上、兵士をどこに配置すれば効果的なのかはわかってるんだよー!
操作に手間取っただけだもーん!)

今のゲーム操作に慣れている子なら
もっとすんなりできるのかもね(^^;)

 

4 今帰仁グスクVR(仮想現実)

今年の初めに5Gの実証実験として
今帰仁グスクで行われたVR。

あの時は限られた人しか体験できませんでしたが
やっと一般にもお披露目!

動画で自分自身がまるごとその世界に入り込む、という感覚なので、
高所恐怖症な私は、前半の演出に胆が冷えました(笑)

テレビではないので、正面だけを見てじっとしているのではなく
自分で横とか後ろとか下とか
いろいろ振り向いてみるのがポイントですよ★

動画自体は短いので、
もし空いてるなら2度3度見るのもおすすめ。

 

5 想定復元図

『歴史群像』などに掲載された
香川元太郎氏のグスクの想定復元図が
どでかく拡大されてどーーーん!!と!!

1枚だけじゃないよ!
那覇港!浦添!今帰仁×2!!
(…首里城も…?)

とにかくでっかいから、絵の端から端まで、
そりゃあもう、隅々まで見てほしい。
もうね、これだけでも1時間は眺めていられるわ。

歴史群像に載っていたときとは違って
細かい場所の解説などはないんだけど、
普通に絵としてもきれいだし、
細かいところまで描きこまれていて見応えあるので
じっくり観察してみてほしいです。

ちなみに今帰仁グスク図は2種類ありますが、
(北山戦と、北山看守時代)
北山戦のものはだいぶ昔に描かれたもののようで、
今見るといろいろと違う点があります。
(例えば「参道」が戦後に作られた直線道になってるとか)
今帰仁グスクに詳しい人は
そういう点を探すのも、ある意味面白いかもしれない。

 

6 兜の前立て

武器や武具のコーナーも充実!
琉球の武具は日本式。
だけど兜の前立て(鍬形)の形が琉球のものは独特で……

…って、あれ!?
「あの」前立てが展示されてる!?

あの前立ては首里城の「KUMIODORI300」展で展示されていて
例の火災で焼失してしまったはずでは…!?

学芸員さんに質問したところ
このタイプの前立てはいくつか出土していて
首里城で展示されていたのは似ているけど別のもの、
とのこと、でした。

なるほど、
KUMIODORI300のリーフレットと見比べると
確かに違う…。
(グスク展で展示されてるのはこれ↓)

このタイプの前立ては1つしかなくて
完全になくなったと思い込んでたから、
正直、びっくり&うれしかったのです…。

 

7 紅釉水注

グスクから発掘された遺物展示のうち、
特に注目してほしいのは、
首里城京の内から出土した陶磁器類の数々
…のうち、
「紅釉水注」という、赤っぽい水差し。

これ、世界でも4点しか確認されていないという
超絶スーパーレアものなのです!!
(北京の故宮博物院に2点、景徳鎮窯跡から出土した破片が1点、
そして、首里城京の内から1点)

これはとりあえず見ておこう!!

 

8 琉球のお金

尚泰久時代の大世通宝や
尚徳時代の世高通宝、
そして尚円時代の金圓通宝!

金圓通宝は佐慶グスク(レベルD)からの出土っていうのが
個人的にはツボだったのよね。

この琉球のお金を作るという
これまたマニアックなプログラムが
会期中行われます!

詳しくはこちらから→

 

 国宝・千代金丸

おなじみ、琉球宝刀「千代金丸」の実物(国宝)が来ています。

12月の途中からは今帰仁村文化センターのレプリカに変わるようなので、
実物で見ておきたい方は、お早めに!

 

10 君南風の勾玉

「君南風」とは王国時代から現代まで続く久米島の神女(ノロ)の名前です。

尚真王代のオヤケアカハチ討伐の際、
首里軍に従軍して功績をあげた神女として有名です。

王国時代から代々受け継がれてきた君南風の勾玉が…!!
テレビでしか見たことなかったのが、目の前に!!
さすがに、重厚感がすごかったです。

 

 

…うむ、キリがいいからこれくらいにしておこう。

 

本当はまだまだ語り足りないし、
マニアックポイントもあったりするのですが、
とりあえず、
初心者は初心者なりに、
マニアはマニアありに、
それぞれのレベルで堪能できる展示会だと思います。

 

じっくりがっつり見ると
所用時間2~2.5時間ってところでしょうか。

 

この機会にぜひ「グスク」の世界を楽しんでほしいです♪

 

 

【追記】

なお、マスコミで報道された見どころは
「首里城正殿1/10模型」です。
(首里城火災の影響でもっぱらこれ)

各マスコミがトップにしているので
あえてここでは取り上げませんでしたが…。

展示の様子がわかるニュース動画もはっておきます。

QAB 琉球王国のグスク展 首里城の姿も

RBC 首里城正殿の精緻な模型も グスク展始まる

 

 

+ + +

 

グスク展会期中に、
まだ記事にしてないグスク訪問記事、
色々アップしていけたらな~と思います。

とりあえず、

グスク100登城

レベル別グスク散策

の過去記事リンクを貼っておきます。


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雷岩と歴史の道

2019年11月13日 | ・琉球歴史/文化風景

 

40年余りの時を超えて取り壊し中の、
中城高原ホテル。

琉球浪漫ウォークの(満員御礼感謝!)、
ちょっと前の状況がこちら。

 

件の「雷岩」が見えておりました。

初めて見ました。

なんとなく、
もっと奥にあるものだと思ってたので、
意外とグスクからすぐそこにあることにびっくり。

工事で傷つかないように養生されて、
小屋のようになっています。

 

 

さらに、その後の風景。

ついに1番目立っていた高い建物もなくなりました。

なんだかここにきて、一気に進んだように思えます。

 

以前も記事にしましたが、
かつて、雷岩のところは三叉路になっていました。

今、雷岩の右側に見える道が、
宜野湾に向かう歴史の道(方向)。

雷岩の左側には、
中城ハンタ道があったはずです。

ペリーの旗立岩の案内板図に加筆(和々)

 

 

先月、中城ハンタ道(中頭方東海道)
国の歴史の道百選に選ばれました

 

おそらく、ホテル撤去工事が終わったら
ホテル内にあった歴史の道の整備も進むことでしょう。


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あなたにとっての首里城とは

2019年11月09日 | ・琉球歴史/文化風景



久しぶりの更新です。

 

その間、沖縄にとっては本当に悲しい出来事が起こって…
ご存じのように、首里城正殿をはじめ、多くの文化財が火災で失われました。

経緯、原因調査、管理者、現場の様子についてはもちろん、
首里城の歴史、戦後の復元の経緯、携わった人々の想い、意義など
全国的にも多くの報道がなされたので、
今わたしが改めて書くまでもありません。

戦後30年をかけて、多くの人の研究と伝統技術が集結し、
血のにじむような努力があって復元された首里城。
それは戦争でことごとく破壊された沖縄が、
失われた自らの文化を、
沖縄人としてのアイデンティティを、
取り戻す作業でもあったといいます。


首里城は物心ついた時から、生まれた時からあった
当たり前の存在、特に意識したことはなかった
という若い人も多いでしょう。

失われて初めて、首里城の存在の大きさを知った、
自分たちにとって首里城とは?を考えさせられた、
という声も多く聞かれました。

 

この機会に今一度、県民一人ひとりが歴史を知り、
首里城について考える機会になればと思います。

そしてそれをしっかり自分のものにして、
「再建」へのエネルギーに変えていきたいものです。

 

すでに県外や海外をはじめ、
多くの人が再建に向けてアクションを起こしています。

本当にありがたいです。

 

それぞれが考え、できることを、できるところから、
やっていけたらな、と思います。

 

個人的には
琉球沖縄の歴史・文化を知ってもらうこと、
楽しんでもらうこと、親しんでもらうこと。
そして郷土を大切に思えるよう、誇りに思えるよう、
アプローチをしていくこと。

特に、これからの再建を含めた、首里城を支える世代である
子供たちや若い人たちにとって。

 

そうですね、はい。
これまでと変わりません。

これまでと変わりなく、
でもある部分ではもう一歩踏み込んで、
これからも活動していきたいと思います。

 

 

______________________

 

首里城再建にむけての主な募金先まとめ
※募金詐欺も出ているようなのでご注意を!

首里城基金
(ワタシはよりダイレクトなこちらを)

那覇市ふるさと納税クラウドファンディング

沖縄県内メディア8社共同県民募金

 

______________________

 

●首里城再建チャリティー芸能公演~中城からの祈り~

中城村の伝統芸能団体が集まっての首里城再建チャリティー公演。
古典音楽、琉舞、獅子舞、エイサー、
そして県指定無形民俗文化財の伊集の打花鼓(ターファークー)と盛り沢山!

11/10(日)午後6時半〜
中城村吉の浦会館にて
入場無料

知り合いが関係者として頑張っています!お近くの方はぜひ。

 

トップ写真は再掲載。夜景写真+レタッチです。


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組踊300周年の集大成!御冠踊と組踊「銘苅子」

2019年10月06日 | ・琉球歴史/文化風景

 

国立劇場おきなわ研究公演
御冠船踊と組踊「銘苅子」

2019年10月5日(土)

国立劇場おきなわ組踊公園特設ステージ

 

 

楽しみにいていた公演!

どれくらい楽しみだったかと言うと、
この公演のことを知り合いの琉舞の先生から聞いて
すぐに予約電話したら

「予約は9月1日からになりますね~

と言われたくらい(笑)
2ヶ月もフライングしてしまったわ。

 

 

この公演は朝薫が組踊を創作した1719年から
王国解体までの6回の冊封時の資料を元に
当時の姿、様式、演出を追い、
可能な限り再現に近づけるという試み。

 

2019年、組踊300周年の集大成は、
まさにこの公演だった
と言えるでしょう

 

 

 野外公演、ということで心配していた天気も
見事な秋晴れ!

気温も湿度もいい塩梅で、
風も強すぎず、爽やかなそよ風で
それが風車をくるくる回したり
天女の羽衣をふわりと見せたりと
演出にも一役かっていました。

虫の声…は
あいにく近くを通る車の音に干渉されてしまいましたが
上弦の月が煌々と広場を照らし、
野外ならではの空気感を味わうことができました。


心配していた座席構造ですが、
2列ごとに段差がつけられており、
もちろんホールのように、とはいかなくとも
後ろの人もなるべく見えるようにとの
充分な配慮を感じることができました。

(脱帽の配慮を願うアナウンスもありました)

 

う~ん、さすが

 

 

今回の研究公演までに
関連する首里城講座や
国立劇場おきなわの9月研究講座も
全部参加していたので(ガンバッタ!)

舞台構造やその歴史や意味、
他文化や他地域の比較、現行のものとの相違など
背景も学んで公演を見ることができたことも良かったです。

 

 

今回のために特別に設置された舞台は
朝薫の時代の記録(中山伝信録)を元にしたもの。

能舞台のように、四角く囲まれた舞台に楽屋とをつなぐ橋掛り。

背景となる紅型幕も、上手下手もなく、
演者の出入りは橋掛りのある一方だけ。

舞台構造が違えば、演者の出入りや立ち位置や演出も変わる。

音楽も能の鼓を入れたり
端折らずに全曲通したりと
現代とは違う点もままあるようでした。

 

それでは御冠船踊と組踊について
それぞれの感想を。

 

 

●入子踊

元服前の若衆がメインとなる入子踊。

これに後見人的枠割もある青年(二才=ニーセー)と、地謡が加わり
3重の輪になって、円を描きながら踊るというもの。

入子踊の演目は朝薫の時代よりも古く、
500年前(古琉球!)から続いていると考えられているようで、
私はイザイホーでみるような神踊(神舞)をイメージしていました。
(ルーツはそこかもしれない)

音楽も打楽器と歌をメインとし、
サンシンなどの旋律を奏でる楽器は皆無。

でも歌の抑揚がかなり効いていたり
華やかな小道具(色扇子、菊、風車、鳴り物)をとっかえひっかえ踊ったり
テンポや動きもはつらつとしていて
神踊のような原始的で厳かな雰囲気ではなく
華やかな印象を持ちました。

なお、振り付けに関しては史料が残っていないので
創作だそうです。

元服前の若衆ということで
今回も資料に忠実に、小中学生が踊っていました☆

そうそう、これらの踊りを率いて、見守っていた
天孫氏と大黒天がいたのは興味深かった。

天孫氏!琉球で最初の伝説の王統。

実態を持った天孫氏を見るのは初めてかもしれない。

 

 

●老人踊

お馴染み、「かぎやで風」を。

踊る前の口上付きで。

「翁」は背も高く
腰を曲げているわけではないけれど、
歩く、座る、立つなどの仕草や
踊る仕草に、老人の風情を感じました。

『黙示録』で主人公二人が
富士山を前にして老人踊をするシーンを思い出しました。

 

 

●扇子踊

こちらは衣装にくぎ付け。

3人で踊っていたのですが
真ん中の方の紅型がなんだか大和風に見えて珍しく感じました。
柄?色合い?
もっと近くで見たかった。

 

 

●組踊「銘苅子」

実はちゃんと通しでみるのは初の「銘苅子」でした。
(だから土曜公演を選んだのだ)

鮮やかな薄衣の羽衣が、夜風をはらむ様が美しかった。

子どもたちが母(天女)を探してさ迷い歩くシーンは
曲を端折らず全通しで、とにかく……………長…かった…

後の時代(現代)に、はしょられてしまうのも
なんだかわかる気がしたよ。

 

「おや?」と思ったのは、
銘苅子が結構表情豊かだなぁということ。

組踊は感情をかなりそぎ落として
目線やわずかな顔の傾きなど、最小で表現するので
目に見えて分かりやすい表情と言うのはあまり無いのですが、

銘苅子が天女に出会った時や
首里から冠位をもらった時などは
目に見えて喜んでいて
ちょっと俗っぽさ、と言ったらあれですが、
人間味を感じました。

そして、喜ぶ父ちゃんの横で
特に(同じような)反応を示さない姉弟に

母との別れと引き換えに冠位をもらうことが
本当にこの子たちにとって幸せなのか

って思っちゃった、よ、ねーー。

 

銘苅子は天女と出会った時の問答も
屁理屈こねたりして、何かと人間くさい。

さっき、組踊は最小の感情表現って書いたけど、
そういえば三枚目キャラは割と表情出してる感じかな?
(寺の小僧とか、盗人とか…)
ってことは銘苅子は3枚目キャラ寄りか?
…でも、そうだとしたら妙に納得

 

出番も天女や子どもたちの方が多いし、
天女の昇天や親子の別れと悲しみなど
物語のメインの見せ場には銘苅子はいないのに、
なんでタイトル「銘苅子」なんだろね。

銘苅子の出番って
天女の出会いと、首里からの冠位授かりの時くらいで、

つまり、
屁理屈問答や
首里の恩恵に子供の気持ちそっちのけで喜ぶ、
少なくとも徳高い男性には見えないんだけど(苦笑)

…なんでタイトル「銘苅子」なんだろね。
(当時の男社会、士族社会の関係かな)


そんな銘苅子には
やっぱりこれを思い出しちゃうのよね…。

 

でも、そんな銘苅子…

嫌いじゃない……( ˘ω˘ ;)

 

 

そして最後は!!

今回の公演の目玉でもあり、
私の1番の目的でもあった

からくり仕掛け花火!
(こちらは朝薫時代ではなく、尚泰の冊封時の記録を元に復元)

現役時代はなにかと報われなかった安里さんの花火が、
150年の時を経てよみがえる…!!

良かったね安里さん…(´;ω;`)

 

講座も受けて、準備段階の制作者の映像も見て、
いっぱいイメージも膨らませていたけれど、

やっぱり実物はすごかった!!

スピード感というのかな。

勢いが私の予想の1つ上を行っていた!

爆竹!噴火!!火車!!!

やべぇーーーー(゚∀゚)ーーーー!!!!

ちょっとスムーズに出なかった仕掛けもあったっぽいけど、
まさにこの絵図通りの姿を見ることができて


感無量

でした

 

 

記念すべき歴史の1ページに立ち会えてよかった

 

いずれ、火花方日記にある5体すべての花火が復元されて
5体一気に見れる機会がくることを期待しています!

 

 

なお、この公演の様子は
10/7(月)のRBC夕方のニュースでも特集するみたいなので
是非こちらもチェックしてみて下さい!

研究講座の時から取材カメラもいっぱい入ってたので
7日のRBCニュースだけじゃなくて
他局でも放送されたり、特番とかもあったり?
と思ったりもしています。

 

 

公演前の関連放送も貼っておきます
(おそらく見れるのは期間限定です)

組踊〝初の花火〟再現へ 奮闘する男性に密着(QAB) 

特集・組踊に花添える「からくり仕掛け花火」復元へ(RBC)

 

 

*追記(当日の様子)*

特集 初の組踊野外公演で仕掛け花火 (RBC)

Qプラスリポート 組踊 300年前の花火が復活 (QAB) 


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鍛冶屋とかぎやで風

2019年09月29日 | ・琉球歴史/文化風景

(前記事のつづき) 

国頭村奥間にある、
東カンジャーについて。

 

迫害された金丸をかくまった
奥間鍛冶屋。

 

さて、
時が流れ、金丸が王になった時、
奥間鍛冶屋への恩い報いるため

鍛冶屋の長男に官職を与えようとしたが
家業を守るため辞退したため、
次男が国頭総地頭に、
その子孫(4代目)が国頭按司となり
明治時代まで続く按司家になった。

 

 

祠の中にある書は、
その時、喜びのあまり歌ったのが
「かぎやで風節(鍛冶屋手風節)」。

 

あた果報のつきやす

夢やちやうも見だぬ

かぎやで風のつくり

べたとつきやさ

 

大きな果報が得られようとは

夢にも見ない事であった

鍛冶屋で色々ものを作ってきたが

そのおかげで果報が身にぴったりとついた。

 

 

「かぎやで風節」の原歌であると伝わっているそうです。

 

 

なるほど。

 

かぎやで

って

鍛冶屋で(手)

ってことか。

 

「かぎやで風節」の由来も色んな話がありますね。

 

 

書はボロボロでしたが

そのまま石碑にしたものが
祠に行く手前に建っています。

 

 

東カンジャー関係、
あと一つ、つづきます

 

 


 

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奥間鍛冶屋

2019年09月28日 | ・琉球歴史/文化風景

 

国頭村奥間にある、

東(アガリ)カンジャー。

カンジャーとは、鍛冶屋のこと。

 

奥間、鍛冶屋、
と聞けばピンとくる方もいるのではないでしょうか。

 

 

第二尚氏の祖、金丸(尚円)が
故郷・伊是名島を追われ、
本島に渡り、宜名真に仮住まいしていた時。

そこでも迫害を受けたが、
奥間鍛冶屋が与那覇岳に彼をかくまい、
食料を運び、助けた、

という伝承があります。

 

いわば、

金丸の恩人

ということになりますね。

 

 

…が、

 

奥間鍛冶屋にかくまってもらっている最中なのか、

金丸は奥間大親の娘に手を出し

更に奥間を追われた、

という話もあるようです。

 


そして名護の汀間、久志へと下っていく…

 

 

 

……金丸~!😂

 

 

(つづく)

 

 


「新 琉球王統史2」(世並岳生)
「沖縄拝所めぐり300」(比嘉朝進)
「くんじゃん徒歩ナビ(奥間区編)」(国頭村)



キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガより




 


 

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