朝4時起きで、今めっちゃ眠い和々です(^_^;)
明けゆく空を眺めながら北山から那覇空港までドライブ。
空港は一年半ぶりです!
さて、今日からしばらく沖縄を離れます。
旅行記もかねて、時々モブログはしようと思ってますので
しばしお付きあいください(^_^)
では、いってきま~すヽ(・∀・)ノ
金丸は伊是名に生まれ、24歳までここで過ごしたとされています。
その間に、15歳違いの弟(=尚宣威しょうせんい)も生まれ
おそらく村の娘と結婚もしています。
両親が死んだのは金丸が20歳の頃。
普通の村の男として生活していた頃の金丸。
「尚円王御庭公園」には
そんな普通の男だったころの金丸にまつわる伝承の史跡が集まっています。
その中からいくつかまとめてご紹介。
まずは「みほそ所」
この場所は尚円生誕の屋敷敷地らしく、
尚円のみほそ(=へそ)、つまりへその緒が埋まっているとかなんとか。
現在は拝所になっています。
もう一つは「くだみ石」
御庭公園の敷地沿いにあったもの。
側にたてられていた看板によると
「金丸が馬に乗るときに踏み台にした石」
とな。
そして「潮平井」
金丸が生まれた時に浸かったという、ウブガー(=産井戸)。
広場にはメインの尚円金丸像。
その手前には尚家22代当主、尚裕さんの植樹した木が。
伊是名村の名誉村民になった時の記念植樹だそうです。
言うまでもなく、
金丸はここ伊是名ではヒーロー中のヒーロー
それも正統派さわやかヒーロー
銅像もかっこよかった!
銅像についてはまた別記事で♪
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ちょうど今日はここで尚円王まつりやってるはず♪
曲げ痕ついちゃっててスイマセン…;
りゅうぎん紅型デザインコンテストと、那覇市歴史博物館、
行ってきました
いや~、紅型ももちろん良かったですが、
なんか出品数少なかったのかな?
歴代の受賞作品と、首里高染色科の子たちの作品が
大部分を占めていた印象でした。
で、那覇市歴史博物館がめっちゃ面白かったです!
企画展の「セピア色の輝き」展、見ごたえ抜群!
戦前の沖縄の風景絵ハガキの数々。
戦争で破壊されつくされるまえの那覇の街並み、建物、文化財。
県庁とかだいぶ今と全然違ってて、なんか国会議事堂みたい(笑)
郵便局も山形屋も大正ロマンって感じでしたね。
またこういった‘新しい建物’だけでなく
‘昔の建物’つまり琉球王国時代の建物が見れるのも貴重。
首里城はもとより、円覚寺、宗元寺、三重グスク、波之上宮、中城御殿etc…
現在復元されていないものもあるので
リアルな王国時代が残る姿はまさに「テンペスト」の風景です(笑)
王国時代と大正ロマン、
ガラリと変わった2つの那覇市の姿が一緒に見られてお得です。
また常設展の中でも
横内家資料(複製)として「沖縄県首里旧城図」っていう
首里城の見取り図があったんだけど
すごく細かくて面白かった!
(いつ制作のものなのかな?書かれてなかったけど…)
で、これによると、左掖門つまり暗シン御門のクランク、
以前ワタシが書いたこの図と逆ですな。
こう。
正殿側から入ると右曲がり。
御内原側は寄満の裏に出る感じ。
以前もコメントで向きが逆ですよ~ってもらってたけど実際に確かめられて満足
御内原の復元はまだまだなので
この図の詳しさは色々とイメージできて面白かったです
(縮図版あったらほしい!(笑))
特別展示室の国宝展示は
国王の紺地龍丸文様緞子唐御衣装と千代金丸!
こっちでも龍は5本指!
清朝からもらった龍の反物は全部5本指!?
それともこれが龍ではなく蠎(ウワバミ)だというのなら指の数関係なし!?
…そのうち龍(蠎含む)の指チェック、一覧にしてみようっと。
まぁ、そんなこんなで色々と楽しめる那覇市歴史博物館なう、です。
企画展は8/29まで!
是非チェックしてみてください
那覇市歴史博物館(パレットくもじ4F)
10:00~19:00
木曜日休館
一般観覧券(常設展・企画展)
大人/300 円 大学・高校生/200 円 中学生以下/100
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/
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夜は高校時代の友人たちと飲み+girl's talk.
久々だったので楽しかった~♪
伊是名の南側にある二見ヶ浦海岸。
そこにそびえたつ2つの岩。
海にあるのが「海ギタラ」
手前の、陸にあるのが「陸(あぎ)ギタラ」
ギタラとは、切り立った岩、という意味だそう。
いつ頃にできたものか、
なぜこのような形になったのは謎らしいですが
昔から伊是名で神聖視されてきた岩です。
海ギタラ。
水平辺の向こうに小さくポツンと見えるのが伊江島(いえじま)タッチュー。
(※広角レンズで撮ってるのでオーバーパースで写ってます^^;ホントはもっと近く見えます)
おっ、ココから見たらちゃんとサンカクに見える
よかった、タッチューは、まだちゃんとタッチューだ(笑)
振り返ると陸ギタラ。
こちらの方が鋭くそびえてます。
手前になるのは戦争の慰霊碑。
二見ヶ浦海岸からみた2つのギタラ。
毎年欠かさずに観に行っている
りゅうぎん紅型デザインコンテスト。
今年もこの季節がやってきました!
帯や着尺ではなく、B2パネルの紅型作品群は
古典と言うよりも現代的なデザイン。
作品も年々密度が濃くなっていっていて見ごたえ抜群!
過去の受賞作品はこちらから見れます→★
今年の大賞は新垣優香さん、
なんと2年連続の大賞受賞!スゴスギ!
ステンドガラスのような新感覚紅型作品です。
ワタシは紅型、ここ2年ほど手をつけていませんが
また再開したいな~。
↑写真は4年前の今頃せっせと実験制作していた
紋切り型染めの部分。
「りゅうぎん紅型デザインコンテスト受賞作品展」
8/15(水)〜20(月)
リウボウホール(リウボウ7F)
10:30〜20:00 ※最終日は17:00にて閉場
入場料/無料
また、同じ建物(※パレットくもじ)の4Fにある那覇市歴史博物館では
セピア色の輝き~絵ハガキに写し出された戦前の沖縄~
が開催中!
常設の尚家関係資料展示では国宝
千代金丸と国王衣装です!(~8/29)
この週末、是非足を運んでみてはいかがですか?
ワタシも週末にまとめて見にいこうっと
那覇市歴史博物館(パレットくもじ4F)
10:00~19:00
木曜日休館
一般観覧券(常設展・企画展)
大人/300 円 大学・高校生/200 円 中学生以下/100 円
安っ!
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/
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スムージーボトル買いました。
これからは計り買いです(^ε^)
さんかく山の2つ目の史跡。
伊是名城跡。
つまり、伊是名グスクです。
伊是名玉陵の後ろの山が伊是名グスク。
伊是名玉陵の左上の方を眺めると
城壁が残っていることにも気付くはず↓
伊是名グスクができたのは13~14世紀。
作ったのは鮫川大主(さめかわうふしゅ/さめかわうふぬし)。
※佐銘川大主とも書きます。
尚巴志の、じいちゃんです。
鮫川大主は隣島・伊平屋(いへや)からここ伊是名に移り、
この伊是名グスクを作ったと言われています。
そして、沖縄本島へ渡り、佐敷(さしき)に移るわけですな。
なぜ本島に移ることになったのかというと…。
鮫川大主は農業に精を出し、彼の畑はいつも豊かだった。
蔵には穀物がいっぱいで、
貧しい人たちに分け与えたりもしたので
人々からとても感謝されていた。
しかしそれを羨んだ人たちが
鮫川大主を殺して蔵を奪おうという計画を立てた。
漁に出ている時に、その計画を知らされた鮫川大主は
そのまま島に戻らずに本島に渡り、
そして佐敷へと移り住んだ
というもの。
金丸が本島に渡った伝承と余りにも似ていることから
金丸の方は後世の作り話、という人もいますが、
どうなんでしょうねぇ、はてさて。
その真相はさておき、伊是名グスク。
様子をうかがうつもりで山の中に入ってみると、
あらまぁ、石積みがワタシを誘うように
上へ、上へ続いているではありませんか(笑)
…え、これって当時のもの???
当時のものもあるようですが
あまりにも登山ルートっぽくなってるので
そうじゃないものも混合してたりするのかな?
この山に登る予定ではなかったので
(っていうか、登れるもんとは思わなかった)
グスカー装備もままならず
いつものハブ蛇棒は持ってきてなかったので
その辺で蜘蛛の巣よけにするための枝を拾って。
(※伊是名はハブがいないのでその点では躊躇なく藪へダイブ!(笑))
でもさすがに靴がかかとなしのサボサンダル(ヒールあり)はさすがにアレでした
とりあえず勢いでたぶん8割くらい?上までは登りましたヨ。
(↑の御嶽を過ぎてもうちょっと上まで)
しかしこの時は迂闊にもペットボトルを持参していなかったので
滝のように流れる汗と動悸に
…ちょっとヤバいかも
と思って、下山しました。
こんなところで熱中症や脱水症状で倒れたらシャレにならん。
(この時は一人だったのでね)
でも水持ってたらガンバッて頂上まで行ったな~(笑)
↑下山の道のり。
道見えね~し
さんかく山、全景。
(海の向こうにうっすらと見えるのが沖縄本島の国頭(くにがみ)です)
中腹辺りに建物があったりしたのかな~?
第一尚氏ゆかりの遺跡である伊是名グスクと、
第二尚氏ゆかりの遺跡である伊是名玉陵がくっついている不思議なさんかく山。
セットで楽しめる史跡だけど、
この2つは時代も背景も全く違う別のもの。
むしろなぜこの2つが同じ場所に?
と考えるとまた楽しいかもしれませんね。
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鮫川大主は少年時代を描いたことあります。
(父ちゃんの屋蔵大主、妹の我喜屋ノロさんも一緒に)
伊平屋の現代版組踊+伊平屋巡りツアーの提示資料用に描きました。
ちなみに舞台のストーリーテーラーは“琉球歴女”だったとか(笑)
前記事で書いた伊是名島のさんかく山。
この山には2つの史跡がくっついております。
まずは1つめ、伊是名玉陵(いぜなたまうどぅん)。
玉陵、つまり、陵墓です。
お墓です。
誰のかと言うと、金丸…じゃなくて、
金丸の父母、姉、親戚たち。
そして金丸、…いやここからは尚円と書きましょうか、
尚円の後妻であり尚真の母、
琉球王国最強の(!?)女帝、オギヤカ様。
そしてそして、
22代尚家当主の尚裕(しょう ひろし 1918 -1996)さんも
遺言により、生まれ育った東京ではなくここに眠っております。
世界遺産に登録もされている首里にある第二尚氏の陵墓「玉陵」は
尚真が父・尚円を祀るために作ったものですが、
母であるオギヤカの勧めがあったであろうことは想像に難くありません。
つまりオギヤカが作らせたとも言えるでしょう。
オギヤカはこの玉陵に入るべき人のリストまで作って、
これに反するものは祟ってやる
とまで書かれていて、呪いの石碑と言われていたりします
一説では玉陵はオギヤカは尚円のためといいつつ、
自分のためにこの巨大な陵墓を作らせたのでは、
とも言われていますが、
オギヤカの棺は玉陵にはなく(もしくはハッキリしていない)、
この伊是名玉陵の左の墓室に
オギヤカの名前(=世添御殿之大按司宇喜也嘉(よそいうどぅんのおおあんじおぎやか))
が入った石棺があるのだとか。
ちなみにこの伊是名玉陵も尚真時代にできたものらしいです。
ここにオギヤカが葬られたのはオギヤカ自身の意志なのか、
それとも後の時代になって移されたのか、
それとも別に真実があるのか…
考えてみると阿麻和利の墓ばりに謎めいていて面白いですね♪
そもそも尚円とオギヤカは幸せなラブラブ夫婦だったのか?
って所から想像してみると楽しいかも(笑)
個人的には結構仲良くやってたようなイメージありますが…。
でも普通の「純愛」ではなさそう
尚家22代当主の尚裕さんが遺言により
ここに葬られたのも色々考えさせられますね。
(ちなみに現在は23代尚衞さん)
尚裕さんは、尚家のもつ膨大な資料や美術品、
そして不動産である識名園や玉陵、浦添ようどれなどを沖縄県・各自治体に寄贈し、
琉球王国の文化財保護にご尽力されたお方。
現在は世界遺産、そして国宝に指定されている
超一級のものばかり。
聞くところによると色々と清算しようとしていたのだとか?
(この言葉は正しくないかもしれませんが…(>_<;))
ここ伊是名に葬られるのを希望したというのは
原点(ルーツ)に戻るっていう気持ちがあったのかな…
と想像してみたり。
ここでは年に1度、公事清明(クージシーミー)が行われ、
これが終わらないと一般のシーミーはできないのだそう。
前は中にも入れたようですが、
今は保護のため立ち入り禁止になっていました。
拝みの場所も入口に設置されてました。
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写真の色が違うのは1日目と2日目の写真が混ざってるから。
そう、2日間とも行ったんです(笑)
オギヤカさん…分かりやすく高飛車な感じに描いたけど(@琉球戦国列伝)
全くそうではない、逆イメージの顔・雰囲気でもいいかもな~(^ε^)
いつか描いてみよう。
ピラミッドは伊是名にもあった!?
…と言いたくなるような
なんと見事な四角錐。
伊是名島の象徴でもある通称さんかく山。
映画「さんかく山のマジルー」のロケ地にもなっています
(伊是名島まるごとロケ地。あー、またこの映画見たくなってきた(*^m^*))
また、このさんかく山は、丸ごと史跡なんです
(つづく)
今日は久々に肝高の阿麻和利モード。
賢雄イイよね、賢雄…
さて、肝高の阿麻和利つながりでお知らせです
明日8月12日(日)、毎年恒例の「きむたかっ子祭り」が開催されます!
以下、あまわり浪漫の会ブログより↓
『太陽カンカン チムドンドン 騒げ!燃えろよ!子祭りだぜ~』
~キムタカ魂で夏の暑さを吹き飛ばせ!ワイルドだろ~!!~
2012年8月12日(日)
16:00~20:00
きむたかホール前芝生、シビックセンター
≪入場無料≫
ステージ、展示、出店、体験など!
明日は天気もよさそうなので、
遊びに行ってみては?
展示も充実していて見ものですよっ!
…ワタシは行けないので
情宣で応援デス
昨日写真データ整理をしてたら出てきた。
一昨年に撮った儀間真常のお墓。
儀間真常(ぎましんじょう)は近世琉球の5大偉人の中の一人です。
ちなみに5偉人は
儀間真常、羽地朝秀、程順側、蔡温、儀湾朝保
です。
古琉球5偉人とかだったらどうなるんだろう…。
尚巴志、金丸、尚真は外せないと思うが、察度も外せないし、
王様以外とかにしないとダメか?
話を戻して、儀間真常。
聞いたことある、っていう人も少なくないはず。
琉球における産業の父でござんす。
甘藷(サツマイモ)、木綿、砂糖etc…。
ちなみに甘藷は琉球に伝えたのは野国総官、
広めたのが儀間真常。
実はこのイモコンビ、昔描いたことあります。
今ならもうちょっと人物としてのイメージあるかなぁ(笑)
お墓の説明板にもあったように
儀間真常は唐名だと麻平衡(ま へいこう)。
名乗り頭は「真」。
なるほど、テンペストの麻真譲先生の名前は
儀間真常が‘もと’のようですね。
(モデルとまでは言わないまでも…)
古琉球つながりで言うと儀間真常は大城按司・真武の後裔らしい。
今日もご訪問ありがとうございます。
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今日は裏のオシゴト、がんばります。