今日は一日雨。いつ降っていたのやら、いつやんだのかわからないような、それでも降り続けているという雨模様。パソコンの位置替えをして、しばらくたちます。壁から窓際に移しました。台所兼居間のスペースに置いております(聞こえはよいのですが)。窓からは柚子の木がそばに見え(ちなみに、家には庭はありません)。柚子が枝全体になっております。ということで柚子の詩。
柚 竹内勝太郎
冬のあたたかい日当りに
緑色の葉と黄いろい柚の実。
妹の笑いのように純な心の幸福。
ここから、蜜柑へと話をうつします。
漱石の俳句に
累々(るいるい)と徳孤(こ)ならずの蜜柑哉
半藤一利氏は、この俳句の解説をして
「熊本市西郊の河内地区から天水町への海岸線は、ミカンの名産地。漱石先生も来熊の年の秋から冬へ、その見事なミカンのなりようをみて、目をみはったに違いない。・・・・そこでふつうの俳人ならさっそく写生句、となるところを『論語』をひっぱりだして独得のものとする、そこに漱石先生の真骨頂がある。すなわち、里仁篇の『徳は孤ならず必ず隣あり』を、いっぱいのミカンのなっている風景とした。たしかに蜜柑はそんなふうに生(な)る。・・・」(「漱石俳句を愉しむ」PHP新書 p133)。
うんうん。今年の、柚子も孤ならずの盛況ぶりです。
平岡敏夫著「『坊つちやん』の世界」(塙新書)に
【ただ一本の蜜柑の木 「坊つちやん」における自然と人間】という章がありまして、読み飛ばしておりましたが、あとあとになって気になって思い浮かぶのでした。
柚 竹内勝太郎
冬のあたたかい日当りに
緑色の葉と黄いろい柚の実。
妹の笑いのように純な心の幸福。
ここから、蜜柑へと話をうつします。
漱石の俳句に
累々(るいるい)と徳孤(こ)ならずの蜜柑哉
半藤一利氏は、この俳句の解説をして
「熊本市西郊の河内地区から天水町への海岸線は、ミカンの名産地。漱石先生も来熊の年の秋から冬へ、その見事なミカンのなりようをみて、目をみはったに違いない。・・・・そこでふつうの俳人ならさっそく写生句、となるところを『論語』をひっぱりだして独得のものとする、そこに漱石先生の真骨頂がある。すなわち、里仁篇の『徳は孤ならず必ず隣あり』を、いっぱいのミカンのなっている風景とした。たしかに蜜柑はそんなふうに生(な)る。・・・」(「漱石俳句を愉しむ」PHP新書 p133)。
うんうん。今年の、柚子も孤ならずの盛況ぶりです。
平岡敏夫著「『坊つちやん』の世界」(塙新書)に
【ただ一本の蜜柑の木 「坊つちやん」における自然と人間】という章がありまして、読み飛ばしておりましたが、あとあとになって気になって思い浮かぶのでした。