和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩人思想人も歌う。

2008-02-13 | Weblog
最近でていた「阿久悠のいた時代」(柏書房・責任編集篠田正浩・齋藤愼爾)の編集後記を覗いてみました。その齋藤愼爾さんの言葉に、こんなのがあったのです。
「例年忘年会の流れのカラオケ店で、各自一曲歌わなければならないという取り決めに、吉本隆明氏は『五番街のマリーへ』を歌った。『ジョニイへの伝言』を熱唱した年もある。戦後思想の巨人と阿久悠氏との予期せぬコラボレーションに私(たち)がある種の衝撃をうけなかったといえば嘘になる。・・」

え~と。このあとが肝心なのですが、それはそれとして、引用の吉本氏といえば「現代日本の詩歌」(毎日新聞)という楽しい語りの一冊を思い出しました。そこでは俳句・短歌・現代詩に混じって中島みゆき・松任谷由美・宇多田ヒカル・西条八十と歌詞が紹介されていくのでした。なぜ思い出したかというと、ここでは阿久悠は登場してなかったのでした(確か登場しなかったと思います)。カラオケで歌うけれども、取り上げないという微妙な位置のありか。それを思うのでした。
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うしろにもう行列が。

2008-02-13 | Weblog
富士正晴編「伊東静雄研究」(思潮社)に、庄野潤三「日記から」が入っておりまして、そのはじまりはこうでした。
「戦後に伊東先生が私に云はれたことで、この頃よく思ひ出すのは、『短篇を書く時は長篇小説の一部を書くつもりで書きなさい』といふ言葉である。私はまだ何も書いてゐなくて、しかし何か書きたいと思ってゐた。・・・・・」(p301)。

「杉山平一全詩集」上下(編集工房ノア)のあとがきで、杉山平一氏ご本人が書いておりました。そのなかに「短詩も散文詩も雑多に一緒にした上に、私ごとのため同じ話が重なったりして申訳なくご容赦願いたいが、どれも私自身のものとして、別のものではないことを祈るばかりである。篠田一士さんは、よく私をかげで評価してくださったが、晩年、そろそろ、全詩業をまとめては如何ですかと便りを下さった。詩集ではなく『詩業』といわれたのが強く印象に残っている。」

「単なる詩作品ではなく、『詩業』といわれた・・」と、あとがきに書いておりました。とりあえず、杉山平一氏の詩をすこし並べてみましょう。

詩集「声を限りに」は、詩「退屈」の次に「遅刻者」がありました。

    遅刻者

 飛行機や超特急で、ずいぶん時間が短縮さ
 れたのに、出発前一時間も前から出発点に
 きて待つている人があります

 また発進の合図が終つたころ、カタカタカ
 タカタ音をさせて、いきせき切つて走つて
 乗り込む人があります

 それからまた、出発したあとのガランとし
 たホームにとび込んできて、つつ立ち、ぼ
 んやり時間表などを見あげて、ひとり言を
 いつている人があります
 それが私です



詩集「木の間がくれ」に、詩「いま」。

   いま

 もう おそい
 いつも
 そう 思った

 いまから思うと
 おそくはなかったのに

 まだ 早い
 いつも そう思った
 そうして いつも
 のりおくれた
  
 大事なのは いまだ
 やっと 気がついた
 もう おそい
 か



未刊詩篇に詩「いま」があり、平成5年5月「ひめまつ」に掲載とありました。それも取り上げておきます。


  いま
 
 もうおそい ということは
 人生にはないのだ

 おくれて
 行列のうしろに立ったのに
 ふと 気がつくと
 うしろにもう行列が続いている

 終りはいつも はじまりである
 人生にあるのは
 いつも 今である
 今だ





 詩集「声を限りに」は、昭和42(1967)年。
 詩集「木の間がくれ」は、昭和62(1987)年。
 未刊詩篇「いま」は、平成5(1993)年。


「詩集ではなく『詩業』」
「短篇を書く時は長篇小説の一部を書くつもりで・・」
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