和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「画文共鳴」

2008-02-21 | Weblog
毎日新聞2008年2月17日「今週の本棚」。
そこに井上章一の書評がありました。取り上げられている本はというと木股知史著「画文共鳴  『みだれ髪』から『月に吠える』へ」(岩波書店¥3570)。これが魅力ある紹介書評で、大変参考になりました。といっても買って読もうとは思いません。せめて、ブログに書きとめておいて、いつか参考になる機会もあるだろうと、そう思うばかり。
こんな箇所があります。
「晶子は後年、この『みだれ髪』を、あまり評価しなくなる。・・『みだれ髪』を世に問うたころの晶子は、『明星』という雑誌へその身をよせていた。『明星』には、洋画家たちの挿絵が、よくつかわれている。当時は尖端的だとみなされていた裸体画、女のヌードもしばしばそえられていた。それで、当局からの摘発もうけている。こういう絵は猥褻だから、のせるな、と。だが、『明星』も負けてはいない。芸術に理解のない当局をあざけるような言辞も、かえしていた。かたがた、芸術という立場をまもるよりどころとしても、自らの雑誌を位置づけたのである。それが『明星』の文化戦略であったということか。晶子の女体美を礼賛した歌も、そんな『明星』の戦略とともにある。三十一文字で書かれたヌードという面も、そなわっていた。のちになって晶子がいやがったのも、そういうところであったろう。芸術か猥褻かといったやりとりの、素材とされたところに、反感をいだいたのではないか。」
蒲原有明の象徴詩についても、おやっと思う記述があります。
「正直に書くが、私はこのころに書かれた象徴主義の主張を読んでも、よくわからない。だが、青木(繁)の絵だ、『海の幸』だったんだと言われれば、腑に落ちる。そうか、当時の象徴詩は、文学における青木をめざしていたのかと、のみこめた。この本は文学史のむずかしいところを、美術史でおぎなう効用も、はたしてくれる。」

気になる本ではありますが、とりあえず、こういう本があるのだと、分かっただけでも収穫で、買いはしませんが、まずは、書きとめておくわけです。
コメント
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