和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

海の子。

2010-02-04 | 短文紹介
読んでから、たとえば一晩寝たあとに、本の一行が思い浮かぶことがあります。それは、一晩とは限らずに数日だったり、数週間だったりするわけです。
さて、その一行がどこにあったか、気になる。
最近もありました。誰か分かっていたのです。外山滋比古氏の本。数冊読んでいたからで、その際には、他の人の本を読んでおりませんでした。その一行がみつからないわけです。
数日してでも、それが見つかる。すると嬉しいですね。
他の方には何でもない、たわいもない言葉なのですが、私は嬉しい。
最近もこんなのがありました。

外山滋比古著「少年記」(展望社)

「こうしてみると、こどもには、海の子と山の子があることがわかる。いまは、都会の子、マチの子が圧倒的に多いけれども、かつてはこどもは、海の子か山の子のどちらかであった。大きくなっても、その違いは残っているはずである。ぼくも、海辺ばかりに住んでいたわけではないが、はっきり海の子である。海というとなにかがさわぐような気がする。」(p90)


外山滋比古著「実のある話」(旺文社文庫)

「小学四年まで住んでいた郷里の町は、町とは名ばかりの半農半漁の田舎で、本屋というものがなかった。ずっと後になって、太平洋側はどうしてこんなに本を読まないのか、と考えるようになった。日本海側へ行って、ちょっとした町にも、われわれから見ると、分不相応と思われる大きな本屋がある。幾つもあるのだ。
厳しい冬の気候に堪えるには本を読むよりほかに手がないのか、と想像したりする。昔から暖かい地方は読書に冷淡だったのではないかと思う。ほかにすることがあれば、大人は本など読まない。とにかく、田舎のまた田舎の小学生が五年になって、郡の中心の町の学校へ転校、いろいろ物珍しかったが、とりわけ本屋があることに興奮した。ごく小さい子供が、なまいきに本を買っている。これはうかうかしてはおれないという気がした。大きいといっても人口一万とちょっとぐらいではなかっただろうか。新本屋が隣合せに並んで二軒あった。」(p144)
コメント
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