猪熊弦一郎の回顧展に
一度いったことがあります。
そこには、三越の包装紙は
展示してなかったなあ。
やなせたかし著「アンパンマンの遺書」
(岩波現代文庫)に
「三越の包装紙」という小見出しがあり、
なるほどと思ったので、そこを引用。
「・・・従来の三越の包装紙は
〇に越のマークの定紋入りみたいな地味
なもので、それがひとつの風格でもあった
のだが、包装紙のデザインを一新しようと
いうことになり、そのデザインを戦後の
洋画界のモダン派の旗手
猪熊弦一郎画伯に依頼した。
締切りの日に、ぼくは画伯を訪問した。
画伯のアトリエの玄関わきの木には、
猫が鈴なりという感じで、ぼくを
にらんでいた。渡されたデザインは、
白い紙の上に紅い紙をハサミできりぬいて
置いただけという簡単なものだった。
『MITSUKOSHIという字は、
そっちで描いてね。場所は指定したあるから』
と画伯は言った。社へ持ちかえって、
文字の部分はぼくが描いた。
自慢じゃないが、デザイナーなのに
レタリングが下手でまったく自信がないが、
担当者だからしょうがない。自分でも
字がまずくて画伯に悪いなあと思った。
・・・お前が説明してこいと言われて、
ぼくが社長室へいった。どうも部長は、
猪熊画伯の画期的なデザインに恐れをなして、
説明が難しいと思ったらしい。
社長と重役がずらりという部屋は、
なんだか人民裁判の被告みたいでいやだった。
すべて一方的で抗弁の自由はない。・・
ところで、重役一同は、ぼくの持参した
デザインを見て怒りだした。
『いつも誠心誠意仕事をやれといっているのに、
なんだこの雑な仕事は、ノリづけぐらい
ちゃんとしたらどうだ。キリバリというのは
手抜きじゃないか。きちんと絵の具で
塗りたまえ』
『あのう』
『なんだ?』
『これはぼくのデザインではなくて、
新制作派の猪熊弦一郎先生の作品です』
『なに、猪熊先生、うーん、そういえばいいなあ』
たちまち態度が変ってしまった。
内部の社員に強く、外部の権威と名声には弱い。
重役一同、回覧しているが、よくは解らなくて、
『ちょっと大胆すぎませんか』などと
ぼそぼそ言っている。社長が鶴の一声、
『いいじゃないですか。決めましょう』
これが戦後の街に旋風を巻きおこした
三越の包装紙である。現在でも、
そのデザインのまま生き残っているが、
焼け跡の余燼がくすぶる荒廃した街に、
白と赤のデザインは花が開いたように
明るく目立った。追随するように、
その他のデパートも包装紙を一新して、
白地が主流となったが、三越を抜く
ものは出なかった。全国的に似たような
デザインが大流行した。
さすがに猪熊画伯である。はじめには、
ぼくも実はあまり感心していなかった。
しかし、欠点はレタリングで、へたくそな
『MITSUKOSHI』の文字は、
ぼくの描き文字のくせを残したまま、
今もそのまま使われていうるので
恥かしい。」(p95~98)
う~ん。今度、
三越の包装紙を、
よく見える壁に貼って、
じっくりと眺めることにします(笑)。
一度いったことがあります。
そこには、三越の包装紙は
展示してなかったなあ。
やなせたかし著「アンパンマンの遺書」
(岩波現代文庫)に
「三越の包装紙」という小見出しがあり、
なるほどと思ったので、そこを引用。
「・・・従来の三越の包装紙は
〇に越のマークの定紋入りみたいな地味
なもので、それがひとつの風格でもあった
のだが、包装紙のデザインを一新しようと
いうことになり、そのデザインを戦後の
洋画界のモダン派の旗手
猪熊弦一郎画伯に依頼した。
締切りの日に、ぼくは画伯を訪問した。
画伯のアトリエの玄関わきの木には、
猫が鈴なりという感じで、ぼくを
にらんでいた。渡されたデザインは、
白い紙の上に紅い紙をハサミできりぬいて
置いただけという簡単なものだった。
『MITSUKOSHIという字は、
そっちで描いてね。場所は指定したあるから』
と画伯は言った。社へ持ちかえって、
文字の部分はぼくが描いた。
自慢じゃないが、デザイナーなのに
レタリングが下手でまったく自信がないが、
担当者だからしょうがない。自分でも
字がまずくて画伯に悪いなあと思った。
・・・お前が説明してこいと言われて、
ぼくが社長室へいった。どうも部長は、
猪熊画伯の画期的なデザインに恐れをなして、
説明が難しいと思ったらしい。
社長と重役がずらりという部屋は、
なんだか人民裁判の被告みたいでいやだった。
すべて一方的で抗弁の自由はない。・・
ところで、重役一同は、ぼくの持参した
デザインを見て怒りだした。
『いつも誠心誠意仕事をやれといっているのに、
なんだこの雑な仕事は、ノリづけぐらい
ちゃんとしたらどうだ。キリバリというのは
手抜きじゃないか。きちんと絵の具で
塗りたまえ』
『あのう』
『なんだ?』
『これはぼくのデザインではなくて、
新制作派の猪熊弦一郎先生の作品です』
『なに、猪熊先生、うーん、そういえばいいなあ』
たちまち態度が変ってしまった。
内部の社員に強く、外部の権威と名声には弱い。
重役一同、回覧しているが、よくは解らなくて、
『ちょっと大胆すぎませんか』などと
ぼそぼそ言っている。社長が鶴の一声、
『いいじゃないですか。決めましょう』
これが戦後の街に旋風を巻きおこした
三越の包装紙である。現在でも、
そのデザインのまま生き残っているが、
焼け跡の余燼がくすぶる荒廃した街に、
白と赤のデザインは花が開いたように
明るく目立った。追随するように、
その他のデパートも包装紙を一新して、
白地が主流となったが、三越を抜く
ものは出なかった。全国的に似たような
デザインが大流行した。
さすがに猪熊画伯である。はじめには、
ぼくも実はあまり感心していなかった。
しかし、欠点はレタリングで、へたくそな
『MITSUKOSHI』の文字は、
ぼくの描き文字のくせを残したまま、
今もそのまま使われていうるので
恥かしい。」(p95~98)
う~ん。今度、
三越の包装紙を、
よく見える壁に貼って、
じっくりと眺めることにします(笑)。