和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「あまりうれなかった」始末記。

2019-07-07 | 本棚並べ
梅棹忠夫著「日本探検」(講談社学術文庫)。
そこに「『日本探検』始末記」が載っている。
本について、考えさせられるのでした。

「この本は、刊行されてまもなく、
新聞や雑誌にたくさんの書評がでた。
いずれも好評であった。ところが、
この本はあまりうれなかった。けっきょく、
初刷だけで、重版されることはなかった。
文庫版もつくられなかった。したがって、
本として読者の目にふれるのは、
この『著作集』が二ど目である。」(p420)

『著作集』は第7巻にはいっておりました。
三ど目が、2014年に講談社学術文庫。
そして、それを私は、読んでいる。


「もしこの
『増補改訂日本探検』と英語版が出版されていたら、
この『日本探検』の仕事は、わたしの著作のなかでも
主著のひとつとなったであろう。」(p426)

なんて、言葉も読めるのでした(笑)。


この始末記には、
1960年『日本探検』表紙カバー袖に
載せられた桑原武夫の言葉が、再録されております。

その桑原武夫氏の言葉を、
カットして引用。

「・・・・
私はできれば本を読まずにすませたい、
という意味のことを、かつて彼はかいて、
いささかヒンシュクをかった。

学問とは本を読むこと、
思想とは本のなかから見つけ出すもの、
と思いこんでいる人が主流をなしているからである。

彼は現実から考えるように見える。しかし、
手ぶらで現実にのりこんで成果があがるはずはない。
彼はたくさん本を読む。
ただ、それを丸のみにせず、現実でたしかめ、
現実をして書物とはちがう本音をはかしめようとする。
そして彼は現実と仲よくなることが巧みだ。
つまり古来の学問の正道を歩んでいるにすぎない
・・・・」(p426~427)

「古来の学問の正道」って何?

板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
を本棚からとりだしてくる。
板坂元氏は国文学で、江戸文学を専攻。
そこに、こんな箇所。

「わたくしどもの日本古典の分野では、
活字の本でやる勉強は、勉強のうちに入らない。
入らないことはないけれども、活字になった本
だけでは資料が不十分で、どうしても昔の写本
やら刊本を読まなければ事足りないのだ。・・」
(p199)

うん。もどって『日本探検』のなかの
『高崎山』には

ラボラトリアン(実験室科学者)が
フィールド・ワーカー(野外研究者)と組む場面が
ありました。

「東京のラボラトリアンたちは、大挙して京都にやってきて、
京都のフィールド・ワーカーたちと見あいをした。
一匹もみることができなかった野生のニホンザルのむれのことを、
日常茶飯事のようにはなす京都の連中の話をきいて、
東京勢は驚嘆した。見あいは成功し、両者の結婚が成立した。

霊長類グループは、とくに研究資金の点で、
悪戦苦闘をつづけていた。地元にたのんだり、
さまざまなやりくりをしていたが、
財政はいつも破局的状態にあった。
そこへ、かなりの文部省試験研究費をもった
実験動物グループがあらわれたのである。

おかげで、野外研究は順調にそだっていった。
市木石波の海岸には、研究用の小舟が一そうできた。
伊谷君や徳田君は、もう三角波の海峡をおよいで
島へわたらなくてもよくなった。
試験研究費は、その後五年にわたって、交付されたのである。」
(p293)


うん。あまり売れなかったこの本。
現在は、講談社学術文庫で読めます(笑)。
ありがたいなあ。






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