松田道雄著「京の町かどから」(昭和37年発行)。
聞えていたもの、聞けなくなったものが語られておりました。
たとえば、「わらべうた」と題した文はこうはじまります。
京の 京の
大仏つぁんは
天日で焼けてな
三十三間堂が
焼けのこった
ありゃどんどんどん
こりゃどんどんどん
うしろの正面どなた
・・・愛宕山の背後の空をあかあかとこがす
大きな落日をみながら『京の京の大仏つぁん』
をうたっていると、山のむこうのほうで、きょうも
天日で火事がおこっているような気がするのだった。
京都の町で、子どもたちはもう『京の京の大仏つぁん』
をうたわない。・・・・」(p101)
「物売り」と題した文には
「京の町の四季のうつりかわりを伴奏してくれたのは
『物売り』のよび声であった。」として
「いさざか、ひうお!」
「はったいのこ、いりまへんか!」
「花や番茶いりまへんか!」
「きんぎょーつ
このさいごのツはまさしくTSUと発音した。
なぜツをつけなければならないのかわからなかった。
おそらく、そうしたほうが、ぎょーと同じ強さで
長くひっぱれるからだろう。」
「七月になると虫売りがまわってきた。
虫売りも婦人だったが、これは大きな
呼声をだす必要がなかった。天秤で
かついだ大きな虫かごの中にはいっている
きりぎりすが、ギース、チョンとやかましく
ないてくれたからである。・・・・
ぶんぶん(こがねむし)やかぶとむしも
一緒に売っていることもあった。」
「秋になると、夜に焼栗屋がとおった。
これは男であった。『焼きー丹波ぐり!』
よくとおる、ながくひっぱった声は、静かな町に、
遠く去っていくまできこえて、秋の夜を一そう
長くするようだった。」
「はしごやくらかけいらんかいなー」
「奥さん、くらかけ買(こ)うてたもえな」
・・・・・
「そのほか、チリンチリンとリンをならしてくる
豆腐屋さんだとか、『一銭コンマーキ』といって、
料理屋でだしにつかった昆布で、ザコをまいた
昆布巻きを売りにくるコンマキ屋さんだとかを
記憶している。
みんな半世紀ほどまえのことである。・・・」
この「物売り」と題した文は、
こうはじまっていたのでした。
「このごろ毎晩のように、おもてを寒念仏がとおる。
うちわ太鼓をたたいて南妙法蓮華経をとなえる。
これは半世紀ほどまえからそうだ。
他の宗派の市民は、こんな威勢よく寒念仏をしない。
この宗派だけが、ファイトがある。ファイトがある
ものだから太鼓の音もたかいし、
お題目のとなえ方も熱狂的だ。
和服をきてくびまきをした中年婦人を中核とした
十二、三人の信者の集団は、現物をみれば、
それほどおそろしくないが、深夜にひびく、
ききなれない打楽器の音は、子どもには非常におそろしい。
はじめは気の迷いかと思うくらいの音が、
だんだん現実だとわかってくる。
まさか自分の家へくるのではないだろうと思っているが、
刻々と近づいてくる。おそろしい伴奏で、
理解しえない言葉を口にしながら、
怪物たちが家のまえから遠ざかっていくまで、
子どもは奥の間で息をひそめていなければならない。
京の町の街頭できけた楽音のなかで、
この寒念仏だけが、半世紀をくぐりぬけて生きのこった。
そのほかのものは、もうほとんど絶滅しかかっている。」
(p159~160)
これは昭和30年代の本。
現在はどうなのだろう。
京で聞けなくなったもの。
京で聞けるもの。
聞えていたもの、聞けなくなったものが語られておりました。
たとえば、「わらべうた」と題した文はこうはじまります。
京の 京の
大仏つぁんは
天日で焼けてな
三十三間堂が
焼けのこった
ありゃどんどんどん
こりゃどんどんどん
うしろの正面どなた
・・・愛宕山の背後の空をあかあかとこがす
大きな落日をみながら『京の京の大仏つぁん』
をうたっていると、山のむこうのほうで、きょうも
天日で火事がおこっているような気がするのだった。
京都の町で、子どもたちはもう『京の京の大仏つぁん』
をうたわない。・・・・」(p101)
「物売り」と題した文には
「京の町の四季のうつりかわりを伴奏してくれたのは
『物売り』のよび声であった。」として
「いさざか、ひうお!」
「はったいのこ、いりまへんか!」
「花や番茶いりまへんか!」
「きんぎょーつ
このさいごのツはまさしくTSUと発音した。
なぜツをつけなければならないのかわからなかった。
おそらく、そうしたほうが、ぎょーと同じ強さで
長くひっぱれるからだろう。」
「七月になると虫売りがまわってきた。
虫売りも婦人だったが、これは大きな
呼声をだす必要がなかった。天秤で
かついだ大きな虫かごの中にはいっている
きりぎりすが、ギース、チョンとやかましく
ないてくれたからである。・・・・
ぶんぶん(こがねむし)やかぶとむしも
一緒に売っていることもあった。」
「秋になると、夜に焼栗屋がとおった。
これは男であった。『焼きー丹波ぐり!』
よくとおる、ながくひっぱった声は、静かな町に、
遠く去っていくまできこえて、秋の夜を一そう
長くするようだった。」
「はしごやくらかけいらんかいなー」
「奥さん、くらかけ買(こ)うてたもえな」
・・・・・
「そのほか、チリンチリンとリンをならしてくる
豆腐屋さんだとか、『一銭コンマーキ』といって、
料理屋でだしにつかった昆布で、ザコをまいた
昆布巻きを売りにくるコンマキ屋さんだとかを
記憶している。
みんな半世紀ほどまえのことである。・・・」
この「物売り」と題した文は、
こうはじまっていたのでした。
「このごろ毎晩のように、おもてを寒念仏がとおる。
うちわ太鼓をたたいて南妙法蓮華経をとなえる。
これは半世紀ほどまえからそうだ。
他の宗派の市民は、こんな威勢よく寒念仏をしない。
この宗派だけが、ファイトがある。ファイトがある
ものだから太鼓の音もたかいし、
お題目のとなえ方も熱狂的だ。
和服をきてくびまきをした中年婦人を中核とした
十二、三人の信者の集団は、現物をみれば、
それほどおそろしくないが、深夜にひびく、
ききなれない打楽器の音は、子どもには非常におそろしい。
はじめは気の迷いかと思うくらいの音が、
だんだん現実だとわかってくる。
まさか自分の家へくるのではないだろうと思っているが、
刻々と近づいてくる。おそろしい伴奏で、
理解しえない言葉を口にしながら、
怪物たちが家のまえから遠ざかっていくまで、
子どもは奥の間で息をひそめていなければならない。
京の町の街頭できけた楽音のなかで、
この寒念仏だけが、半世紀をくぐりぬけて生きのこった。
そのほかのものは、もうほとんど絶滅しかかっている。」
(p159~160)
これは昭和30年代の本。
現在はどうなのだろう。
京で聞けなくなったもの。
京で聞けるもの。