対談「ふれあう回路」を、はじめて読んだとき、
本がつぎつぎと紹介されてゆき、
あれよあれよと思っているうちに読みおえました。
対談ですから、スラスラと読めます。
あちこちと本が飛びかう。そんな対談の楽しみ。
その醍醐味がありました。
わたしといえば(笑)。
だからといって、紹介されている本を1~2冊
手をつけて、もう息切れして、興味はそこまで。
その1~2冊を、こんかい本棚からとりだして
きました。対談で紹介されていて印象深かった
桑原武夫著「論語」(筑摩書房)。
うん。そこには以前のわたしがいて(笑)、
本のあちこちに黄色い線をひいてあります。
付箋も数カ所貼られている。
その頃の自分の読解力と対面しているような
不思議な感じを味わいます。
いまなら、こうも読めるよと、言ってやりたいような(笑)。
さてっと桑原論語のはじまりの引用は
学而第一からです。全篇解説ではなく、適宜
興味のおもむく論語の箇所を、とりあげてゆく一冊。
はじまりの訳語を引用。
「子曰わく、学んで時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。
有朋(とも)遠方より来たる、また楽しからずや。
人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや。」
うん。今度再読していたら、
最初に読んだ頃の私と、再会しているような
そんな「よろこばしさ」がありました。
うん。そのころのわたしに何かいってあげたくなります(笑)。
けれども、次の行の「楽しからずや」にはほど遠い。
まして、「君子ならずや」なんて、そんな方っているの?
というのが感想。
もどって、鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」には
まだまだ、たくさんの本がさりげなく紹介やら引用やら
されていているのでした。
あちらかと思えば、こちらだったりと
本はいろいろ広範囲に飛びかってゆくようです。
「飛びかって」ということで、思い浮かぶのは、
鶴見俊輔著「文章心得帖」(潮出版社)でした。
そこの、こんな箇所。
「これは文間文法の問題です。
一つの文と文との間をどういうふうにして飛ぶか、
その筆勢は教えにくいもので、会得するほかはない。
その人のもっている特色です。
この文間文法の技巧は、ぜひおぼえてほしい。
・・・・・・・・
一つの文と文との間は、気にすればいくらでも
文章を押し込めるものなのです。
だから、Aという文章とBという文章の間に、
いくつも文章を押し込めていくと、書けなくなってしまう。
とまってしまって、完結できなくなる。
そこで一挙に飛ばなくてはならない。・・・」(p46)
うん。いまの僕なら、昔、これを読んでいた頃の僕に、
どうアドバイスをするだろう?
なんて思うことが、
「また説(よろこ)ばしからずや」。