この前の日曜日の朝に、車が車線をよけて
走っているので、何だろうと出てみると、狸が死んでいる。
ちょうど家の横なので、まずはタヌキを道路の端に移動して、
さてどうするか。日曜日なので、役所も締まっているだろうし、
そう思っていると、蠅がたかりはじめてる。
結局、自分で海岸松林へ埋めに行きました。
狸から、ほととぎす。
ときどき、ほととぎすの鳴くのを聞きます。
普段意識してないせいか、聞き流しですが、
休日など、バイクの騒音が聞こえていると、
つい、ほとどぎすのつたない鳴き声を聞き、
ほっとしております。
そういえば、狂歌に
『ほととぎす自由自在にきく里は
酒屋へ三里豆腐やへ二里』
というのがありました。
町の豆腐屋も酒屋も閉めもう何年たつか。
コンビニへは、歩いてだと15~20分ほど。
スーパーだと、車での買い物になります。
はい。もう申し分なく
『ほととぎす自由自在にきく里』となりました。
コンビニへ歩いて15分で、スーパーへ車で15分。
といったところでしょうか。
はい。気持だけセカセカと早回し。つい、空回りしがち。
ほととぎすから、私は夏の蝉のことを思い浮かべました。
まだ、梅雨のはじまりだというのにね。
はい。ほととぎすの声の連想から、蝉の声です。
最近読んだ、小高賢の歌集『本所両国』(雁書館・2000年)
の最後の方に、蝉が出てくる2首。
数千のなきやまぬ蝉すでにもう
土におちたるいのちあるらん p185
夕暮れのすき間すき間にしみるほど
残り時間をなきつくす蝉 p186
はい。毎年蝉の声を何げなく聞いている癖して、
年年歳歳、聞こえるのは年齢記憶の奥行きです。
夏はまだでも気持は梅雨を通り越して行きます。