和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『群馬の人』『常磐の大工』。

2022-07-13 | 本棚並べ
佐藤忠良・安野光雅「ねがいは『普通』」(2002年)の目次は、
最初が「バイカル湖」。その次が「仙台」となっていました。

「 仙台 彫刻の代表作が収まる美術館で 2001年6月 」

とあり、ここの宮城県美術館に、佐藤忠良さんの
代表作を収蔵展示する『佐藤忠良記念館』があり、
そして、司会役山根基世さんを交えての公開対談、
安野光雅氏との佐藤さんの鼎談みたいな形でした。
まずは、佐藤さんの生い立ちが語られていました。

佐藤】 僕は宮城県で生まれて六つまでいて、
    北海道へ渡り、二十歳まで北海道なんです。・・・

    僕の父は農学校の教師をしていたんです。
    教師をしながら剣道をしていて、学生に教えているときに
    背中を打たれ、カリエスになって、僕が六歳の時に死にました。
    ・・・・

これは、佐藤忠良記念館での鼎談なのですが、
安野光雅さんも、津和野のご自分の美術館について語っておりました。

安野】 津和野の美術館を作るとき、
    大工さんや左官屋さんがすごく一生懸命仕事をしていたので、
    今、聞き書きをまとめているんですが、彼らはほとんど
    中学出で、丁稚奉公をしていたんです。・・・・
    丁稚奉公の職人は・・皆、命がけです。尊いと思いますよ。
    ・・・・・・

    佐藤先生は、『職人の側に立つ』と以前書いていらっしゃるけれど、
    職人は皆、厳しい修行をしてなおかつ人間的に優れていないと、
    その先へ突き抜けていけない。

佐藤】  ・・私たち彫刻家のやっているのは、
     粘土をこねて、恥をかいて、汗をかいて、失敗して、
     やり直す、職人の仕事なんです。

     ・・・話が飛びますが、恋愛もそうなんですよ。
     ・・・時間をかけないとね――(笑)


うん。ここで安野さんが『その先へ突き抜けていけない』なんて
語っておられる。何なのだろうなあ『突き抜け』てっていうのは。
思い浮かんできたのは、また徒然草でした。

うん。ガイドの島内裕子さんは「兼好とは何か」のなかで
語っておりました。

「『徒然草』・・第一段は
 『いでやこの世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ』
 と始まる・・・

 注意すべきなのは、ここで理想とされているのは、
 貴族社会における男性のあり方であって、
 女性のことも庶民のことも、この段階では兼好の視野に入っていない。

 『徒然草』を書き進めるにつれて、
 兼好の視野は次第に広がり、狭い貴族社会を越えて、
 もっと広い世の中のあり方へと変化し、
 東国の武士や名もなき人々が、共感と親しみを込めて描かれるようになる。

 兼好はさまざまな人間を描きつつ、自分自身の見方も
 変化させるという自己改革を行ってゆく。・・・・」

       ( p121~122 「西行と兼好」ウェッジ選書 )


うん。『東国』という箇所に興味がわく。
佐藤忠良さんを安野さんは、こう指摘しておりました。

「 佐藤さんがシベリアで開眼したのも、
  ただきれいな肖像彫刻ではなかった。
  そして『群馬の人』『常磐の大工』などが生まれた。」
            ( p207~208 「絵のある自伝」単行本 )

兼好の東国を、島内裕子さんはどう紹介していたか。

「兼好は六位の蔵人として、後二条天皇の朝廷に出仕した経験がある。
 第19段には、その時に実際に体験したであろう御仏名・荷前・追儺
 四方拝などといた年末から新年へかけての宮廷行事が書かれている。

 また、『兼好法師集』によって、彼が少なくとも二度関東に出掛け
 ていることがわかるが、当時東国で行われていた年末の『魂祭』の
 光景など、実感が籠った書き方によって、冬の季節感が新たな観点
 から書かれている。徒然草を書き進めるにつれて、
 書き方に次第に変化が見られるようになてくる。・・・」

    ( p11~12 「徒然草文化圏の生成と展開」笠間書院 )


佐藤忠良さんの彫刻『群馬の人』『常磐の大工』と
どう関係するのか?
バイカル湖での安野・佐藤対談のなかに

佐藤】 それまで理想美、理想化された美みたいなものが、
    美の基準だった。・・・・

    私の学生時代はヨーロッパから初めて、
    いろいろなことが入ってきた。それまでの
    日本の彫刻は仏像だったり、床の間の飾りだったりしたわけです。
 
    我々も・・・立派な顔が彫刻になっていて、
    ジャガイモみたいな顔の彫刻なんてなかった。

    でも、シベリアに抑留されていた三年間、
    男ばかりで過ごしていると、本当に、
    すべてのことを見せ合ってしまう。

    その時、我々日本人っていうのは、
    教養と肉体がバラバラになっていると思いました。

    土方をしてきた人とか、野良仕事をしてきたような人のほうが、
    本当に人間的にすばらしい人がいることの発見でした。

    画家の香月泰男もやはりシベリアに抑留されていたんですが、
    帰ってからすごくいい仕事をしている。・・・・」


はい。吉田兼好の時代の東国というのは、
佐藤忠良のシベリア体験ほどの意味がつまっていたのではないか、
どうやら、それが徒然草のなかの、東国の描かれ方に現れている。
はい。そのように思えてくるのでした。

う~ん。吉田兼好と、佐藤忠良と、
飛躍するのもほどってものがある。






コメント (4)
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