俳優池部良は、高峰秀子を評して
「・・悪くとってお節介、良く解釈すれば心温まる世話好きの癖がある。」
( p79 池辺良著「21人の僕 映画の中の自画像」文化出版社・1991年 )
『お節介で、世話好き』というの言葉は、最近とんと聞かなくなりました。
司馬遼太郎は1923年(大正12年)8月7日生まれ。
高峰秀子は、1924年(大正13年)3月27日生まれ。
安野光雅は、1926年(大正15年)3月20日生まれ。
3人とも関東大震災の頃に生まれておられます。
「お節介で、世話好き」という言葉が生き生きと流通していた頃でしょうか。
この3人が出会う場面がありました。
高峰秀子著「にんげん蚤の市」(清流出版・2009年)から引用
「 昭和46年からはじまった『街道をゆく』・・・
さし絵を担当したのは、オニの子供のような須田剋太画伯である。
・・オニの子供が、とつぜん鬼籍に入ってしまった・・・
『 司馬先生、やせたと思わない?』
『 そういえば、そうだね 』
『 顔が小さくなっちゃて、白髪の中に埋まっちゃった 』
『 同じようなトシだもの、司馬先生からみれば
ボクらもいいかげんにしぼんださ(注:高峰御夫婦の会話です) 』
『 ≪街道をゆく≫のさし絵、安野先生をとっても希望されてるんだって、
司馬先生。・・・・そんなこと、チラッと聞いた 』
『 実現すれば素晴らしいけど、
安野先生も秒きざみに忙しい方だしねえ 』
『 やってみる! 』 『 なにを? 』
『 安野先生に、直訴してみる 』
安野光雅画伯とは、私(高峰)の雑文本、七冊ほどの装釘をしていただいた
という御縁で、ときたま食事をしたり、電話でノンキなお喋りをする仲である。
大好きな司馬先生の文章と、大好きな安野先生の絵が並んだところを
想像するだけで、私の胸はワクワクと沸きかえった。
『 とんでもないよ。司馬さんのさし絵なんてサ、
おそれおおくって、おっかないよ 』
『 おそれおおいかも知れないけど、おっかなくなんてありません。
とにかく、いい方なんです。安野先生だって一目会えばコロリ
と惚れちゃうから 』
『 そお? そんなにいい方 』
『 いい方、いい方。ひたすらいい方 』
『 秀子サンがそんなに言うんなら・・・・でもさァ、
司馬さんて紳士でしょ? ボク行儀悪いからね、
ヘソなんか出してるとこ見たら、司馬さんに
嫌われちゃうんじゃないかしら・・・・ 』
『 安野先生のオヘソを見たくらいでビックリするような
司馬先生じゃありませんよ。面白がって喜ぶかもしれない 』
『 ほんとォ? 』 『 ほんと、 ほんと 』
みかけによらず、少年のようにシャイでナイーブな安野先生のお返事は、
『 ボクでよかったら 』
という、なんだかお嫁にでもいくような一言だった。バンザーイ。
私は飛び立つおもいで、司馬先生に報告の手紙を書いた。
【 『街道をゆく』のさし絵。安野光雅画伯から
『ボクでよかったら』というお返事を頂戴しました。
敬愛、私淑する両先生の、共同のお仕事が実現するとおもうと、
一読者としてこんなに嬉しいことはありません。 ・・・・・ 】
( p230~233 高峰秀子著「にんげん蚤の市」清流出版 )