和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

作家と編集者と

2023-09-30 | 本棚並べ
井波律子著「書物の愉しみ」(岩波書店・2019年)。
この書評集で紹介されている
堀田百合子著「ただの文士 堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)が
気になって古本で注文。それが届く。

さっそくパラパラめくっていたら、編集者と作家のことが
気になりました。

父・堀田善衛の内輪話に
『 作品の善し悪しは、編集者の善し悪しで半分決まる 大事だ 』(p197)
とあるのでした。

宮崎駿さんが訪ねてきたことに触れて、堀田善衛氏は娘にいっています。

『宮崎さんは『方丈記私記』が好きらしい。エライ人だ。・・』(p189)

本のはじめの方に、『方丈記私記』と編集者のことが出てきておりました。
最後にそこを引用しておくことに。

「1970年7月、筑摩書房の総合雑誌『展望』に『方丈記私記』の
 執筆を開始。翌年4月号までの連載でした。・・

 当時の、父の担当編集者、岸宣夫氏に執筆時の話を伺いました。
 当初、『方丈記私記』は連載もなく、単行本になる予定なども
 なかったのです。・・・・

 PR用の予告も出た。しかし、父(堀田)は書かない。
 では、『展望』に連載して、仕上がったら・・・と提案され、
 父は、それなら出来るかもしれないということで、連載が開始されたのでした。
 
 岸さんは、数年前に『展望』編集部に配属されたとき、
 誰が堀田善衛の担当をするかということになり、
 即座に手を挙げたそうです。・・・・

 以来、父が亡くなるまでの30年、父は担当編集者は
 岸さんでなくては駄目だと言い、営業部に異動しても、
 教科書部に異動しても、筑摩書房での父の仕事はほとんど岸さんが担当。
 単行本も、二度の全集も、岸さんが編集作業をしてくださったのです。」
                        ( p70~71 )

この次のページに『方丈記私記』のはじまりが引用されておりました。

「 私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、
  われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、
  また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。

 『方丈記私記』は、この一文で書き始められたのでした。
 連載は、原稿が滞ることもなく、淡々と進められていったそうです。

 が、一度だけ――70年11月、父は第四回A・A作家会議ニューデリー大会
 に出席するため出かけなければならない。
 翌日がその出発日というときに、
『 岸さん、原稿が間に合わない。今日は手伝ってくれ 』
 と言われたそうです。

 岸さんは父の指示した岩波の日本古典文学大系『方丈記』からの
 引用文を書き写し、父に渡す。父はそれに続けて原稿を書く。

 そして岸さんは、次に引用文を書き写す。その繰り返しで、
 深夜に原稿は出来上がったそうです。
 わが家に泊まり込んで、父の仕事の手伝いを
 してくださった編集者は、岸さんただ一人です。

 後日談があります。・・・
 『 岸さん、あんな装丁の本はイヤだ 』・・次に、
 『 岸さん、10章分それぞれの章のタイトルを考えてください 』
 だそうです。・・・

 岸さん、編集者になって初めて作った単行本です。
 そしてこの『方丈記私記』は71年11月第25回毎日出版文化賞
 を受賞したのでした。よかったです。
 父にとってではなく、岸さんにとって、です。

 その後、ちくま文庫に入った『 方丈記私記 』は、
『 インドで考えたこと 』に続く父のロングセラーです。・・・
 後に、父は『方丈記私記』の生原稿を製本し、
 岸さんにプレゼントしました(現在、神奈川近代文学館所蔵)。」(~p73)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする