日下公人著「思考力の磨き方」(PHP研究所)
そのまま,話せば「歯垢の磨き方」と思われるかも(笑)。
さて、この本のあとがきに
「PHPの人とは付き合いが長い。
もう三十年になる。その間、本をつくるためにたくさん話したり書いたりしたが、不採用で捨てた端切れがたくさんPHPにたまっているから、それを一冊にしたい、という申し出があった。・・・・理由は何であれ端切れは端切れである。そんな端切れを集めてパッチワークにしたような本だから、論理と説明を積み重ねて何か新しいことを主張する本ではない。ブログかツイッターのような本である。それでも良いという時代が来たのかもしれない。」(p179)
あとがき、のさいごも印象深いので引用。
「何でもかんでも思いつくままの言い放題である。
いっていることの根拠は自分自身にあるものだけだから、読者もそのつもりになって、自分自身の判断で読み進めていただくしかない。出版不況というが、それは自分を出せない著者と自分を出さない読者の世界のことかもしれない。
そう考えると、文藝春秋をつくった菊池寛は【座談会】の発明者で、それは日本では定着したが、世界にはいまだに広がらないことが想起される。
なぜか、と考えると日本文化の伝統には連歌の会があるが、欧米には詩の朗読の独演会しかない。ブログやツイッターを人が集まって見せ合うと連歌の会になり、さらに発展すると座談会になると考えると、いまだに対談か討論かまたはインタビューしかない欧米は、これから始まる百鬼夜行、自由奔放、議論百出の末に【観念連合】で新理念を創出する時代に入れない恐れがある。
その点、連想ゲームにすぐれているためか、座談会ができる日本人は気楽なものである。したがって、新しい時代はこんなパッチワークみたいな本をつくるところから始まるのかもしれない。」
うん。本文の「思いつくままの言い放題」は、
ひとり堪能することにして、
それぞれが、読んでのお楽しみ。
ということにしておきます(笑)。
このパッチワーク本は、
随所に光る数行が散りばめられていて。
うん。今頃なら
どこかから飛んでくる、桜の花びらを
栞がわりに、数ページごとにはさみこみなくなる
そんなような一冊なのでした。
そのまま,話せば「歯垢の磨き方」と思われるかも(笑)。
さて、この本のあとがきに
「PHPの人とは付き合いが長い。
もう三十年になる。その間、本をつくるためにたくさん話したり書いたりしたが、不採用で捨てた端切れがたくさんPHPにたまっているから、それを一冊にしたい、という申し出があった。・・・・理由は何であれ端切れは端切れである。そんな端切れを集めてパッチワークにしたような本だから、論理と説明を積み重ねて何か新しいことを主張する本ではない。ブログかツイッターのような本である。それでも良いという時代が来たのかもしれない。」(p179)
あとがき、のさいごも印象深いので引用。
「何でもかんでも思いつくままの言い放題である。
いっていることの根拠は自分自身にあるものだけだから、読者もそのつもりになって、自分自身の判断で読み進めていただくしかない。出版不況というが、それは自分を出せない著者と自分を出さない読者の世界のことかもしれない。
そう考えると、文藝春秋をつくった菊池寛は【座談会】の発明者で、それは日本では定着したが、世界にはいまだに広がらないことが想起される。
なぜか、と考えると日本文化の伝統には連歌の会があるが、欧米には詩の朗読の独演会しかない。ブログやツイッターを人が集まって見せ合うと連歌の会になり、さらに発展すると座談会になると考えると、いまだに対談か討論かまたはインタビューしかない欧米は、これから始まる百鬼夜行、自由奔放、議論百出の末に【観念連合】で新理念を創出する時代に入れない恐れがある。
その点、連想ゲームにすぐれているためか、座談会ができる日本人は気楽なものである。したがって、新しい時代はこんなパッチワークみたいな本をつくるところから始まるのかもしれない。」
うん。本文の「思いつくままの言い放題」は、
ひとり堪能することにして、
それぞれが、読んでのお楽しみ。
ということにしておきます(笑)。
このパッチワーク本は、
随所に光る数行が散りばめられていて。
うん。今頃なら
どこかから飛んでくる、桜の花びらを
栞がわりに、数ページごとにはさみこみなくなる
そんなような一冊なのでした。
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