宝島社文庫の「古典の愉しみ」は、
ドナルド・キーン著・大庭みな子訳。
その文庫解説を、瀬戸内寂聴さんが書いておりました。
その解説のはじめの方を引用。
「・・・私など必要に迫られると日本の文学者の本より
本棚に並んでいるキーン氏の著作の中から必要なものを
引き抜いて参考にさせていただく、正確無比で、わかり易く、
文章が明晰なので、失礼だが、『役に立つ』御本ばかりなのである。」
うん。なるほど、それではドナルド・キーン著
『日本文学の歴史』③古代・中世篇3(中央公論社・1994)をもってくる。
この単行本の回は、「清少納言と『枕草子』」という箇所から
はじまっております。単行本で注もいれて30ページ。
うん。文学史で枕草子を、これだけのページ取り上げる
日本の学者は、はたして男性でいるかどうか。
そのキーンさんの枕草子の文の最後の箇所を
ここでは、引用してみます。
「『枕草子』は、『古今集』と『源氏物語』という平安時代が
生んだ他の二傑作ほど後世に読まれなかった。そのため、
古い写本は比較的少ない。ときおり模倣作品が書かれ、
なかには『徒然草』のような傑作も出たが、
『枕草子』に匹敵する随筆はついに現れなかった。
『枕草子』は、日本文学のなかで最も機知の富む
気のきいた作品であり、ジョージ・メレディスが
『Essay in Comedy』でいった『ウィットは、
男女が平等に交わる社会ではじめて可能になる』
という言葉を思い出させる。
・・・・・・・・・
時代が下がり、武士が支配階級にのしあがると、
清少納言のような考えは好ましくないと排斥され、
男女間の平等も儒者によって否定された。
女性の社会的地位が目覚ましく向上した現代でさえ
『枕草子』は日本の古典文学研究の主流からはずれている。
作品を流れるユーモアが肌に合わず、都合のいい
社会的メッセージをそこから引き出せない学者たちは、
ときに『枕草子』をけなすこともあったが、
そのような中傷で『枕草子』の価値が変わるものではない。
驚くべき女性によって書かれたこの作品は、着想から1千年を
経た今日でも新鮮さと個性を失わずにいるのである。」
(p34~35)
昨日、200円だった古本が届く。
西田正好著「花鳥風月のこころ」(新潮選書・昭和54年)。
冒頭近くに写真で鴨長明の『長明方丈石』が載っており、
以下引用されている本をパラパラとおってみるけれども、
方丈記・万葉集・古今集・伊勢物語・山家集・徒然草
良寛歌集・芭蕉・正法眼蔵とつながってゆくのですが、
本文を読まず引用だけを追ってパラパラひらいていっても、
枕草子はここには、登場していないようです。
どうやら、「花鳥風月」という視点からでも、
枕草子は、その裾野から除外されているようなのです。
とくれば、これは初めて読みには、読み甲斐のある枕草子。
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