堀宗凡さんのことは、入江敦彦著「読む京都」に登場します。
入江さんは、二度出会っておりました。ここには、二度目の
場面を引用することに。
「 一ヶ月ほどのち、こんどは昼下がりだったが彼を見かけたとき、
『 こないだは失礼しました。偉いお茶の先生やと母に教わりました。
こんど会ったら、ちゃんとご挨拶するよう叱られました 』
というと 『 ほな、うちおいでやす 』 と・・・
それは多分わたしが体験する初めての本物のお点前だったが、
その水が流れるような自然美におおいに胸をうたれた。
『 お兄さんは、なんにもお作法をご存知ない言わはりましたけど、
お見事でしたえ。作法を引き出すのは亭主の責任。
お客が不調法なんは主人が無能やのえ 』
帰る間際、堀宗凡は『 うち、こないだ本出してもろてん 』
と件の『 茶花遊心 』をわたしに手渡し、
『 また、いつでも遊びに来よし 』と誘ってくれた。
直後から仕事が猛烈に忙しくなって、それきり
堀との付き合いが途絶えたことを未だ後悔している。 」
( p98 入江敦彦著「読む京都」本の雑誌社・2018年 )
この入江さんの本に『 茶花遊心 』を紹介した箇所があります。
「 いまのところ読んだ限りで矛盾に満ちた京と茶の命題を
もっとも緻密に解き明かした本は堀宗凡の『茶花遊心』である。
本書には、もてなす気持ちがまるで一斉に花を開いた
春の野原みたいに揺れている。70、80年代の京を代表する
数寄者として知られた堀の一冊きりの、しかし400ページに
及ぶ茶道家としての仕事の集大成だ。 」 ( p97 )
ちなみに、入江敦彦著「読む京都」の最後の方に
「 京都本の10冊 」が列挙されており、そこにも『茶花遊心』が
選ばれております。そこには、
『 長らく修道した裏千家を離れ、
独自の茶道に生きた≪ 最後の数寄者 ≫堀宗凡。
稀なる茶人の花と和歌と人生の記録 』 ( p217 )
こうもありました。
『 ・・・
こちら側で身じろぎもせず
京という水際立った水瓶に花を活けようとしたひともいた。
それが堀宗凡なる茶人だ。
彼の著書《 茶花遊心 》はその記録。収録された
図版を眺めていると、まず思い浮かぶのは矜持という概念である。』(p222)
ちなみに、写真集でも見かけることができます。
私の好きな写真集に、中村勝・文で甲斐扶佐義・写真の
「ほんやら洞と歩く京都いきあたりばったり」(淡交社・2000年)があり、
その中に登場しておりました。
この写真集は主に商店街のご夫婦を写したりしながら、京都を歩いている
子供も、猫も、僧侶も、さまざまに登場しておりました。そこのp105に
古本屋の店先で本をひらいている姿が写っておりました。写真の下には
「河原町通三条下ルの古書籍の店先で、茶人の堀宗凡さん。さまざまな
ファッションで河原町通を散歩する姿は有名だった(1979年撮影) 」
小さくプロフィールもありました。
【堀宗凡】 大正3年、京の料理屋に生まれる。
幼い頃から花に魅せられ
『 ききょう咲く陽あたりのよい土地少しあるならば 』
と、20歳で花守りの人生が始まる。
その間、裏千家14世淡々斎に師事。
58歳より独自の茶道に生きる。 ・・・
う~ん。写真集の中村勝さんの文も引用しておかなきゃいけないかな。
「 着流しの和服の上にマントのようなものを引っかけて、
さりげなく古本屋の前に立つ姿はどこかカメラを意識
しているようにも見える。
粋な人といえば、この人も非凡なファッションセンスで、
町を行く人たちの目を止めた。堀宗凡という有名な茶人だ
ということは、ずっと後で知ったが、
数年前まで河原町通をまさに闊歩していた。
ときには、つばの広い帽子の女装であったり、
ウエディングドレスのようなファッションで
歩いていたのを見た人もいる。
下鴨の自宅から葵橋を渡って、河原町通を四条辺りまで
下って行くのが定番コース。途中、出町の西田運送店に
立ち寄って先代の主人の話し相手になっていたという。
・・・・ 」
それよりも、写真の『 茶花遊心 』をひらく楽しみ。
古書ですが、時々ネットの「日本の古本屋」で出ます。
いま、ちょうど検索すると、ちょい高いけど一冊ある。
入江敦彦著「読む京都」に京都本が
ぎっしり詰まって、紹介されていて、
わたしは、はなからお手上げ状態で、
「読む京都」に「読めない私」です。
とりあえず、そのまま本棚に安置し、
お手上げ状態で、手を合わせてます。
今回はたまたま、堀宗凡で本棚から、
ひさびさに「読む京都」をとりだす。
私の入江敦彦はこの一冊で満腹状態。
お陰様で楽しく読ませていただきました。
https://blog.goo.ne.jp/wadaura1542/e/17d1c733ae97b4f1809392b0f8cde514
私は、この本を検索したときに書いやすいお値段だった入江さんの『京都人の密かな愉しみ』を注文してしまいました。積読になるのわかっているのに結局何か買ってしまうんですね。😅
再度コメントありがとうございます。
御用とお急ぎでしたら、
いちおう、私のブログ内で検索していただくと、
杉本秀太郎で探しても出てくると思います。
わたしが再びブログであげるのは、
いつになるのか分かりませんから。
そうした方が確実に味わえますよ。
でも興味をソソられますね。
コメントありがとうございます。
歩くといえば。
入江敦彦著「読む京都」で
杉本秀太郎著「新編洛中生息」(ちくま文庫)を
紹介するのに、こんな箇所がありました。
「 ・・この街は歩かなければ
なにも確とは見えはしない。
姿を捉えられないと教えられた一冊である。」
( p218 )
それでは、水仙さんが、
捉える、たしかな京都。
それを、思い描きます。