和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

伯父の口ぐせ。

2012-04-27 | 短文紹介
私は寝るときは、すぐに寝てしまうので、本も短いのに限ります。
いまは、岩波書店の「こころに響いた、あのひと言」を置いてあります。
これは、新刊として買いました。

そこに、池内紀さんの「人生はされどうるわし」という3ページの文がありました。「母方の伯父の一人だが、兵庫県龍野市(現・たつの市)で町医者をしていた。」とはじまっています。その伯父さんのことが書かれているのです。
すこし飛ばして引用。

「私が知ったころは、多少とも変わり者の町医者だった。ドイツ文学とやらを学んでいる甥が気に入ったようで、訪ねていくと診察をうっちゃらかし、いろいろ話してくれた。そもそもあまりハヤらない医者であって、患者は長年かよっている人ばかり。その数がしだいに少なくなっていく。待合室に本が積み上げてあって、当人もたいてい本を開いていた。顔を合わせるなり、『いま何を読んでいるか』とたずね、こちらが答えるより先に自分の見っけものを話し出し、ながながと講釈をする。日ごろ相手がいないとみえて、上機嫌で自説を披露したりした。そのうち、きまってゲーテの話になった。」

こうしてドイツ語でゲーテの詩を朗読するのだそうです。

「・・・伯父はそれを『人生はされどうるわし』と訳した。そして『されど(ドッホ)』がいいのだと力説した。さまざまなことがあれ、ともあれ人生はすてきだ、といった意味であって・・・・」

「ゲーテがおもしろくなりだしたのは、それから20年ばかりしてからである。少しずつ勉強して、自分なりの評伝を書き、『ファウスト』の新訳にとりかかった。そのころ『龍野のおじさん』をめぐって、へんなことが耳に入り出した。患者の見分けがつかず、まちがった処方をする。散歩に出たきりもどってこないといったことだ。やがて医院を閉め、息子のもとに引きとられ、数年後に死んだ。」

さてっと、短文の最後の3行を引用して終ります。

「うき世の暮らしのなかで、ふと気持が萎えかけたときなど、伯父の口ぐせが頭をかすめる。目を輝かせて『ドッホ』を口にしていたようすが浮かんでくる。このところ自分にも、『されど』の意味が少しわかってきたような気がしてならない。」

うん。寝る前に読んで、この伯父さんが夢に出てくるような、そんな印象を残すのでした。

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