和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

太海(ふとみ)の海で泳ぎを覚え

2024-12-12 | 安房
近藤啓太郎のことを知りたくて、
庄野潤三著「文学交遊録」(新潮文庫)をひらく。

目次に「吉行淳之介・安岡章太郎・近藤啓太郎」の章がある。

「吉行と安岡のことを話したら、長年のつき合いのある
 安房鴨川の近藤啓太郎のことを話しておきたくなった。」

はい。安房の外房の太海(ふとみ)のことが出て来るので
ここは、長めの引用となります。

「・・私たち一家が東京へ引越して来た翌年の夏、
 近藤に勧められて、海水浴をしに子供を連れて、
 外房の太海海岸へ行った。

 私たちが子供を海で泳がせたがっているのを知った近藤は、
 それなら鴨川の一つ先の太海がいい、
 太海には子供を泳がせるのに持って来いの浜がある、
 庄野、太海へ来いよといった。

 ・・・次の年から画家や画学生の泊る吉岡旅館を予約してくれた。
 この宿屋も海もよくて、私たち一家はすっかり気に入り、
 毎年、夏休みが来ると、必ず太海へ出かけて、
 吉岡旅館に泊まるようになった。何とかして都合をつけて出かけた。

 はじめは一晩泊りであったのが、すぐ二晩泊りになり、
 やがて豪勢に三晩泊るようになった。
 妻は今でもそのころのことが話に出ると、
『 今年は三晩泊りだといわれたときは、とび上るほどうれしかった 』
 という。幸いに画家や画学生を相手の旅館だから、宿賃が安かった。
 宿賃の安い割には食事もたっぷり出て満足させてくれた。

 太海ではお宮さんの石段の前にいい泳ぎ場があった。
 岩でかこまれたようになっていて、大きな波が来ない。
 安心して子供を遊ばせておくことが出来た。
 
 この浜で私の三人の子供は泳ぎを覚えた。
 次男のごときは、生れた次の年の夏にはもう太海へ連れて行って、
 砂浜に坐らせておいた。あるとき、泳いでいて浜の方を見ると、
 2歳になる次男が砂浜にひとり坐っていて、
 こっくりこっくり眠っているらしく、身体が少しずつ横へ傾いては
 もとに戻る。日が照りつける下で、ひとり砂の上に坐ったまま、
 眠り込みそうになっていた。

 お金がないからビーチパラソルなんか買えなかった。
 この下の子が太海の海で泳ぎを覚えて、
 小学校へ上るまでに泳ぎ出した。
 
 海べで育った子どもと同じように楽々と泳げるようになった。
 長女も泳ぐのが好きで、いつも太海を引上げる日の午前、
 最後まで海につかって名残を惜しみつつ泳いでいた。 」(p293~p295)

まだ、続くのですが、そしてこのあとに近藤啓太郎家族も登場するのですが、
う~ん、またしても、引用が長くなってしまうのでここまで(笑)。

ちなみに、庄野潤三全集第六巻の月報6には、
永井龍男・近藤啓太郎・安岡章太郎の文が載っており、
全集の月報4に、吉行淳之介の文が載っておりました。

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