和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

八月、家族と太海へ行く

2024-12-05 | 安房
講談社「庄野潤三全集」第10巻の巻末に、
( 昭和49年3月、著者誌す )とある年譜がありました。
そこをめくってみます。

大正10年(1921)2月9日、大阪府東成郡住吉村
( 現、大阪市住吉区帝塚山東・・ )・・の三男として生れる。

以下には、興味がある地名が出てくる箇所。

昭和19年(1944)23歳・・・7月、館山砲術学校に移り、
             対空射撃の訓練を受けた。・・・

昭和26年30歳 9月、朝日放送に入社、教養番組制作を担当。
昭和30年34歳 8月、朝日放送を退社、文筆生活に入る。
昭和31年35歳  近藤啓太郎の紹介により千葉県安房郡江見町の太海へ
        はじめて家族と行く。子供はまだ小さかったが、
        夏には都合のつく限り出かけるようにしたので、
        三人ともこの浜で泳ぎを覚えた。

    ちなみに、長女夏子(昭和22年、10月生まれ)
         長男龍成(昭和26年生まれ)
         次男和也(昭和31年、2月生まれ)

年譜をめくると、『 八月、家族と太海へ行く 』というのが、
昭和34年・昭和36年・昭和37年・昭和38年・昭和39年・昭和40年
昭和41年・昭和42年とあり、
昭和43年から「家族と広島へ行き、釣りと海水浴をする」とあります。
       
 

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