和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

柳田国男は、考えこんでいる。

2022-03-31 | 道しるべ
谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ・新書・平成18年)。
はい。この本を本棚からだしてくる。

52冊の本が紹介されている1冊。
この本が紹介する、最初の本が柳田国男著「木綿以前の事」でした。
谷沢さんは『木綿以前の事』を、どのように紹介されているのか?

「柳田国男は、学問とは何か、と根本から問いかけ、
 人は何の為に勉強するのか、と考えこんでいる。

 この広い世の中に暮らす多数者を助ける気持ちで、
 本を読み努めるのでなければ、我が国の次の代、
 またはその次の代は、今より幸福にはならぬのである。
 と記した。」(p15)

こうも書いております。

 「少数の、運よく成功した人に拍手を贈るよりも、
  多数者の幸福を僅かでも増すために、何をどうしたら
  よいかの工夫に真心をこめて、じっくりと思案する
  のが人間本来の路ではないか。」(p14)

この本は編集者の意向で、年齢別におすすめ本を列挙してゆく
形をとって、15歳・20歳・30歳・40歳・50歳・60歳・70歳と
その年齢に合わせての配列となっておりますが、私はどれも
読んではいないので、あんまりピンとはきませんでした。
最初の章『15歳』のはじまりに『木綿以前の事』があった。
最後の章『70歳』でとりあげられている
安東次男著『定本風狂始末芭蕉連句評釈』のはじまりは、こうでした。

「世界に類例を見ない我が国のみに成立した独自の文芸様式である
 俳諧の特色をなす視座の優しみを的確に指摘し、なかんずく
 『芭蕉七部集』の、他に替えがたい魅力を、心の底からの
 共感に基づいて記した評論の代表は柳田国男(「木綿以前の事」)
 である・・・」(p220)

このあとに、『木綿以前の事』の自序を引用しております。
その引用のあとには

「柳田国男が史上ほとんどはじめて強調したように、
 俳諧に唱われた女性の映像(イメージ)は、一読して
 忘れ得ぬほどひときわ艶(あで)やかである。・・・」(p221)

このあとに、『冬の日』の俳諧を引用して、そのあとでした。

「残念ながら、俳諧表現の陰影(ニュアンス)を解き明かすのに
 成功した注釈は少ない。私は教職にある時数年かけて七部集を講じ、
 近世期以来の夥しい注解を比較対照したが、そのほとんどは
 些事に拘わる近世学問に共通する通弊のため、題材に選ばれた
 事象の故事来歴と出典の考証に傾き、句から句への移りに込められた
 連想の感得力に乏しいのが常である。・・・」(p222)

はい。これから俳諧がなんであるかを読み始めるには
打って付けのエールが聞こえてくる一冊のような気がしてきます。
いよいよ、私に読み頃をむかえたのでした。

はい。谷沢永一著「いつ何を読むか」をひらくと、
いつも何も読んでいなかった自分が映し出される。
これほど、読んでもいない本が並ぶのは困惑迷惑。

などと、パラパラひらくと『20歳』の章に、
西堀栄三郎著『ものづくりの道』があって、
それについて谷沢さんは、どう書いていたか。
最後にそこから引用しておきます。

「・・明朗な叡智と人を大切にする温情との結晶である。
 生涯を日本国民の幸福増進を願うのみ、
 画期的な成果を挙げながら
 名声を求めなかった豪傑の語録に盛られた声を聞かないで、
 一体何のための読書であり学問であろうかと訝しむ。」(p47)



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4 コメント

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霞んだような。 (和田浦海岸)
2022-04-01 17:56:11
コメントありがとうございます。のりピーさん。

つい。わかるつもりで引用しちゃいました。
うん。簡単に結論が語られないのがこの人。
さあ。「木綿以前の事」を読み始めますので、
これからのブログで氷解できるかどうか?

ちなみに、桑原武夫さんは
『私はきのうも『木綿以前の事』を
読み返していろいろ感動するところが
あったのですが、

柳田さんの文章の一つの特色は、
日本画みたいに霞んだようなことが
書いてあるのですけれど、ところどころ、
隅田川に霞がかかったような景色の中に
都鳥が泳いでいたりする。・・・・・

あいまいな文章というものは、
読んでもなんのとくにもならないのですが、
柳田さんの文章には・・・・読んだら
絶対とくするようになっている。」
(p16・柳田さんと私「日本文化の活性化」)

ということで、
桑原武夫さんの言葉を信じて、
私は遅まきながら、
これから読んでみます。
返信する
こんにちは(^^♪ (のり)
2022-04-01 15:12:05
では「木綿以前のこと」とは、織るために使うカナと呼ばれる糸のことなのでしょうか・・・ ではその以前のこととは・・・??? 結局、この本のタイトルは何を意図されて付けられたのでしょうか。 作者のみぞ知る・・・ことかもしれませんが・・・?
折角、色々引用してご説明頂いたのに・・・💦
返信する
太田裕美の。 (和田浦海岸)
2022-04-01 09:53:05
おはようございます。のりピーさん。
コメントありがとうございます。

え~と。木綿ですが、
太田裕美の『木綿のハンカチーフ』の
木綿です。
新編柳田国男集第9巻(筑摩書房)には
本の題名にもなった『木綿以前の事』という
9ページの文がありまして、そのはじまりに

「七部集の附合(つけあい)の中には
 木綿(もめん)の風情を句にしたものが
 三箇処ある。・・・」とはじまります。

はい。この第9巻には(もめん)とフリガナ
がついておりました。ありがたい。

第9巻には、短文「木綿以前の事」の
あとに「何を着ていたか」があります。
せっかくなので、少し長くなりますが、
そこからも引用。

「我々は麻布といえば一反○○円もするような
 上布のことをしか思い浮べないが、
 貢物(みつぎもの)や商品になったのは
 そういう上布であっても、東北などの
 冬の不断着は始めから、そのような華奢な
 ものではなかった。

 精巧な少量のものはもっぱら売るために織り、
 めいめいの着ているのは太い重い、蚊帳だの
 畳の縁だのに使うのと近い、いたって頑丈な
 もので、これが普通にいうヌノであった。

 木綿は織ったもののモメン、
 糸もこちらはカナといって、
 これをイトとはいわなかった。
 つまり麻だけが普通の布であり
 また糸であったのである。
 かの万葉の、

 あさ衣きればなつかし紀の国の
       妹せの山に麻まく吾妹

 という歌なども、旅の空にいる人が
 この布を着るにつけて、故郷の山里で
 麻を作っている家の者を想い出したと
 いう感動が咏歎(えいたん)せられた
 もので・・・・・  」(p20~21)

うん。この「何を着ていたか」のはじまり。
それも引用しておきます。

「公家武家の生活はしばしば政治の表面に
 顕(あら)われ、歴史として後世に伝わ
 っていることが多いが、それでもまだ
 幾つもの想像しがたい部分がある。
 多数無名の我々の先祖の、当時としては
 もっともありふれた毎日の慣習が、
 ゆかしいとは思ってもほとんとその
 一端をも知ることができないのは
 まことに致し方がない。・・・・」

はい。こうして説明しようとすると、
どんどん引用がふえてしまいます(笑)。
返信する
こんにちは(^^♪ (のりピー)
2022-03-31 14:41:15
なにやら和田浦海岸さんに気持の良い風が吹いてきたようで、これからの展開が楽しみです。

あの~~、ところで、つかぬ事をお聞きしたいのですが、たびたび出てくる柳田国男の「木綿以前のこと」の「木綿」とは何を意味しているのでしょうか。
返信する

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