ネットで古本を購入しているのですが、
古本屋でも、そこで、一度見かけたものが、
同じ古本屋では、もう二度と御目にかかれない場合もあります。
そうかと思えば、一挙に同じ著者の作品が並んでいたりします。
ついこの間は、庄野潤三の本が一同に並んだことがありました。
単行本で凾入りで、庄野潤三著「絵合せ」(講談社・昭和46年)
が300円。はい。安いとついつい手がでます。買ってから見ると、
最後のページの余白に鉛筆で2000円と記してありました。
白色の布張りの本は、茶色のまだらがつきはじめておりました。
装幀が、栃折久美子とあります。「 庄野潤三作品集 絵合せ 」。
「あとがき」をひらくと、こうありました。
「・・・『絵合せ』は、もうすぐ結婚する女の子のいる家族が、
毎日をどんなふうにして送ってゆくかを書きとめた小説で・・・
確かに結婚というのは、人生の中で大きな出来事に違いないが、
ここに描かれている、それひとつでは
名づけようのない、雑多で取りとめのない事柄は、
或は結婚よりももっと大切であるかも知れない。
それは、いま、あったかと思うと、もう見えなくなるものであり、
いくらでも取りかえがきくようで、決して取りかえはきかないのだから。」
はい、『 絵合せ 』をひらいていると、
良二が歌う場面がでてきます。
「 ・・三月中ごろの或る晩、その良二が不意に
『サンタ・ルチア』をうたい出した。
ついさっき会社から帰って、ひとりで遅い夕食を食べた姉の
和子も細君も彼も、みんな呆気に取られた。
歌は途中でとまったが、和子は、
『 いいわ。いいわ 』といい、
もう一回うたってと頼んだ。
『 どうしたの、それ? 学校で習ったの。全部うたえるの、
原語で。大したものね 』
すると、良二は音楽の時間に女の先生がうたってくれたのだといった。
『 教科書にのっているの? 』
『 教科書にのっているのは、ただの日本語なの。
それで先生が、その、イタリア語でうたって 』
『 教えてくれたの 』
『 そう 』
『 うたって 』
今度は、良二は恥しくなって、うたわない。
『 いいから、うたって 』
そんなふうに改まっていわれると、声が出ない。
和子と細君に二人がかりで催促されて、
良二はうたわないわけにゆかなくなった。 」(p13~14)
そのすこし後に、主人公(お父さん)の意見がさりげなくはさまる。
「 もともと良二は、わらべ歌くらいが似合っている。
不意に家の中でこの子がうたい出すのは、
いつも学校で習った曲にきまっているが、
その中にいくつか、わらべ歌があった。
二月くらい前になるが、何かの拍子にそのことを思い出した。
『 四けんじょ 』というので、九州地方のわらべ歌である。
『 一けんじょ 二けんじょ
三けんじょ 四けんじょ 』
というので、それだけ聞いたのでは何のことだか分からない。
これは良二が小学五年のころに習った。
やっぱりその時も家の中で出し抜けにうたい出した。 」
はい。数行端折ってもいいのでしょうが、この間は貴重なので
そのままに続けて引用してみます。
「 『 四けんまほただの のりくらのうえに 』
というのが出て来る。
はじめは何だかまた、はかない歌をうたっている、
と思ってきいていたが、あとで良二を呼んで尋ねてみた。
『 何だ、それは。何の歌だ 』
『 これ? 』といってから、
『 四けんじょ、だったかな 』
『 四けんじょ? 四けんじょって何だ 』
すると、良二は音楽の教科書を取って来て、そこをひらいてみせた。
『 けんじょ 』は、けわしいところ、従って
『 四けんじょ 』は、四番目のけわしいところという意味らしい。
『 牛はこびの人が 』と良二はいった。
『 道を通って行って、うんとけわしいところがある。
そういうことをうたってあるんだって 』
『 なるほど 』
『 あめうしけうしは、いろいろな牛ということなの 』
いろいろな牛がけわしい山道をいくつも通って行かなくてはいけない。
それで、牛も難儀するし、ついている人も難儀する。
最後のところは、
『 さるざかつえついて
じっというて それひけ
それひけ 』となる。
この『 じっというて 』というのがいい。
牛も人も、同じように汗をかいているみたで、いい。 」(~p16)
はい。わらべ歌というのは、どんな歌なのかと、
めくったのは『日本わらべ歌全集25」(柳原書店)の「熊本宮崎のわらべ歌」。
最後にそこからの引用をしておくことに。
いちけんじょ ( 鬼きめ歌 )
一けんじょ 二けんじょ
三けんじょ 四(し)けんじょ
しけんも おたかの 乗鞍の上に
雨うし こうし 猿坂(さるさ)が杖ついて
じいと ばば こるふけ ( 水俣市丸島町 )
「 『 一けんじょ 二けんじょ 』ではじまる鬼きめ歌は、
一部、語句の違いを認めながら、県下全域に残存する。
・・・・・・・・・・
実際は、林道春の『徒然草野槌』(元和7=1621)にもあるとおり、
頼朝のころ、鎌倉でうたわれた『 一里間町(けんちょう) 二間町 』
が変化して鬼きめ歌になったものであろう。 」 (p30)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます