和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

誰が書いても、みな。

2024-10-08 | 前書・後書。
読みたいと本を買っても、時がたつと、興味が他へうつるので、
その本を忘れてしまうことがたびたびあります。

うん。何だかそれが慣れっこになって、ある程度の時間内に、
パラパラでも読み込んでおくことが肝心。興味にも賞味期限がある。
最近は、つとにそんなことを思います(笑)。

さてっと、桑田忠親著作集全10巻を古本で買ったのですが、
まずは、パラパラと各巻の最後をひらくことにしたいと思います。
幸いに、各巻の巻末に、さまざまな方が文を寄せておられます。

第7巻「戦国の女性」の巻末は二木謙一氏の文がありました。
その最後の方にこうあるのでした。

「 いつも思うことだが、桑田氏の文体には、
  歴史家にはまれなセンスの良さが感じられ、
  また史料の伝存しない部分、文字に見えぬ
  歴史の裏面の洞察とその復元に独特の才能
  が発揮されている。            」(p349)

うん。このセンスが、史料をひからせているのだなあ。
なんて思うのでした。
巻末をひらいたあとは、巻頭をひらいてみる
「桃山時代の女性」という文の「まえがき」にはこうあります。

「・・日本の女性史に関する諸氏の著作を一通り読んでみた。
 しかし、それらの多くは、ある一定の理論を尺度にして、
 甚だ概念的に社会制度の変遷などを叙述したものが多く、
 専門的、具体的な学術書としては飽きたりない感を深くした。
 確かな文献史料の裏づけよりも観念のほうが先ばしっているから、
 たれが書いても、みな、同様なものができあがる結果となる。
 この不満を解消するために、私はまず・・・   」(p11)


はい。とりあえず全集の第7巻は、ここまでにして次に巻へ。
「読みたい」という私の賞味期限内に、まずは全巻の巻末を
読みすすめておくこととします。

はい。これでも会って立ち話でもしたような気分になれます。
そこから、本との交わりがはじまればよし。おわってもよし。



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