和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

昨日の我に飽くとは。

2016-11-05 | 詩歌
沼波瓊音「俳句講座」を読んでみる。
明治39年と凡例にある。

個々の俳句がならび、
それを丁寧に説明してゆく講座です。
その説明箇所を読まずに、
取り上げられている俳句を
パラパラと見てゆく(笑)。

講座の最後に、引用がありました。
気になったので孫引き。

 上手に成る道筋ここにあり。
 師によらず、
 弟子によらず、
 流れによらず、
 器によらず、
 畢竟句数多く吐出したるものの、
 昨日の我に飽ける人こそ上手にはなれ。

これを引用したあとに、沼波瓊音は

「これは実に達言である。
あらゆる事にあてはめ得る金言である。
『昨日の我に飽く』とは
勇猛なる不断の向上を意味して居る。
実に壮語である。」(p230)


はあ。俳句では「飽く」を
このように使用するのか(笑)。
一事が万事、飽きっぽい私に
一縷の光明が射す。
そんな「飽く」解釈。

でもって
どうするかというと、
岩波文庫「虚子五句集」上下を、
本棚からとりだす。
「虚子五句集」上は
「五百句」からはじまっております。
その「序」には

「『ホトトギス』五百号の記念に出版するのであって、
従って五百句に限った。・・・
範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から
昭和十年まで・・・」

そういえば、

  遠山に日の当りたる枯野かな

この句は「明治33年11月25日 虚子庵例会。」とあります。
p20にあり、p22には
  
 秋風や眼中のもの皆俳句

この句は「明治36年」とありました。

そして、明治39年に沼波瓊音の「俳句講話」が
出ており、そこに引用されたのが

 「ひっきょう句数多く吐出したるものの、
  昨日の我に飽ける人こそ上手にはなれ。」

だったのでした。

ちなみに、「虚子五句集」下に載っている
文庫解説は、大岡信。


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