私と本とのつき合い方は、たとえれば、辞書をひく感じの
パラパラ読みなのだと、この頃合点するようになりました。
はい。一冊の本を最後まで読みとおせないという意味です。
さてっと、松山善三氏が
『 須田先生の絵を眺めていると、生きる元気がわいてくるのです 』
( p232 「司馬遼太郎が考えたこと 13」新潮文庫 須田剋太展 )
と、司馬さんとともに、ジャンクの絵を眺めて感想を漏らす場面がありました。
ジャンクっていったいなにか?
という疑問もありましたので、この際未読の
司馬遼太郎著「街道をゆく 19(中国・江南のみち)」を古本で注文。
それが昨日届く。ありました。本の最後のほうに
『戎克(ジャンク)』という箇所がありました。
こうあります。
「こんどの旅の主題のひとつは、ジャンクを見ることであった。」
( p328 ワイド版「街道をゆく」朝日新聞社2005年 以下はこの本の頁 )
ちゃんとジャンクの写真(1981年撮影)p331も載っています。
「『戎克(ジャンク)―中国の帆船』という古い本が、私の手もとにあった。
昭和16年刊で、しかも著者の個人名がなく(編集人は小林宗一)、
発行所は『中支戎克協会』となっている・・・・」(p339)
「 著者は、当然、船舶の専門家であろう。
科学的な態度で書かれているのに、
船を生きものとして見ているという
人格的な情感がときに行文にあらわれる。 」(p340)
はい。その本からも引用されているのですが、そこから一か所
「 戎克は其型は古代船式で頗る簡単ではあるが、
其用途に依り実際の経験から仕事の仕易い様に
すべてが実用本意で非常に頑丈に造られてゐる。 」(p340)
司馬さんの話はそれてゆくようで、本題へともどります。
その逸れ具合と、もどり具合が味わえる場面を引用してみることに。
「ある夏、日本海事史学会が兵庫県の西宮市の戎(えびす)神社の
境内でおこなわれたことがあった。戎神社はいまは福を招くという
信仰でささえられているが、もともとは漁民の神であったのだろう。
その神社の境内を画している桃山ふうの練塀(ねりべい)の豪壮さは、
京都の東寺のそれとならぶべきもので、
すでにいまは浜から遠くなっているものの、堀のうちは
うねるような浜の砂で満たされ、磯馴(そな)れじみた
古松が浜の気分をよく象徴している。まことに、
海事史の研究者たちの集まる場所としてふさわしいと思われた。
・・・・・・
甬江(ようこう)をくだりながら、・・
西宮戎神社での集いを思いだしていた。
前後左右を帆走しているジャンクを見ているうちに、
素人の自分がこれを見ていることの贅沢さを思ったりした。
日本の海事史学者の多くは、なまのジャンクを見る機会を、
さほどには持っていないのである。 」(p350)
『見る機会』をえた司馬さんの言葉もありました。
「 『港監五号』は、わざと低速で走っている。
すれちがったり追いこしたりしてゆくジャンクたちに
大波をあびせまいとする配慮であろうかと想像した。
それでも、追いぬかれたジャンクは、災難だった。
そのつど、大きなあと波のために踊るように上下している。
( ジャンク踊りだ )と、
その壮観におどろいてしまった。
そのくせジャンクは、船ごと笑いさざめいているように平気なのである。
私どもは、ジャンクとすれちがうたびにふりかえった。
ジャンクをその船尾(とも)から見るせいか、
みるみるこの河海両棲の生物は船尾を持ちあげ、
波間に落ち沈んで突っこみそうになるのだが、
その独特の船体のせいか、たちまち波の山に馳せ登り、
こんどは船首をたかだかと揚げる。
ともかくもシーソー・ゲームのように
派手にピッチングを繰りかえしながら
遠ざかってゆくのである。
舷側(げんそく)が高いために、
船中の漁夫や水主(かこ)は頭ぐらいしか見えない。
ときに平然とめしを食っていたり、空を眺めたりしている。
( さすがジャンクだ )と、
滑稽とも頼もしさともつかぬ気持のさざめきをおぼえた。 」(p327)
はい。ここを読んだあとに、わずか2ページの司馬遼太郎の
「 もう一つの地球 (『須田剋太展』) 」の後半を読みかえすことに
「 『 須田先生の絵を眺めていると、生きる元気がわいてくるのです 』
といったのは、松山善三氏だった。
いわれたとき、目の前に、光が満ちてくる思いがした。
中国の長江を、朝の陽を浴びながら、
ジャンクが躍るようにすすんでいる。
画伯のそういう絵が、松山氏と私の前に展示されていたのである。
『 たしかに、このジャンク、地球の生物以外の、もう一つの生物ですね 』
そう言っているうちに、私のからだの中に、
もういっぴきの私が誕生しているのを感じた。
それがはしゃぎまわるのを、絵の前にいる間じゅう感じつづけた。
この私(ひそ)かな体験は、画伯が、もう一つのちきゅうを、
生物ぐるみ、創りつづけていることの、たしかなあかしだと思っている。
それを感じるだけの力を、平素養いつづけねばならないことは、
いうまでもない。 ( 昭和61年4月 ) 」
( p233 「司馬遼太郎が考えたこと 13」新潮文庫 )