*「魁!!女塾」*

THE GOOD LOVIN’sというバンドでギターを弾いています
京都市在住

だいすき!

2024年10月19日 | blog

会社帰りにダンエボ踊ってみた【TA・DA ☆ YO・SHI】

インフルエンザでしんどかった時、この動画を何度も見てました♡
秋草とも様。

もう大好きです
何年も前からずっとチャンネル登録してます

会社帰りに、
眼鏡をきらめかせ
ネクタイをはためかせながら
半笑いでキレッキレに踊り狂うビジネスマン
このキレといい、手の華麗な動きといいすばらしい
しかもラストのキメで、よく見たら胸元から名刺を差し出しておられます
さすがビジネスマン
ああ好きだよぉぉぉ


この動画は9年前のもので
何年も動画の更新がなかったので
もうダンスはやめられたのかと大変淋しく思っていたところ
数年ぶりにあたらしい動画がアップされたのです!!

ああ、チャンネル登録をずっと外さなくてよかった!!

スリムな若きビジネスマンだった秋草さんは、
たいへんお太りになって、華麗に踊っておられました。
しあわせ太りでしょうか♡
だったらいいな

見たらいつも元気になります

 

 

 


無念だけどラッキー

2024年10月18日 | blog

インフルエンザ(A型)になって
楽しみにしてた週末の予定が、2週連続でぜんぶなくなりました(T_T)

海に行く予定と
ぜったいに観に行きたかったライブと。


日頃、すごく感染に気をつけて生活してるのに
いっつも子供が
インフルもコロナも風邪ウイルスも学校からもらってきちゃう!
こればっかりはどうしようもない


でも、ラッキーだったわ!と思うのは
インフルの割に、過去にかかったインフルよりもしんどさがマシだったのです。
過去のは、命の危機を感じるレベルでしんどかったけど
今回は耐えられるくらい!

あと、今の時期は
自分のライブも、スタジオも、子供のテストもない時期だったから
いま罹っておいて逆にラッキーだったかも!なんて思ってしまいます



病院に行った時
ちょっと驚くことがありました。

自分が使ったテイッシュを
ゴミ箱に捨てたりしたら誰かに感染するんじゃないかと思って
カバンにしまってたら
看護師さんが「捨てますよ、貸して〰」と言ってくれました。

「感染性が、、、」とかもごもご言っていると
「いいの、大丈夫」と素手で持っていかれました。

また薬局で
吸うタイプのインフルエンザ薬を
「よかったら、いまここで吸っていきますかあ!?」
となかやまきんに君みたいな薬剤師さんが明るく勧めてくれます。

「えっ、でもマスク外して吸ったり吐いたり危険では、、、
じゃあ、外にでてやってきます!」

とガラス越しの外で必死に吸っていると
中から笑顔で「そう、それでOKです〜」みたいなジェスチャーをしています

そして私が吸った容器を素手で回収していかれました。

医療機関の方 すごいなぁと思ったのだけど
思い出してみれば
わたしも30代の頃はそれが普通だった(病院で働いてた)
毎日、インフルの人に何十人関わっても、一回もうつったことはなかったのです。


病院で働いてた頃より
今のほうがよっぽど、いろんな感染性の病気にかかってる!







一期一会

2024年10月12日 | blog

数日前、音楽友達Jさんがご病気で天国に旅立たれました。
少し前まで、ライブハウスの飛び入りDAYで毎月会っていたので
突然のことでとても寂しい。

仲間から葬儀会場の連絡をもらい
お別れに向かおうとお香典や喪服などを用意していたところ
追加でラインが来て、ご身内のみの葬儀とのこと。
さいごのお別れもできず、突然に永遠の別れがやってきました。

JさんとのLINEのトーク画面を思わず開き
ありがとう!わすれへんで、さよならと送ろうとしてしまったけど
冷静に考えればご遺族のご迷惑になるだけだから、すぐ思いとどまりました。



また昨日、別のお宅にお邪魔し、お仏壇に手を合わせました。
こないだまでまたすぐに会えると思っていたひとは
骨になって、小さな白い骨壷のなかにおられました。


一期一会とは
誰でも知っていることばで
誰でも「そうだよなぁ」と納得のことばです。

でも近年特に、いろんな四字熟語やことわざの意味が
ひときわ、身に迫るようになりました。

ほんとうに一期一会
全く望まなくても、結果的に一期一会となってしまうことがたくさんあった。
いつでも、もう会えないかもと思ってその日を過ごすこと。
今日が最後でもかまわないと思うくらいの時をすごすこと。

人間はなんでもすぐに通常モードに戻る癖があるから
いつも心がけたいと思う。

もし一期一会なのなら、やはり伝えたいのは圧倒的に「ありがとう」ではないだろうか。











やる気スイッチ

2024年09月30日 | blog
長髪息子は中3受験生です。
 
いろんな高校を息子が調べていてわかったのは
校則でロン毛OKらしき高校は
ことごとく偏差値が高い高校であるらしい。


 
さぁどうする、
勉強熱心ではなかった息子よ。
内申点が心許無い息子よ。
 
試験本番で相当な高得点を取る以外に
ロン毛でいられる未来はないようだ。
 
 
「オレ、本気でやるしかない」
 
ロン毛のために、やる気を出した模様
模試の成績がじわじわ上がっています。
 
やる気スイッチが、
まさかのこんなところ、
ロン毛にあったとは、、、


秋は体育祭の季節です
一年前から髪を伸ばし
「体育祭で、ロン毛をなびかせて走る」という
よくわからない中二病全開の夢が叶うらしいけれども、
 
女子のみなさんには
ロン毛は大変不評だそうで、
「あんた、まず髪切らんとモテんよ」
と超上から目線のアドバイスを戴いているそうです。









エンドレスサマー

2024年09月11日 | blog

夏の終わりは8月31日だ。
どれだけ暑くても、気持ちの上では9月は秋。

そういう感覚が、17歳の頃からずっと続いている。


17歳の夏は私の転機だった。
13歳からいつも、学校では体育以外はオール5だった私は
17歳の夏を境に、学年でビリから2番目というポジションに転落した。

急な坂道を、猛スピードで転がり落ちる
ライク・ア・ローリングストーン
我ながら笑ってしまう。

理由は、ロックにハマってしまったから。



17歳の夏に見たいろんな景色を今も忘れないなぁ

高校に入り八瀬遊園(スポーツバレー)でバイトを始めた。

バイト先の年上のお姉さんが
「彼氏のバンドのライブあるから
今日、バイト終わったらいっしょに行かへん?」
と誘ってくれて、生まれて初めて行ったライブハウスは磔磔だった。

磔磔のワンドリンクで注文したスクリュードライバーのウオッカの重さ
鎬を削る長髪の痩せたバンドマン
帰り道の鴨川に映って揺れるネオン
ちがう高校のともだちと話す、学校では絶対にしない話。
どこの誰とか関係ない世界。
17歳女子高生の疾走するスピードと一致する何かがそこにあった。


夕方までバイトして
夜はライブハウスで音楽を聴いた夏休み

八瀬遊園のプールは
8月31日で終わる。
高校生のアルバイトたちも8月31日まで。

プールが終わり、バイトが終わる最後の日。
夏が終わり、学校へと帰る日。

17歳の夏は特別だった。

大人になって、いろんな大変なことがあっても
この時期に吸収した何かが、一生自分を支える気がする。
エンドレスサマー。



息子は中3で
もうそろそろ進路を決めないといけない時期らしい。


息子の選択肢は3つ。

①がんばったらなんとか入れそうな、偏差値の高い進学校。
(ハイレベルな大学へ進学するには良いだろう)

②中堅だが大学の附属で、
大学にはエスカレーターで上がれる私学。
(わたしのように高校で勉強をしなくなっても大学には行けるだろう)

③自由で剛健な校風の公立高校。


塾の先生は①を推してくる。
でも息子には、大学の進学のために高校を選ばないでほしい
なんて密かに思ってる。
いや、学校はどこでもいいな。
それより15〜18歳のいちばん大切な時期を
めちゃくちゃ疾走してほしい。












父の愛人かと勘違いした話

2024年09月08日 | blog

父が他界したのは15年前だ。

しかし今でも、
父の知人だった方から声をかけられることが、たまにある。


こちらは存じ上げないのだけれど
あちらから「もしかして娘さんではないでしょうか」と。


なぜ娘とわかるのか、それは

わたしが父と同じ仕事をしていること、
わたしが旧姓で仕事をしていること、
そして顔がそっくりなことで確信に変わるそうだ。
先日も久しぶりにそんなことがあった。


そんな時、みなさん父との思い出をちょっと聞かせてくださる。

しかしそのエピソードの中の父は、
一様にわたしの知らない姿なのだ。


どんなにオモロい人だったか。
どんなに人情が厚かったか。
どんなにジェントルメンだったか。
どんなふうに優しかったか。


それらを聞くたびに
不謹慎だがいちいち驚愕する。
!(◎_◎)


私の知っている父は
オモロくもなく
ジェントルメンでもなく
わかりやすく優しくもなかったからだ。
父、スマヌ。


うすうす、
実はとても優しくて
繊細で
センチメンタルなところもあり
人情に厚く、心優しいひとだったのかもしれないと思うところはあるが

父はあまりにも照れ屋さんだった。
スタンダードな昭和の頑固オヤジなため
家族の前では、あまりそういった面を見せなかった。


なので、父の知人からお話を伺うと
ふつうに毎回驚く!


そういえば、
仕事で行った銀行の窓口で
50代くらいの女性行員さんが

「〇〇さんのお嬢さんではないでしょうか
ああお顔がこんなにもそっくりでいらっしゃる…
お父様には本当にお優しい方でした
ほんとうによくしていただいたのです」

と突然涙をポロリされた時には、

なぜゆえ銀行の窓口というお堅い場所において
突然のこの、あまりにもの感情表出!
もしかして貴女は父の愛人でいらっしゃったのか、、、?

などと不謹慎なことを、失礼ながら一瞬本気で考えてしまったこともあった。
失礼すぎますね、スミマセン笑

 

ーーーーーーーーーーーーーー


そんな方々のお話を聞いて
わたしが知っているのは、父のほんの一部なんだなぁとしみじみ思う。

いちばん血のつながりが濃い親子といえども
18年も一つ屋根の下に暮らしたけれど
他人さんより父のことを知らないのかもしれない。


でもそれは珍しいことではないような気もする。


思えば、わたしと、わたしの息子(14才)もすでにそうだもん。
とてもオープンに接しているつもりだけど

母親がどんなことに喜ぶかは知っているかもしれないけれど
母親がどんなことに傷つき、どんなことに悩むタイプなのかは
きっと知らないだろう。

別に隠したいわけでもないけど
カッコつけてるわけでもないけど
弱い部分をわざわざ子供に見せないもんね。


わたしだって、息子のことを
全部わかっているわけもなく。
わたしに話さないことも、
これからさらにどんどん増えていくだろうし。


親子ってほんとうに遠いもんなんだなぁ。

でもそれでいい気がする。
親子に限らず、知らない部分があるからこそ、尊重できるような気がして。


父とは、親子としてはそんなに仲良くはなかったかもしれないけど
でも、同じ年代に生まれていたら、ともだちだったらとても気が合ったかもと思う。

実はともだちよりも、なりたいものがある。
それはバンドメンバー!

あの人は実は繊細で隠れロマンティックだから
ギタリストがいいんじゃないかなぁ〰
いいギター弾きそう。






手紙

2024年09月03日 | blog

うるっ、となるようなものを見てしまった。


ミッフィーの絵のついた封筒が玄関に落ちていて
アレ、わたしのかな?と思って開けたら
息子(中3)への、女の子からの手紙だった。
中1の頃、つきあっていた女の子。

あちらからの告白でつきあったけれど
ついこないだまで小学生だった至らない息子は
女子の精神年齢の高さについていけず
彼女の気持ちに応えきれずに別れることにした、らしい。


落ちていた封筒には
2通の手紙と写真が入ってた。 


1通は、付き合いだした頃の
息子のお誕生日の頃らしく。


「Happy Birthday 13才!
○○君の彼女になれてうれしいな
いっぱい好きになってもらえるようがんばります
家にも遊びに来てね
妹に会って欲しいよ〜」

のようなことが書いてあって。


もう1通は、
別れたずいぶん後
中3の最近もらったようで


「あんたが骨折して最後の大会に出れなくなって、めっちゃ怒ってたけど
一緒に、3年間吹奏楽部やれてよかった
バリトンサックスが本当にじょうずだったよ
ほんで、かまってちゃんやなw
これからもよろしく!」

みたいなことがいろいろ書いてあって、
明るくていい手紙だった。
部活で、みんなで一緒に撮った写真が入ってた。



クリスマスに、結構悲惨な別れ方をしたらしいけど
(息子のデリカシーがなさすぎて、恨まれていたとしても納得)

なのに、こんなふうに水に流して
ともだちに戻って明るくつきあってくれて
なんてすてき女子。

つきあってた時は、〇〇〇くんって呼んでたのが
別れてからは、苗字で呼び捨てなのもなんかいい。


2通のお手紙から、
青春のなんともいえない健全なものを感じて
ちょっとうるっとしたよ。


お手紙のことには何もふれず、
また、元の落ちてた場所に落としておきました。



そういえば、
自分宛じゃない、ひとの手紙を見ることって全然ないよね。
今回、たまたま知らないで開けてしまったけど
そんなことって、ふつうは全然ないもんね。

自分宛じゃない手紙だからこそよけいに
なんか、手紙って
ほんとにいいよなぁってさらに思った。

手紙って
会って話してる時より、少し改まってるのがいいんよね。
文字にすると、その筆跡が
どんな字でも、グッとくる。


筆跡って
どんな字を書くんだろう?という想像が
当たらないことが多い。


チャラそうな人が達筆だったり。
男らしい人が、かわいい丸文字だったり。
いつもきちんとしている女性が、解読できないほど悪筆だったり。
そういうのも、なんかいい。


わたしもひさしぶりに手紙を書きたい。

大人じゃない手紙を。

仕事の「お世話になっております」から始まる手紙しか
ここ数ヶ月は書いていない。

季節のあいさつから始まったりしないやつ。
拝啓とか、いわないやつ。
定型じゃないやつ。
用事のないてがみ。
青春みたいなやつ。















詩人M

2024年08月28日 | blog

今日、伯母が
京都から関東に引っ越して行った。
さびしいなー


先日会った時に
本が好きだと言っていたら

今日、仕事から帰ると
うちの玄関に
引っ越してゆく伯母からの本が4冊置いてあった。

ぜんぶ相田みつをさんの本だった


「よろしかったら読んでね
元気でね」


自分ではなかなか選ばないタイプの本。
伯母がくれたのも
なにかの好機かもね♪
相田みつをさんの本
はじめて読んでみます


たくさんの中で
この詩が印象に残る




熱い涙をこぼして
声のかぎりに 泣く

涙なんか 一滴もみせず
無声慟哭する

共に大事な 仏のはからい
狂わずに生きるための


 みつを





「涙なんか一滴もみせず、無声慟哭する」
というところが、なんとも。

重厚な詩

ほんとうに悲しい時、つらい時はたぶん涙は出ない。
無声慟哭は、最大の叫びかも。
そしてなにか覚悟めいたものも感じます。

狂わずに生きるために、というのが
ことさら切実でグッときます。

(そういえば、先日
自分のバンドのライブ後
観てくれはった人に
「ある意味すでに狂っていますね」という感想をもらったなことがあったな)



パラパラ読んでいくと

伯母がフセンを貼っていた箇所がある



 

なんにも欲しがらぬ時が
一番強い


 みつを


 

ああわたし煩悩いっぱい
ぜんぶ捨てることはなかなかできないけど
それを忘れた時、いわゆる「ゾーンに入る」のかも。

仕事や、ライブの演奏や
わたしがいろんなことで失敗する時
たぶん、ギラギラしすぎてる時なんじゃないかな〜


そして、みつをさんは
こんなキュートな詩も。






自己顕示

『この花はおれが
咲かせたんだ』

土の中の肥料は
そんな自己顕示をしない
おれのような

  みつを












 

 

 


「大嫌いでした」

2024年08月21日 | blog

先日、ある方の一周忌がありまして。

法要のあとの会食にて
「故人との思い出を順に語っていこう」という流れになりました。

わたしの順番が来た時、
最も感謝しているエピソードを話しました。


他の方も、
故人の優しかったところ
面倒見のよかったところ
努力家だったところ
などを話され、会は和やかに続いてゆきました。


しかし突如、流れが変わりました。


70代の男性の番になった時

「私には、○○さんとの良い思い出など、なにひとつございません。
むしろ嫌な思い出ばかりしかございません。
ほんとうに大嫌いでした」

と言ったきり、とても厳しい表情で黙り込まれたのです。


予想外の展開に
一同静まり返りました。



でも、なんか
そういうのも、いいかもなぁと思った。

それがすごく普通なんじゃないかなぁと思ったの。

どんなにいい人でも
全員から好かれる人なんて、たぶんいないもんね。



少し前、阿川佐和子の小説
「悪女について」を読んだところなのだけど

主人公の富小路公子は冒頭ですでに亡くなっていて
スキャンダラスに亡くなった富小路公子を取材をするために
ライターがいろんな人に取材をしていく
という手法なんだけど、

公子のことを「とんでもない悪女だ、いまも恨んでいる」
という人も続出すれば
「あんな心の綺麗な聖女はいない」という人もまた続出してた。



法要の場では、遺族の前で良い思い出を話すのが
まぁ普通の流れなんだろうけれども
だからKYといえばKYなんだろうけれども
そういうのも、ある意味アリなんじゃないかとも思った。

不謹慎かもだけど
やけにすがすがしかった。

いいやん、嫌われても。
嫌われたらダメ、なんてことはないよね。


誰でも、誰かに嫌われてるよね。
わたしもきっと誰かに嫌われてる。

そして誰かに好かれてる。


お葬式や法事で
「大嫌いでした」と言うパターン、あまり聞いたことないけども、
もしかしたら、大好きだった時期がかつてあったのかも。
なんて考えたり。









メンバー紹介

2024年08月17日 | blog


バンドでギターを弾いているのだけど
ライブでメンバー紹介の時、
ボーカルが、キャッチフレーズみたいなものとともに名前を呼んでくれることが多い。


その打ち合わせなどはなくて
本番MCで初めて聞くキャッチフレーズ。
「ああ、メンバーからそんなふうに見えてるのかー」と、おもしろい。


先月のライブでは
「バンドの中でいちばんロック小僧なヤーツ、ギター・メグ」
と、紹介されてた。


その前のバンドでは
「色が白い、エロい、そして一本筋が通ってる、メグちゃん!」
と紹介されてた。

メンバーは意外なところを見ています。笑



そして、今日買い物に行ったら
↑上記の「前のバンドのボーカル」がお店にいた。
久しぶりに会った。

わたしの息子も一緒だったんだけど
息子も「一本筋の通った感じやな」と彼女に言われる。

一本筋が通ってる親子?笑


人から見える自分って、自分ではとても意外なものですね。
どんなとこを見て、一本筋が通ってると感じたんだろう
そして、何をみてエロいと思ったのだろう笑笑




















送り火

2024年08月16日 | blog

 

 


今年亡くなってもう会えない人のことをよく考える
 
2月の寒い夜、
青春みたいに、シャッターの閉まった商店街を全速力で駅まで走って、みんなで笑い合った。
それが、最後の思い出になってしまった。

 
またこれからも普通に会えると思ってたのに
今でも、頭では理解しているけれど、やはりまだ信じられない。


自分が子供の頃、若い頃は
送り火は単なる夏の行事の一つに過ぎなかった。


でも大人になって
大切な人があちらの世界へ行った時
送り火の意味が、はじめて胸に迫った。


写真は西大路通からみた今日の左大文字。





 
 
 
 
 

暇人現る

2024年08月15日 | blog

息子が事故って顔を骨折し
3週間ほど入院していました。

中3だけどスマホは持っていないので
まったくネット環境のない入院生活です。
現代の若者にとっては、
経験したことのない非デジタル生活でありましょう。

ヒマだ、、、とぶつぶつ言っていました


すると、入院10日目あたりから
小説めいたものを書き始めた!

小さい頃から読書(活字)が大嫌いで
ほぼ本を読まないまま大きくなったのに、なにゆえ電撃執筆?!


ヒマすぎておかしくなったのかと思っていると
ヒマすぎて本を読むしかなく、
ある作家にハマり
俺も書いてみたいと思ったと。

退院してからも
謎の長編を書き散らしています。

アナログ・ヒマヒマ・マジック!



わたしも小学生の頃に
似たようなことがあった


日曜日がほんとうにヒマだった、、


ファミコンもまだなかったし
テレビもつまんないし
親が忙しく1年中どこへもお出かけしないし
母の本棚にある本を、仕方なく読むことにしました


ヒマだから、片っ端からぜんぶ読む!
あしながおじさん
アンネの日記
窓際のトットちゃん
佐川君からの手紙
人間の証明
氷点
などなど、、


さらに暇すぎて「家庭の医学」もスミからスミまで読んだ、、
読むものがなくなって、仕方なく国語辞典・漢和辞典まで読んだ、、
どれだけヒマなのよね?


そのせいで、10代の頃
たまたま受験したある資格に
ノー勉強でまさかの合格してしまいました
ヒマすぎただけなのに
そんなことがあるなんてちょっと笑ろてしまいました

非リア充ヒマ人の
謎のインドアパワー!






今月のライブ

2024年08月05日 | blog
 
 
 
 
ギター を弾いているバンド
THE GOOD LOVIN’s 
 
8月17日 土曜の夜
西院ウーララさんに出演させてもらいます
 
わたしたちの曲に
「THE GOOD LOVIN’sのテーマ」というブギー調の曲があります
 
🌸
 
君がくれた 情熱の花を
カラダいっぱい吸い込んで
 
君がくれた 小さな花を
彩っていく I Love You  
 
🌸
 
ボーカルのonoさんが書いた歌詞ですが、
わたしの中にも、これまでいろんな人からもらった情熱が、花になって咲いているような気がします😊
 
8月17日土曜日
よかったらのぞいてください♡
 
 

バックステージ

2024年07月24日 | blog

「友人」と呼ぶほど親しくはない間柄の「知人」。

たとえば
会社の取引先の社員さんや
地域の人々や
ママ友、遠い親戚など。


何年も顔見知りで
いろんな場面で遭遇はするものの
いつもごあいさつ程度で
個人的な話をする機会が、長い間たまたまなかった人たち。


そんな方たちと、
とてもひさしぶりに、個人的な話をする機会が、ふとしたタイミングで急に訪れます。

ここ1〜2年
そんな機会がいくつもありました。



すると、以前と状況がとても変わっておられて
驚くことがあります。


ご主人が、若くして急逝されていたり。

娘さんが、後天的に障害を背負われていたり。

経営する会社が、多額の負債をかかえておられたり。

エリートだった人が、リストラをされていたり。

バンドでライブハウスでバリバリ活躍している人が、病を抱えていたり。

おしどり夫婦だと思っていたら、実は離婚をしていたり。

幸せそうに見える夫婦が、ヘビーな苦労を乗り越えていたり。

ご身内が、覚醒剤で逮捕されたり(しかも芸能人だった)

旦那さんが、自死されたり。

教室ではしゃぐ15才が、実は先月お父さんを突然死で亡くしていたり。



しかし、その方たちはみんな
一見、以前とかわらず生活しているように見えます。

会った時は、ほがらかで
SNSには明るい日常を投稿しておられたりします。


SNSやブログで切り取られた明るい日常は
べつに無理をしているわけではなく、それも、まぎれもないリアルな姿です。


しかし、その陰に
誰しもバックステージがあるのだなと
当たり前だけど、たびたび改めて思います。

ほんとうに外からはわからないものです。


でもその方々が、
なにも、とくべつ不運だったわけでも
とくべつ不幸なわけでもなく、
ほとんど世の全員に、そういうことが普通にあるのでしょう。


わたしにもまた、ひとつやふたつあります。
これを読んでいるあなたにも、あるのだと思います。


いろんな時期があって、浮いたり沈んだり。
でもしんどい時期にも、明るい瞬間はあって
他人のそういう明るい瞬間がとても美しく見えます。
とても、とても、美しく見えます。










夏休みの宿題

2024年07月23日 | blog

中3の息子の夏休みが始まりました。
受験生だから毎日塾で、ほとんど休みがなく、
学校の宿題もけっこう多く、中学生って忙しいのね。
わたしたちも昔、そうだったんだろうね。


子供の宿題を手伝う親も多いそうだけど
わたしは手伝わない派です。
自立がモットー。



わたしの母も、わたしの勉強面にはなにも口出ししてこない母でした。
宿題を手伝うなんて、ありえない母でした。
でも母が突発的に宿題を手伝ってきたことが、二度だけありました。


中学生の夏休み、水彩で自画像を描く宿題がありました。
父と母が出かけていた日の夜、鏡を見て、ひとりでリビングで自画像を描きました。
わたしは、現在でも人に笑われるくらい絵が下手くそです。
平面的でビミョーな仕上がりだったけど、まぁこんなもんかと、仕上げて寝ました。


朝、起きて一階に降りると
なんということでしょう!

わたしの仕上げた、どうにもこうにも平べったい自画像に
おそろしいほどの立体感が出ています。
画用紙から飛び出してくるような臨場感で、とても中学生の絵だと思えません。


母が「ごめーん、あんまりヘタやったから
ついつい上から塗りたくなってしもた
勝手なことしてかんにんえ〜」
などと言って笑っていました。


その年の夏休み明け、
優秀な作品に選ばれてしまいました。
わたしは、絶対自分で描いてないのバレバレやん、と思いましたが
美術の成績が5になりました。



また、高校の家庭科の宿題で
型紙を買ってきて、ワンピースを作るという宿題がありました。
バブリーな時代の名残で、ボディコンのワンピースでした。

またもや、たまたま母が出かけている日でした。


ワンピースを途中まで縫って寝ると
朝起きたら、ボディコンワンピが完成していました。


母が「ごめーん、久しぶりにやりたくなってつい手を出したら
本気になってうっかりぜんぶ完成してしまったわ、
あかんとは思ったけど酔ってたし。
楽しかったわ、かんにんえ〜」と言いました。


母はブティックのデザイナーだったので
プロレベルの仕上がりです

既製品のような宿題を提出することとなり
あやしさ極まりありません。
しかしまたもや家庭科の成績が5になりました。

 

母が宿題を手伝ってくれたのは
その二度だけです。

しかも、娘に協力しよう!という親心ではなく
下手さにイラッとし、思わずプロの本気を出して楽しんでしまった、みたいな。
なにそれ、オトナゲなーい、笑ってしまいます。


わたしはそんな母がキライじゃないです。
あんたのために、とか
娘の成績を上げようと画策したりではなく、
手伝ってあげようか?とか言わない、勝手に楽しんでしまう自由人な母が好きです。



今日、息子が作文の宿題をやりかけたまま、塾に行ってしまいました。
テーブルに広げたままの原稿をチラっと見ると
あーー、ここ、こういうふうに書き換えたらおもしろいのにな
なんて思い、母のことを思い出しました。

息子、イラっとするかな
それとも笑ってくれるかな
と思い、
自分のPCのWordで続きを勝手に創作しました。
悪ノリして、へんなものを自由に書き散らしました。

まぁたぶん、息子に採用はされないだろうけれど
書いているあいだ、中学生に戻ったような気分でとてもたのしかったです。

母の気持ちがちょっとわかったような気がしました。



息子が帰ってきて、その件でいろいろ爆笑しました。
作風が違いすぎやろ、とか言って。


その、ふたりで爆笑している時
ふと冷静になる自分もいました。

こんなふうに宿題のことで爆笑してるなんて平和だな
こんな夏はあと数回しかないんだなと思いました。

わたしたちは、旅行も行かないし
ディズニーランドとかUSJとか
そういうところに行くのも好きじゃないし
家で楽器弾いたりとか
毎年、ビッグなレジャーゼロの地味な夏休みを過ごしています。

だから、いかにもな大きな夏の思い出がほとんどありません。

でもきっと
自分の命が終わるとき
走馬灯のなかに
今日の、宿題のことで爆笑したなにげない夏の夜がきっと映るんじゃないかと、ちょっと思いました。