父が他界したのは15年前だ。
しかし今でも、
父の知人だった方から声をかけられることが、たまにある。
こちらは存じ上げないのだけれど
あちらから「もしかして娘さんではないでしょうか」と。
なぜ娘とわかるのか、それは
わたしが父と同じ仕事をしていること、
わたしが旧姓で仕事をしていること、
そして顔がそっくりなことで確信に変わるそうだ。
先日も久しぶりにそんなことがあった。
そんな時、みなさん父との思い出をちょっと聞かせてくださる。
しかしそのエピソードの中の父は、
一様にわたしの知らない姿なのだ。
どんなにオモロい人だったか。
どんなに人情が厚かったか。
どんなにジェントルメンだったか。
どんなふうに優しかったか。
それらを聞くたびに
不謹慎だがいちいち驚愕する。
!(◎_◎)
私の知っている父は
オモロくもなく
ジェントルメンでもなく
わかりやすく優しくもなかったからだ。
父、スマヌ。
うすうす、
実はとても優しくて
繊細で
センチメンタルなところもあり
人情に厚く、心優しいひとだったのかもしれないと思うところはあるが
父はあまりにも照れ屋さんだった。
スタンダードな昭和の頑固オヤジなため
家族の前では、あまりそういった面を見せなかった。
なので、父の知人からお話を伺うと
ふつうに毎回驚く!
そういえば、
仕事で行った銀行の窓口で
50代くらいの女性行員さんが
「〇〇さんのお嬢さんではないでしょうか
ああお顔がこんなにもそっくりでいらっしゃる…
お父様には本当にお優しい方でした
ほんとうによくしていただいたのです」
と突然涙をポロリされた時には、
なぜゆえ銀行の窓口というお堅い場所において
突然のこの、あまりにもの感情表出!
もしかして貴女は父の愛人でいらっしゃったのか、、、?
などと不謹慎なことを、失礼ながら一瞬本気で考えてしまったこともあった。
失礼すぎますね、スミマセン笑
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そんな方々のお話を聞いて
わたしが知っているのは、父のほんの一部なんだなぁとしみじみ思う。
いちばん血のつながりが濃い親子といえども
18年も一つ屋根の下に暮らしたけれど
他人さんより父のことを知らないのかもしれない。
でもそれは珍しいことではないような気もする。
思えば、わたしと、わたしの息子(14才)もすでにそうだもん。
とてもオープンに接しているつもりだけど
母親がどんなことに喜ぶかは知っているかもしれないけれど
母親がどんなことに傷つき、どんなことに悩むタイプなのかは
きっと知らないだろう。
別に隠したいわけでもないけど
カッコつけてるわけでもないけど
弱い部分をわざわざ子供に見せないもんね。
わたしだって、息子のことを
全部わかっているわけもなく。
わたしに話さないことも、
これからさらにどんどん増えていくだろうし。
親子ってほんとうに遠いもんなんだなぁ。
でもそれでいい気がする。
親子に限らず、知らない部分があるからこそ、尊重できるような気がして。
父とは、親子としてはそんなに仲良くはなかったかもしれないけど
でも、同じ年代に生まれていたら、ともだちだったらとても気が合ったかもと思う。
実はともだちよりも、なりたいものがある。
それはバンドメンバー!
あの人は実は繊細で隠れロマンティックだから
ギタリストがいいんじゃないかなぁ〰
いいギター弾きそう。