年上のひとが
今さらやけど、もうつきあい長いんやし敬語ヤメテヨ
って言う。
「あ、そう?じゃあ」って
おもむろにタメ全開で話そうかと思ってるんだけど、
これがなかなか出来んのよ?
○○さん、お茶飲むー?
とかは、楽勝♪
しかし、
あのね、って話しかけてたのを
「あのさー」
○○ですよね?って言ってたのを
「○○やんなぁ?」
この、やんなぁ?が
一瞬ためらうんだわ
なんか笑いそーになって。
ダウンタウンの番組で
若手の芸人さん連れて遊びに行くんやけど
敬語禁止という設定で、若手が敬語使うたびに千円罰金という番組あったけど、
ホントにそんな感じで。
自分は
バンドとかで知り合った年下の子にはだいたい
敬語やめようよ、ね?
とか言ってるんだけど。
とにかくどっちにしろ自然なのがいちばんええね。
そういえば、男の人ってのはやっぱり完全タテ社会なんかな?というか、
和風流の野郎たちは
カズヤ→バル→アキラくんの順に年上なんやけど。
すごーく馴れ馴れしいんやけど、よーく聞くと
それぞれ年上のアキラ君にはちゃんと敬語でしゃべってるみたいよ?
もー全然ちゃいますやんか!
意味不明ですやんか!とか。
あり得ませんやん!
とかよく言うてるよ
…って、語尾だけじゃんか
わたしは、プライベートなおつきあいなら、
敬語でしゃべってるかは、
年齢よりも、その人との親密度かなと。
初対面は年下年上でも敬語だけど
年上でも、とても親しくなったら
敬語のほうが逆に不自然な時が訪れるんよね。
時間を忘れるような。
のどがかわくけど、なにか飲むのも億劫な。
お腹がすいてもどうでもいいような。
口紅がはげててもどうでもいいような。
トイレに行くのも億劫な
そういう時間がサイコーに幸せだと思う。
一般に、
なにごとも視野は広いほうがいい、
という。
あたしもそう思うけど、
でも、ある意味、
狭くなるのは悪いことばかりじゃない。
だってどうでもいいことが気にならなくなる。
視野を狭くしないと
ちゃんと見えないものがある。
どうでもいいことを、ちゃんとどうでもいいと思いたい。
どうでもいいことが、どうでもよくなくなると大変だ。
明日から仕事。
しばらく、日報とか書類とかそういうものに
しつこく何回も『2008年』って書いちゃうだろうな。
「大人になったら1年はあっという間。30過ぎたらあっという間」
と、おとなはよく言うけど。そんな悲しいこと言うのはよそうぜ☆
一年あったら、いろんなことが出来ると、
信じてる
それはもう、阿呆のように信じてる。
御香宮でおみくじ引いたら、裏に「堅い信念をいつも持つことだ。
平素から肉体の鍛錬以上に精神の鍛錬に努むべきである」
って書いてあった。
15年会ってない昔の友達から連絡がきた。
お互い連絡先わからんかったし、
一生会わないままかもしれなかったような。
ミクシィで発掘されたん
ミクシィ、全然積極的に活用してなくて、
ミクシィで日記書かずにこのブログを繋げてるよな無精ぶり。
且つ、会う事ないであろう人とは絶対からまない偏屈ぶりやけど、
ミクシィやってよかったーと思った。
メール2往復くらいして。
あのね
ときどき思うけど。
「いつか会おうな」とか言うてたら
いつまでたってもきっと会えんよね?
タイミンングがあるんとしたら、
それは常に今やと思って。
それに、
「いつか会いましょう」なんていう社交辞令さえ
まだ知らなかった野生時代の友達やから。
だから私は
びっくりさせたくて電話する。
ケータイにいきなりフツーに電話かける。
すごく変な感じよ。
15年ぶりに電話かけて
「コンバンハ」だってさ、笑いがこみあげてくる。
15年前ってそういえばケータイなかったな。
電話でしゃべった記憶もない。
いつもいきなりアパート戸を叩いてたな。
呼び鈴もなくて引き戸の木の扉。
笑い方が変わってなかった。
「写メ送ってよ」って言ったら
「送らへん、近いウチ会うから必要ない」ってさ。
あ、通じてる
って思った。
ニヤリ。
どうでもいいことかもしれないけど、
大人になっても
どんだけ忙しくても、
「今日でもいいよ」っていう気持ちな、
実際ムリでもそういう気持ち、
なくしたくないの。
味がでてるとか
いい感じのヴィンテージ感のことを
「やれてる」
って言うんだってー。
なにやらこれは
雑誌「ライトニング」誌上等において
ヴィンテージをこよなく愛するおじさま(おにいさま?)たちが
こぞってお使いになる用語なのだとか。
「やれてるねー」
「やれが出てきたね~」
「やれ感があるねー」
などと活用するんだってさー。
この言葉ちょっとお気に入り。
やれてるって 何をやねん!みたいな。
このウンチク感ぷんぷん漂う暗黙の了解的美学というか。
それでいてカジュアル~な感じがお気に入り。
「やれて」いてカッコイイものは何でしょうかエンジニアブーツ。
ライダースジャケット
男の皮のお財布。
ギターのブリッジ
(ジャガー、グレッチならなお良し)ギターのハードケース
(やれを通り越してボロボロなのも大OK)
包丁
ステンレスキッチン道具
バイクのマフラー(ネイキッドタイプ)
男のデニムのお尻ポッケ(財布の跡) などなど。
わたしの持ち物の中で、一番イイ感じに「やれてる」のはカエルのぬいぐるみー
ボロボロで汚くて愛しいのよー
ギターのハードケースはまだまだ「やれ」が足りないわ。
最近買いたての真っ白のスニーカー(アディダスのスーパースター)をはいてたら
「白すぎる」と
あたりまえであろう!という理不尽な難癖をつけた揚句
隙あらば土足で踏もうとして来る悪友がいたけど
人のスニーカーに勝手にやれ感を出さないで戴きたい。
さっき、テレビ見てたら
美しいニューハーフの人がいっぱい画面に映ってた。
ものすごい色っぽくてね
同性でもドキドキしたぁ
あ、異性か。
いやもう妖艶。
形だけじゃなくて、
仕草や、
下向いてちょっと笑う時、
あたりに一面に花が咲いたような色香が広がる。
同じ笑うにしても。
生粋の女でありながら。
昨日、幼なじみと寺町のカフェのソファー席に居て
ヘンテコリンな話しては、
涙流してギャハハーとソファーに倒れ伏してたのやけど。
思わず
そんな己を恥じてしまうね。
ずいぶん前だけど
祇園のニューハーフのお店に連れてもらったことがあって。
そこで、ものすごく美しいニューハーフさんがいて
「なんでそんなにキレイ・・・
なんでそんなに肌も綺麗・・・」
とため息まじりにつぶやいたら
「そりゃ、あたしたちは
お金のかけかたが違うわよ」
って言ってて悶絶。
でも、金額の事を言ってんじゃないってことは
小娘のわたしにでもすぐにわかったよ。
美を求める本気さがちがう。
そもそも理由がちがう。
だから美しい。
かたちじゃなくて心。
美は心。
整形の話じゃなくて。
そして
「あとは恋」って
美しきニューハーフが笑ってた。
わたしは整形はしないし、
化粧品に多額のお金をつぎこむつもりはこれからもないけど、
恋ならまかせてよ!なんて。
十三まいりの季節です。
かつて私も両親に連れられ、嵐山の法輪寺へ行きました。
そこでの母の不可解な言動を
時々思い出してしまいます。
法輪寺では、祈祷の前に、
自分の好きな漢字をひとつ、
毛筆で書いて提出するというシステムになってて。
小学校6年生のわたしは、
迷わず「情」という字をさっさと書きました。
感情の情、とか、情熱の情、という意味で。
そしたら、お母さんが「なんていう字を書いてんのっ!!
子供のくせにいやらしい!!」
と、すごく怒るのです。
とにかくお母さんがうるさいのでしぶしぶ「情」はやめることにしました。
周りにいた子は、「愛」という字を書いてる子が多くて、
お母さんに「愛にしときなさい!」って言われたけど、
愛とかはイヤなんだッ!とか押し問答をしていて。結局「星」という字にした記憶があります。
で、
「お母さん、なんであんなに怒ったんやろう」と思ったけど。
大人になってから、
ははぁ
さては「情人」とか「情事」の情をお母さんは連想したんだなと。
昼下がりの情事に危険な情事…
普通、真っ先にソッチの意味出してくるかな。こないよな。
「情」さ、ヒドイ言われようでカワイソー。
だって「情」って、情熱の情もさることながら、
「なさけ」って読みさえするのにさ…
んで、
「お母さん、エロイねー、子供相手に大人げないよねー」
ってからかってみたけど、
案の定、母はそのことを全く覚えていませんでした。
今、漢字ひと文字やったら、何を選ぶやろう。
やっぱり、今でもしっくりくるのは「情」。
いろんな意味があって好きなんだ。
24時間テレビでは、
経緯と苦難と壁と強さ。
わかりやすくキレイに感動のパッケージ。
苦難から立ち上がる人を見て、涙を流す人々が映し出される。
世の中にはいい人がいっぱいいるような錯覚を覚える。
でも現実世界は
信じがたい卑しいヤツが歩いてる
24時間テレビの、ああいう感動の特集を否定したりはしてないよ。
あそこに映っているものは事実だろうし。
ダチュラ!
どうしてテレビと同じ世の中じゃないんだろう?
とか、どうしようもない子供みたいなこと思ってしまう。
マザーをはじめ、いろんな人から
「そういう人たちは、心の貧しい人たちやから気にすることない。
放っておけばいい」
と言われ続けて育った。
だけどな。
妹にはな、それがどうしても出来ないのだわ。
そうすれば自分もラクになれるってわかってるけど、
妹にとっては、物心ついた瞬間から最愛のブラザーなのだから。
そうやって流すことは
妹にはいちばん難しいことなのだよ。。。
どんなにがんばっても、
今までどうしても出来なかったこと。
人間ってさ、
自分のことだったら平気でも家族のこと悪く言われたりしたらすごくイヤでしょ。
24時間テレビは何も悪くない。
ああやってお金をかけて、宣伝をして、世間に何かを伝えることは、
きっと無意味ではないのよ。
だけど、ぶっちゃけ、あんまり見たくない。
だったら見るなよ
いや、たまたまテレビつけたらやってたんやー
はぁー、めぐりん、大人にならなきゃなぁ・・・
今日、ともだちが
「メグ、それは損してるわ」って。
それは伝わらへんで。って…
なんか、
そういう優しさは、たぶん、めっちゃ裏を読む人にしか伝わらへん、
似てるひとは痛いほどわかるやろうけど、
逆に誤解されてしまう可能性大やで?
すごく損してると思うで?
というような事を言われた。
だから何ってこともないけど、
それがすごく印象に残ってる。
損か。
そうか
損なんか・・・
でもなー。
いいねん、これで、ほんとうに。
いつも、ストレートな物言いをするけど、
でけへん時ってやっぱあるッ。
大事な人に、阿呆やなアイツ、って思われるのはすごくイヤやけど…。
言葉で説明して何になるんやろうとかー
ダサくねー?とか。
それに、相手がもし、私やったら、
それじゃ、全然きっと伝わらへんとおもうから。
身近に、口先だけの調子いいヤツがいて、
いっつも、もぉええて!って思ってるから、
そういうふうにはなりたくないなぁとか。
友だちのことは、ええやつなんはわかってるし、
自分だってそういうヤツのくせに、あえて言ってんのはわかってるけど、
でも、単純に損ていう言葉、キライ(笑)
買わないと損、とか
観ないと損、とか言われたり、書いてあったりしら、
おぉ、だったら損してやる、と反射的にに思ってしまう
キミの得と、わたしの得は違うかもよ、とか。
ナニ、この不必要にどうでもいい不毛な闘い
なんなのよ?
ハズバンドのブログにも書いてあったけど。
こないだ、陶器祭で、
アウトドア・ドメスティック・バイオレンス・ジジイ(O.D.V.J)
を目撃してしまった。
ステキな陶器を見て店主と話してたら、
隣のお餅屋の老夫婦がケンカになり、旦那が奥さんに暴力振るい、
エスカレートして店の屋根が崩壊してた。
ああああああああ!と思っていると
ウチのハズバンドが超絶メチャギレで
「俺、あのジジイ殴ってええか」とキャラ変わって燃え上がってた。
一瞬の間にいろんなこと考えた。
うん、止めないと、奥さんマジで怪我してしまう
でも、ちょっと待って、
餅屋の旦那はん超興奮してるし、
止めに入ったらさらに興奮して
余計に奥さんが後で殴られたりしないのか?
このこなれたDVぶり、たぶん数十回、数百回目のDV。
それでも別れない理由が奥さんにはあるわけで。
長年の夫婦の機微というか、
それを…たまたま遭遇した我々などが、果たして介入してよいのだろうか?
いや、しかし、
どう見ても奥さん身の危険。
うむ、この際、そんなややこしい気遣い無用。
ハズバンドよ、もう一度餅屋の旦那が奥さんに殴りかかろうとしたら、
ぜひに、止めに入るのよ!
たぶん年齢差からして、ハズバンドはこの老いた旦那はんをK.Oするであろう。
そしたら、ケイサツ沙汰になるかもしれぬ。
傷害罪に問われることもあり得る。
そしたらワタシは犯罪者の妻になるのね?
うむ。
アナタッ、それでもいいのよ、かまわないのよ?
アナタはアナタでアナタの正義をつらぬくのよーーッ!!!!
と、妄想甚だしくひとりうんうんと決意していたら。
夫婦ゲンカが鎮火していました。
私の足元に、
餅屋の旦那はんが奥さんにさっき投げつけた、
商品のお餅がたくさん転がっていました。
たぶん、夫婦ふたりで、
この祭のためにこしらえたお餅が。
拾って、戻そうと拾いかけたけど、
さっき、奥さんが
「みんなが見てるじゃないの!!!」って、
暴力振るわれながら叫んでたのを思い出して。
他人の視線が人を傷つけることがあるから。
「大丈夫?」みたいな雰囲気になったら、
当事者は余計に悲しくなることだってあるから。
だから、私はお餅を拾って奥さんに返すことがどうしてもできなかった。
転がってた四角い餅を思い出すと今でも胸がつぶれる。