今回から新たなシリーズを始めたいと思います。題して「哺乳類進化研究アップデート」です。私の専門や興味を活かし、本業の仕事とは別のところで、他の人があまりやっていないことで、なにをみなさんに提供できるかと考えてたどりついたテーマです。進化学と一言で言ってもとても広い科学の分野なので、私たちヒトも含めた哺乳類にしぼり、まだ本にも載っていないような最新の研究成果を世界のトップジャーナルから集めてきて紹介しようという考えです。ネイチャー、サイエンス、セルという世界の3大トップジャーナルとそれらの姉妹紙を中心に、最近2、3年で報告されたオープン・アクセス(フリーで公開されている)の論文、総説、記事について、私なりにかみ砕いて説明できたらと思っています。
一回目は、自殺について進化学的に考察している研究者についての記事を取り上げてみます(「進化の謎を探る。驚くべき進化学の仮説は、人間が自分自身を傷つける理由と何千年もの間自分自身を安全に保ってきた方法を考察している」Probing an evolutionary riddle. A startling evolutionary hypothesis considers why humans harm themselves—and how they've kept themselves safe for millennia. Elizabeth Culotta. Science, 2019: Vol. 365, Issue 6455, pp. 748-749)。日本人はもともと自殺率が高く、とくにこのコロナ禍で芸能人の自殺が多いのが気になります。自殺はよくないことで自分だけでなく家族や周りも不幸にしてしまうと言われているのはもっともですが、仏教において、頂いた自らの命を絶つということをすると死んでからも本来行くべきところに行けないかもしれないとまで言われると、そこまで言われなければいけないのだろうかと疑問に思ってしまいます。そうした道徳的、宗教的なところから離れて、自殺というものを進化学的に解釈しようと試みている研究を取り上げたのがこの記事です。
ダーウィンは「種の起源」において「自然選択はそれ自体に害を及ぼすものは決して作らない」と書いています。しかし自然選択が作り出した人間はそのことを行ってきました。世界保健機関によると、自殺は暴力的な死の主な原因であり、世界中で毎年約80万人が亡くなっています。これは、すべての戦争と殺人を合わせた死亡者数を上回っています。少数の進化論的思想家たちがこのパラドックスを解決する方法を考えていました。しかし、著名な進化心理学者であるニコラス・ハンフリーは、例外なく説明ができるような説がないと感じていました。そこで彼は自分で探求を始め、「自殺は重要な適応の悲劇的な副産物である可能性が高いーそれが洗練された人間の脳である」と結論付けました。そして、クリフォード・ソーパーという心理療法士が同様の考え方を示していることに気付きました。もともとは自殺をした人たちを社会的評判から救いたいという思いから始めた調査の結果ですが、その考え方は「自殺は人間の知性の結果であり、それが私たちの心と文化を形作っている」というものです。ソーパーは彼のモデルを「痛みと脳」と呼んでいます。すべての生物は痛みを感じます。これは脅威を回避するために不可欠です。しかし、人間以外の動物には自殺をすることの証拠が見つかっていません。一方、人間はユニークな大きな頭脳を持っており、複雑な社会生活、文化、死の意識を持つことができます。そのため、苦痛に直面したとき、洗練された心は死を逃げ道と考えることができるという考え方です。つまり、人間における自殺は生物学的には自然なものだという考え方です。したがって、自殺の抑止は、社会や文化や宗教が担うことになります。そうした防御力が壊れると、後追い自殺や自殺の連鎖が起きると考えています。
クリフォード・ソーパー
こうした考え方は、自殺は主に精神病によって引き起こされるという医学的見解とは衝突するものです。さらにソーパーは、精神疾患自体が自殺に対する予防策になり得ると提案しています。たとえば、うつ病に伴う自発性の欠如が自殺行為の防止に役立つ可能性があるとしています。これについて医学的には反論もあります。
ハンフリーやソーパーの考え方は、進化学的な自殺の解釈としては興味深いものですが、まだ統一された結論とはなっていません。