うちで飼っていたネコのリュウタが、死ぬ直前に別れのあいさつとして(すくなくとも私にはそう感じられた)一晩添い寝してくれたということを、以前紹介しました。
この行動はあまりに人間的かつ崇高すぎるように感じられて、なぜネコという動物がこのような行動をしたのか未だに分からないのですが、どうやら他の人たちもネコが死ぬ前になんらかの特別な行動を経験しているらしいのです。
女性セブン2018年12月13日号の記事としてネットに紹介されていましたので、下記にそのまま抜粋させて頂きます。
以下抜粋-------------------------------------------
MSNニュース
2018/12/02 07:00
「猫は死期が近づくと姿を消すのは本当か エンジェルタイムの重要性」
“猫は死期が近づくと姿を消す”といわれる。なぜそのような行動をとるのか真相は解明されていないが、動物は具合が悪くなると、安心して休めるよう、敵に襲われない安全な場所に身を隠す習性があるという。体力を回復させようと隠れたものの、そのまま死んでしまう場合もあり、それらの行動が飼い主からすると、自分の最期を予感して姿を消したように感じてしまうようだ。
「死に場所を求めて姿を消すのではなく、あくまで回復のために身を隠すだけ。むしろ猫は自分の死期を悟ると、飼い主にいつも以上に甘えたり、最後の力を振り絞って元気な姿を見せるなどの行動をとることが多いんです」とは、往診専門動物病院「わんにゃん保健室」の院長・江本宏平さんだ。その意図は、死期を悟った猫が飼い主に対し、感謝の気持ちを示しているのではないかという。「私はこの飼い主と愛猫の最期の時間を“エンジェルタイム”と呼んでいます。天国へ旅立つ前の大切な時間です」(江本さん・以下同)
◆自分でエサを食べられなかった愛猫が死の直前、元気よくミルクを飲んだ逸話も
江本さんが行う往診治療では、その特性上、病院へ通うのが困難な末期症状の猫や高齢猫と接することが多い。
「病気の完治を目指した治療はすでに難しく、余命わずかなケースも。生死をさまよう峠を2度越えられる子は多いのですが、3度目は厳しいのが現実です」
昨年もこんなケースがあったという。20才の愛猫の様子がおかしいと連絡を受け、自宅に駆けつけたが、すでに猫はぐったりと横たわり、心臓の音も弱々しかった。「その場で点滴と高栄養ミルクの強制給餌を行いました。しかし状況は厳しいまま。もしかしたら今夜は越えられないかもとお伝えしました」 翌朝、飼い主から自力で排便するまでに回復したと連絡があったので、その時は峠を越えてくれたと思ったという。しかし、その後また容体は悪化。自力でエサも飲み込めなくなり、食事は飼い主のサポートが必要になったが、それでもなんとか、2度目の峠は越えた。しかも翌日、奇跡が──。それまで全く飲み込めなかったミルクを自力で飲んでいたというのだ。「弱っている体のどこにそんなパワーがあったのか。まるで“私、こんなに元気になったよ”と言っているかのように、ミルクを飲んでいました。その姿を見た時、イヤな予感がし、飼い主にもすぐ伝えました」その予感通り、その翌朝、静かに天国へ旅立った。元気にミルクを飲む姿を見せてくれたのは、飼い主を安心させたい、20年間ありがとうの気持ちを伝えるためだったのだ。
「エンジェルタイムは、飼い主にとっても重要。別れへの心構えができ、臨終に立ち会っても静かな気持ちで送り出せます」
飼い猫がいつもと違う行動をとる。それがすべて死に直結するわけではないが、何かのサインかもしれない、ということを覚えておいた方がいいかもしれない。
-------------------------------------------抜粋以上
そういうことで、死ぬ前に飼主へ感謝をつたえる行動というのはネコ一般に見られることのようなのです。私はそのようなネコの行為を受けて、たしかに静かに死を覚悟することができました。それと同時にそのネコのことがしっかり脳に刻まれて、一生忘れられない思い出として残りました。では、ネコにとってはどういう意味があったのでしょうか?ほんとうに感謝の気持ちを伝えたかったのでしょうか?それによって、安心して死んでいくことができたのでしょうか?しかし、人間だけが他人の幸せを願う心を持つようになったなどとよく言われますが、心を持っているということに関しては動物と人間には連続性があるように思います。ネコに一般的に見られる行動だとすると、ネコの遺伝子が直接・間接的にそうさせているのでしょうか?いろいろとわからないことは残っています。
この行動はあまりに人間的かつ崇高すぎるように感じられて、なぜネコという動物がこのような行動をしたのか未だに分からないのですが、どうやら他の人たちもネコが死ぬ前になんらかの特別な行動を経験しているらしいのです。
女性セブン2018年12月13日号の記事としてネットに紹介されていましたので、下記にそのまま抜粋させて頂きます。
以下抜粋-------------------------------------------
MSNニュース
2018/12/02 07:00
「猫は死期が近づくと姿を消すのは本当か エンジェルタイムの重要性」
“猫は死期が近づくと姿を消す”といわれる。なぜそのような行動をとるのか真相は解明されていないが、動物は具合が悪くなると、安心して休めるよう、敵に襲われない安全な場所に身を隠す習性があるという。体力を回復させようと隠れたものの、そのまま死んでしまう場合もあり、それらの行動が飼い主からすると、自分の最期を予感して姿を消したように感じてしまうようだ。
「死に場所を求めて姿を消すのではなく、あくまで回復のために身を隠すだけ。むしろ猫は自分の死期を悟ると、飼い主にいつも以上に甘えたり、最後の力を振り絞って元気な姿を見せるなどの行動をとることが多いんです」とは、往診専門動物病院「わんにゃん保健室」の院長・江本宏平さんだ。その意図は、死期を悟った猫が飼い主に対し、感謝の気持ちを示しているのではないかという。「私はこの飼い主と愛猫の最期の時間を“エンジェルタイム”と呼んでいます。天国へ旅立つ前の大切な時間です」(江本さん・以下同)
◆自分でエサを食べられなかった愛猫が死の直前、元気よくミルクを飲んだ逸話も
江本さんが行う往診治療では、その特性上、病院へ通うのが困難な末期症状の猫や高齢猫と接することが多い。
「病気の完治を目指した治療はすでに難しく、余命わずかなケースも。生死をさまよう峠を2度越えられる子は多いのですが、3度目は厳しいのが現実です」
昨年もこんなケースがあったという。20才の愛猫の様子がおかしいと連絡を受け、自宅に駆けつけたが、すでに猫はぐったりと横たわり、心臓の音も弱々しかった。「その場で点滴と高栄養ミルクの強制給餌を行いました。しかし状況は厳しいまま。もしかしたら今夜は越えられないかもとお伝えしました」 翌朝、飼い主から自力で排便するまでに回復したと連絡があったので、その時は峠を越えてくれたと思ったという。しかし、その後また容体は悪化。自力でエサも飲み込めなくなり、食事は飼い主のサポートが必要になったが、それでもなんとか、2度目の峠は越えた。しかも翌日、奇跡が──。それまで全く飲み込めなかったミルクを自力で飲んでいたというのだ。「弱っている体のどこにそんなパワーがあったのか。まるで“私、こんなに元気になったよ”と言っているかのように、ミルクを飲んでいました。その姿を見た時、イヤな予感がし、飼い主にもすぐ伝えました」その予感通り、その翌朝、静かに天国へ旅立った。元気にミルクを飲む姿を見せてくれたのは、飼い主を安心させたい、20年間ありがとうの気持ちを伝えるためだったのだ。
「エンジェルタイムは、飼い主にとっても重要。別れへの心構えができ、臨終に立ち会っても静かな気持ちで送り出せます」
飼い猫がいつもと違う行動をとる。それがすべて死に直結するわけではないが、何かのサインかもしれない、ということを覚えておいた方がいいかもしれない。
-------------------------------------------抜粋以上
そういうことで、死ぬ前に飼主へ感謝をつたえる行動というのはネコ一般に見られることのようなのです。私はそのようなネコの行為を受けて、たしかに静かに死を覚悟することができました。それと同時にそのネコのことがしっかり脳に刻まれて、一生忘れられない思い出として残りました。では、ネコにとってはどういう意味があったのでしょうか?ほんとうに感謝の気持ちを伝えたかったのでしょうか?それによって、安心して死んでいくことができたのでしょうか?しかし、人間だけが他人の幸せを願う心を持つようになったなどとよく言われますが、心を持っているということに関しては動物と人間には連続性があるように思います。ネコに一般的に見られる行動だとすると、ネコの遺伝子が直接・間接的にそうさせているのでしょうか?いろいろとわからないことは残っています。
初めまして。
私もこの件についてはすごく気になっているので、記事を拝見させていただきました。
実体験に基づいた記事で、少し胸が締め付けられる思いで読ませていただきました。
コメントありがとうございます。ホームページも拝見させて頂きました。ネコが死ぬ前の行動についても把握されていたのですね。
動物の、ひいては人間にもつながる行動として興味深いのですが、自分事としてはやはり辛いですね。
思い起こせば、転勤で実家に戻って間もなく、愛犬は“失踪”したワケですが、その直前には“不自然”なくらい、私に“甘えてきた”ような気がします。〔いつまでも撫でて欲しがり、私の部屋まで抱っこして連れていくよう要求したり、体を擦り付けてきたり〕
ある時、異業種への転職で引っ越したばかりのマンションの部屋で寝ていた時など、夜中に足元の布団の裾に異様な重みを感じ飛び起きたコトもありますが、考えてみたら、ソコは亡き(!?)愛犬の“定位置”でもありました。不安な夜を過ごす私を案じ、生前と同じく、“添い寝”のため天界から降りてきてくれたんだと理解しています。
ソノ時以来、通勤に使う愛車のダッシュボードに亡き愛犬の写真を置き、ほぼ毎日、語りかけていますが、そのお蔭か!?グッスリと眠れるようになりました。
今でも、“魂”のレベルで繋がっているコトを実感しています。
“失踪”したということは、どこか知らない(我々の認識の及ばない)世界に行ってしまったという意味でしょうか?イヌもネコと同じような行動をとるいうことは、とても興味深く思いました。動物と人間の間の心の交流はシンパシーの回路でできているのではないかと最近思っています。
そして、天界の愛犬の感触を感じるということ、きっとある種の感覚の鋭敏な方にはできるのでしょうね。ちょっとうらやましいことです。
老猫で突然体調不良となり病院に連れて行った時には、検査すらできず手の施しようがありませんでした。ところが、数日後、なんと寝室まで歩いてきて、ずっと自分の顔を見つめながらゴロゴロと甘えてきて撫でてやったりして、よく覚えていませんが10分くらい見つめあっていたかもしれません。その後添い寝をしました。この時もしかしたら持ち直してくれるのでは・・と淡い期待がありましたが・・翌日から体調はさらに悪化し、残念ながら数日後に亡くなりました。あの時の愛猫の行為が不思議でしたが、仰る通り「人間的かつ崇高すぎる」という言葉がしっくりくると思いました。きっと、あの時最期の挨拶をしにきてくれたのだと思います。なんと律儀で健気なのか、思い出すと今でも泣けてきます。
実際に体験されたことを教えて頂けるととても助かります。ネコはどうしてこんなことができるのか、ずっと思案中です。私のライフワークになりそうです。
やっぱりいったん良くなったのですね。不思議ですね。そういう一つ一つの報告の共通点、相違点は興味深いです。