最近の脳科学の知見を見ていると、特定の機能に関わる脳内のいろんな部位が出てくる。聞いたことのないような名前が多い。幸福感にかかわるのは右楔前部、オスの子育てにかかわるのは内側視索前野中央部、といった具合である。それぞれ脳内のどこにあるのかを視覚的に確認したいから、脳の図鑑のようなものがほしいと思ってこの本を購入した。しかし、上に述べたような脳部位はこの本には載っていなかった。おそらく脳の解剖学の専門書などにあたったほうがそうした目的には向いているのかもしれない。
じゃあ、この本は役に立たないのかというとそんなことはない。現代の脳科学の知見が、とても見やすい図版や写真とともに広く浅く紹介されている。ひととおり読めば脳科学の基礎知識が得られるので、これからいろいろとマニアックに脳のことを勉強していくときに理解が早まるのではないかと思われる。
監修している池谷裕二氏は東大薬学部の教授であるが、写真で見ると童顔の若い先生だ。研究室のウェブサイトを見ると、すごい勢いで研究成果(論文)を出している。その傍らでこのような一般向けの本を何冊も出している売れっ子のようである。この先生、そうとう脳が活性化していると思われる。いったいどうしたらそんなふうになれるのだろうかというところに興味を持ってしまう。
さて本にもどるが、いろいろと興味深いことを知ることができた。例えば、昼間覚醒しているときと睡眠中では脳の活動している場所が違うらしい。睡眠中は、記憶に関わる海馬や感情に関わる偏桃体といった大脳辺縁系は覚醒しているものの、論理的な思考や判断を担う前頭前野は眠っている。そのため、海馬に保存されている記憶が無秩序に現れて、日常ではあり得ない荒唐無稽な夢を見るという。また、夢の中ではとてつもなく悲しかったり感情におぼれてしまうような感じになることがあるが、それは偏桃体の働きを前頭前野が制御できていないからだろうか。さらに、睡眠中は視覚野が働いていて心象をつくることができるが、空間処理にかかわる頭頂葉は活動しないので、シュールでへんてこりんな風景が夢に現れるのかもしれない。
自転車やスキーなど運動を覚えるとき、始めのうちは大脳で制御して手足を動かすが、その一連の動きのイメージを小脳がコピーすることで、考えなくても体が動くようになる。近年、小脳のこうした機能は、運動だけでなく思考においても発揮されることがわかってきた。1つの課題を考え続けていると、ある瞬間にそれに関する解決策がすらすらと浮かんでくることがある。こうした思考の高度化にも小脳が働く。同じように、大脳基底核の線条体も、運動の自動化と思考の高度化に働いている。
GDF11(Growth Differentiation Factor 11)というタンパク質を年老いたマウスの血中に注入すると、脳血管の量や神経幹細胞の数が増え、記憶力の向上、脳全体の血流の増加がもたらされるという実験結果が報告されている。脳の老化を止める方法になるのか、今後の研究が待たれている。
ヒトの脳が学習するとき、ある行動の結果から得られた満足度によって、次にどのような行動をとることが最適かを選ぶ。それを試行錯誤して繰り返すことで学んでいくことを「強化学習」という。このプロセスを組み込んだロボットが自ら学習を繰り返すうちに、うつ状態に似た行動をとるケースがあるという。その原因を調べることで、うつ病の人間の脳で何が起こっているのかを調べることにつながる可能性があるという。
一方、うつやうつ病薬の研究のために、うつ病モデルのネズミが使用される。しかし、著者によると、これは本当のうつ病ではないという。著者が計画している研究では、うつ病の患者の脳とネズミの脳をコンピューターでつなぐことで、本当のうつ病をネズミに発症させるというのである。
今は荒唐無稽に思える研究やアイデアでも10年後には実現してしまうかもしれない。そのくらい急速に脳科学が進展していることも、この本を読んで考えさせられた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます