手術から今日で2週間が経ったんだ~
でも、考えてみれば、まだ2週間しか経っていないんだよな。
それなのに、私はもう家のパソコンでこうやってキーボードが打てているし、普通の日常生活には支障がないくらいの生活ができている。
人間の回復力に感謝するし、健康の大切さ、家族や友達・同僚たちの励まし、心使いにどれほど心を癒せたか知れない。
この今の真摯な気持ちを忘れないためにも、やはりこの手術の顛末を残しておいたほうがいいと思い、書く事にした。
平成26年1月、新年早々腹痛の為、近くの病院を受診。MRI等の検査の結果、「卵巣が腫れているので、手術して取ったほうがいい」「悪性ではないと思うがわからない」と言われた。セカンドオピニオンと思い、子供を3人帝王切開で生んでいる北里病院に紹介状を書いてもらう。
平成26年1月23日、北里病院受診。大きな病院は検査を受けるのもままならず、CT検査は1/27、MRI検査は3/6になった。その間病気は進行しないのかと心配になったが、まあ、仕方がないことと開き直る。
幸いなことに、腹痛の方はあの新年早々以来全く感じないし、体の調子も悪くない。至って元気なのである。
2月6日、CT検査の結果が出たので、受診する。結局ははっきりわからないということらしい。後にもらったCT検査の結果には、「左卵巣腫瘍 MRIでの検査をお願いします。明らかな転移性病変は指摘できません」と書いてあった。お医者さんが、「転移はしてないけど、卵巣腫瘍の疑いはある。早く手術したほうがいい。」といったのはこういうことだったのかと思った。
3月13日、MRIの結果を聞きに受診。「左卵巣がんの疑い」という診断をもらう。
この日に、入院手続きをしてから帰る。でも、具体的な入院日は、執刀する先生の都合があるので、後日連絡と言われた。結果を言われても、身体には何の変化もなく、自覚症状とかも表れていないので、何か信じられない気持ちの方が大きかった。ここにも後日もらったMRI検査の結果を貼り付けておく。
入院の6日前の4月8日、携帯に入院日及び手術日の連絡が入る。それまでの約一ヶ月間、全く何の連絡がなかったので忘れられたのかしら?と心配になっていたりした。
でも職場は年度末・年度始めと忙しいところなので、その忙しさに紛れて病気のことはあまり考えないで済んだし、何度も言うようだけど、痛み等の自覚症状は全くなくて、あえて無理して手術をしなくてもいいのではないかとも、思い始めていた。
4月14日、入院。もうここでは開き直りの心境で、なるようになるしかないなと思っていた。
でも、この日病室に入って感じた印象は、みんな明るいということだ。私と同じような病気で入院している人たちなのに、自分の病気のことを赤裸々としゃべり、病気の情報交換をして、ワハハと笑っている。病気に負けていない人たちを間近に見て、自分の不甲斐なさを感じ、勇気を分けてもらえた感じがした。
4月15日、先生からの手術説明。やはり開腹しないと、はっきり分からないのは定説なようだ。手術には3段階あって、「良性」「境界悪性」「悪性」と。
その場で、病理検査にまわし、腫瘍部分の状態をチェックする。
良性なら子宮と右左卵巣、境界悪性ならそれらと大網、悪性ならそれらとリンパ節をとる等詳しい説明を受けた。もうどうあがいても、先生にお任せするしかない。まな板に乗った鯉の状態だ。信じよう。
4月17日、いよいよ手術当日。10時半手術着に着替え、歩いて手術室へ行く。
第8手術室だった。手術台へ「はい、ここに足をかけて、お尻から座って横になってね」という言葉まで覚えている。背中を丸めて麻酔針を入れた位までは覚えているが、その後は、全く意識がなく、次に気がついたのは夕方5時半頃だった。私の感覚としては、あっという間の7時間だった。
主人は、ロビーでずーと待っていて、終わってから先生の説明を聞いた。思いのほか時間がかかったのは、帝王切開をしたので、腸や膀胱が癒着していて、それをはがすのに時間がかかったことと、腫瘍は良性で、卵巣が腫れていたのではなく、子宮の腫瘍が卵巣の裏に張り付いていたこと等を話したそうだ。最悪の結果はまぬがれ、ひとまずほっとした。
私は主人に「その説明の時に私の手術で切り取った患部を写しておいて。」とお願いしていた。病室の人が、「もう使うことはないけど、今まで私の子孫を残すために頑張ってくれたから、感謝しなきゃ」という言葉に、甚く感動したので、私も写真に収めておこうと思ったのだ。
手術後3日間は非常に痛くて苦しかった。次の日からトイレは自分で行かされた。ストレッチャーを杖がわりにして、夜中には2時間ごとにトイレに行っていた。点滴をしているからトイレの量も回数が多いのだ。19日は何と18回、4550mlも出している。なんで分かるのかというと、記録するように指示されたから。でもこうやって歩こことが一番身体の回復にはいいそうで、3日後には日一日と良くなっていくのがわかった。
4月25日、退院。おかげさまで、順調に回復して12日間の入院生活が終了。
元の生活に戻るのは、やっぱり1ヶ月はかかるし、スポーツや本格的な仕事復帰には2ヶ月後ですねと退院指導で言われた。それをよく守って、無理しないでいこう。
こういう経験をして、まず感じたことは健康の大切さである。健康に産んでくれた親に感謝、健康な元気な気持ちを持ち続けられるように支えてくれた家族や周りの人たちに感謝である。
でも、考えてみれば、まだ2週間しか経っていないんだよな。
それなのに、私はもう家のパソコンでこうやってキーボードが打てているし、普通の日常生活には支障がないくらいの生活ができている。
人間の回復力に感謝するし、健康の大切さ、家族や友達・同僚たちの励まし、心使いにどれほど心を癒せたか知れない。
この今の真摯な気持ちを忘れないためにも、やはりこの手術の顛末を残しておいたほうがいいと思い、書く事にした。
平成26年1月、新年早々腹痛の為、近くの病院を受診。MRI等の検査の結果、「卵巣が腫れているので、手術して取ったほうがいい」「悪性ではないと思うがわからない」と言われた。セカンドオピニオンと思い、子供を3人帝王切開で生んでいる北里病院に紹介状を書いてもらう。
平成26年1月23日、北里病院受診。大きな病院は検査を受けるのもままならず、CT検査は1/27、MRI検査は3/6になった。その間病気は進行しないのかと心配になったが、まあ、仕方がないことと開き直る。
幸いなことに、腹痛の方はあの新年早々以来全く感じないし、体の調子も悪くない。至って元気なのである。
2月6日、CT検査の結果が出たので、受診する。結局ははっきりわからないということらしい。後にもらったCT検査の結果には、「左卵巣腫瘍 MRIでの検査をお願いします。明らかな転移性病変は指摘できません」と書いてあった。お医者さんが、「転移はしてないけど、卵巣腫瘍の疑いはある。早く手術したほうがいい。」といったのはこういうことだったのかと思った。
3月13日、MRIの結果を聞きに受診。「左卵巣がんの疑い」という診断をもらう。
この日に、入院手続きをしてから帰る。でも、具体的な入院日は、執刀する先生の都合があるので、後日連絡と言われた。結果を言われても、身体には何の変化もなく、自覚症状とかも表れていないので、何か信じられない気持ちの方が大きかった。ここにも後日もらったMRI検査の結果を貼り付けておく。
入院の6日前の4月8日、携帯に入院日及び手術日の連絡が入る。それまでの約一ヶ月間、全く何の連絡がなかったので忘れられたのかしら?と心配になっていたりした。
でも職場は年度末・年度始めと忙しいところなので、その忙しさに紛れて病気のことはあまり考えないで済んだし、何度も言うようだけど、痛み等の自覚症状は全くなくて、あえて無理して手術をしなくてもいいのではないかとも、思い始めていた。
4月14日、入院。もうここでは開き直りの心境で、なるようになるしかないなと思っていた。
でも、この日病室に入って感じた印象は、みんな明るいということだ。私と同じような病気で入院している人たちなのに、自分の病気のことを赤裸々としゃべり、病気の情報交換をして、ワハハと笑っている。病気に負けていない人たちを間近に見て、自分の不甲斐なさを感じ、勇気を分けてもらえた感じがした。
4月15日、先生からの手術説明。やはり開腹しないと、はっきり分からないのは定説なようだ。手術には3段階あって、「良性」「境界悪性」「悪性」と。
その場で、病理検査にまわし、腫瘍部分の状態をチェックする。
良性なら子宮と右左卵巣、境界悪性ならそれらと大網、悪性ならそれらとリンパ節をとる等詳しい説明を受けた。もうどうあがいても、先生にお任せするしかない。まな板に乗った鯉の状態だ。信じよう。
4月17日、いよいよ手術当日。10時半手術着に着替え、歩いて手術室へ行く。
第8手術室だった。手術台へ「はい、ここに足をかけて、お尻から座って横になってね」という言葉まで覚えている。背中を丸めて麻酔針を入れた位までは覚えているが、その後は、全く意識がなく、次に気がついたのは夕方5時半頃だった。私の感覚としては、あっという間の7時間だった。
主人は、ロビーでずーと待っていて、終わってから先生の説明を聞いた。思いのほか時間がかかったのは、帝王切開をしたので、腸や膀胱が癒着していて、それをはがすのに時間がかかったことと、腫瘍は良性で、卵巣が腫れていたのではなく、子宮の腫瘍が卵巣の裏に張り付いていたこと等を話したそうだ。最悪の結果はまぬがれ、ひとまずほっとした。
私は主人に「その説明の時に私の手術で切り取った患部を写しておいて。」とお願いしていた。病室の人が、「もう使うことはないけど、今まで私の子孫を残すために頑張ってくれたから、感謝しなきゃ」という言葉に、甚く感動したので、私も写真に収めておこうと思ったのだ。
手術後3日間は非常に痛くて苦しかった。次の日からトイレは自分で行かされた。ストレッチャーを杖がわりにして、夜中には2時間ごとにトイレに行っていた。点滴をしているからトイレの量も回数が多いのだ。19日は何と18回、4550mlも出している。なんで分かるのかというと、記録するように指示されたから。でもこうやって歩こことが一番身体の回復にはいいそうで、3日後には日一日と良くなっていくのがわかった。
4月25日、退院。おかげさまで、順調に回復して12日間の入院生活が終了。
元の生活に戻るのは、やっぱり1ヶ月はかかるし、スポーツや本格的な仕事復帰には2ヶ月後ですねと退院指導で言われた。それをよく守って、無理しないでいこう。
こういう経験をして、まず感じたことは健康の大切さである。健康に産んでくれた親に感謝、健康な元気な気持ちを持ち続けられるように支えてくれた家族や周りの人たちに感謝である。
ゆっくり休んで早く元気になってね。
ブログを拝見し、たくましく、しなやかに生きる
大和田先生の生き様に感動しました。
健康第一。
家族にも感謝です。