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天国の《チャコ》に会いたくて泣いてばかりいた《チャコぼす》と柴犬《あい》は奇跡の出会い!

チャコが決めた道

2008-03-17 | チャコ 闘病記
チャコが動かなくなって丸1日が過ぎて・・

やっと実感が湧いてきて、悲しみが深くなっているような
そんな気がします。

いつもいるはずの場所にチャコがいない・・・

そろそろなのかも・・って覚悟をしていたけど
本当に居ないのは、こんなにも・・・



今回の事は、チャコが自分で決めた事だと思います。

チャコは、北大にはどうしても行きたくなかったんです。

前回行った時、知らない人に囲まれて、超音波エコーと細胞診をして
普通は細胞診は痛くて暴れるのに、チャコは怖くて声も出なかった・・・

そして今度はチャコがほとんど未経験の『お泊り』。


3月になって、チャコは注射や皮下点滴をしていたけど
それですごく元気になっていたから
開腹検査手術を決めて、北大の先生に電話をしました。

でもその夜からです。
チャコの食欲は落ちてきて
翌日はもう朝から何も食べなくなってしまいました。
もう点滴の効果も出ず、体調が悪くなる一方・・・。

これはもう手術は無理と判断した私は
確か、先週半ば過ぎの13日頃、チャコに
『お泊りはやめようね。検査するなんて言ってごめんね!』と話しました。

でも、体調は悪化の一途を辿りとうとう最期の日を迎えてしまいました。


前夜は、私がブログを書いている間は、ぐっすり眠っていたけど
私が寝る頃になって、チャコのお目目はぱっちりでした。
チャコの呼吸が少し荒いような気がしたので
しばらく撫でていたけど、もう寝ようよって言って
強引に電気を消して寝たのがAM1:15分頃でした。

3月16日は、早朝5時少し前にチャコが水を飲む音で
目が覚めました。
ふと見ると、チャコが普通に立って水を飲んでいたので
安心してまた目を閉じたら、「ゴト」という変な音がしたので
起きて見ると、チャコが座ったまま水を飲んでいました。

どうしたの?と声をかけて、水入れの容器を見ると
もうほとんど水がありませんでした。
こんな事は初めてです。
あんなにたっぷり入れておいたのに。

でもこんなに水を飲むけど、おしっこが全然出ないのが
気になってました。

水を取りに行って戻ると、チャコは私のベッドマットに
くっ付くように平行に横になっていたので
チャコにベッドで一緒に寝ようと言って抱き上げました。

私が寝ようとした時、チャコの呼吸が荒いままなのが気になりました。
でもすぐに収まるだろうと寝ていたけど、チャコの呼吸はずっと荒くて
今思えば、チャコは一晩中ほとんど寝られずにいたのでしょう。
そして一晩中、水を飲み続けたのだと思います。

いつもの病院は日曜は休診なのですが、ステロイドは急にはやめられないので
飲み薬が処方されていて
でももし飲めないようなら電話をするように言われていました。

チャコは昨夜はサンマを美味しそうに食べたけど
今朝は、何も受けつけない様子だったので
9時に電話してから、すぐに病院に行きました。

チャコはいつもなら途中で何回か立ち上がって
景色で行き先を確認するけど、この日は一度だけ
立ち上がっただけでした。

病院に着くと、助手席で丸くなっているだけで
立ちあがる事さえ、しませんでした。

いつもと同じ注射をしてもらって、すぐに帰ってきました。

ただ、いつもは注射針を刺すとピクンと反応するのが
この日は反応が全くなく・・・

でも、出口に向うチャコの足取りは力強く
久しぶりにリードをグイグイ引っ張っていたので
ちょっと嬉しくなったのを覚えています。


お昼には、ぬるま湯で解いた栄養剤を食べさせるように言われていて
全然舐めなかったので、シリンジで飲ませました。

この日のチャコは、なぜかトイレに行きたいと何度も外に出ました。
最初だけは、なんとかふんばれましたが
うんたんは出ず、すぐに雪の上に力が抜けて
座りこんでしまいました。

そのあとも何回も、雪がある所まで辿りつくものの
雪の上で崩れ落ちるように座り込んでしまうか
途中で座りこんでしまうか、でした。
雪の上は冷たいので、マットを敷いてしばらくそこに座らせておいて
様子を見て、抱きかかえて家の中に入る、というのを
何度も繰り返しました。

あまりにも外に行きたがるので
2Fに行けば、階段を降りるのも大変だから
もうあんまり外に行くと言わなくなるかと思ったし
ベッドに寝かせたら、寝るんじゃないかと思って
2Fに連れていきました。

チャコをベッドに寝かせたけど、寝る気配はないので
ずっとチャコを撫でていました。

撫でながら私は笑顔でチャコに
『こんなに頑張って、チャったんは偉いね~』と
何度も、何度も言いました。

その時のチャコは『何が?』というような顔をしていました。
『当たり前でしょ』って言う感じだったかな。


すると少し落ち着いた感じだったので
チャコの横で、明日の北大に行く用意をしました。
『これ明日持っていこうね~』とか言いながら・・・

それから少しして、チャコは相変わらずフラフラなのに
歩き回って、今度は私のベッドに上がりました。

なかなか落ち着く場所が見つからないようで
何度も位置をかえて、しっくりする場所を探していたのですが・・・

動きすぎたのか、嘔吐してしまいました。

そばに私がいたので、布団を汚す事はなかったのですが
チャコはいつもの場所じゃない所で、吐いてしまったので
罰悪そうな表情をしていたけど
私は、大丈夫だよと何度も優しく言って聞かせました。

その後、どれぐらいしてか覚えてませんが
チャコの呼吸がいつもよりも荒くなっているのに気付きました・・・

私は、チャコの呼吸に異常を感じ
今晩は眠れないかもしれない、そして朝まで持つか・・
不安がつのりましたが
もう近所の動物病院では手に負えない状態だと
気付いていたので、あと1日、今晩頑張ったら
明日は北大ですぐに高度な治療を開始してもらえると
思っていて、チャコに

『もう少し頑張って!明日は北大だからね!
そしたらすぐに治療してもらおうね!』と
言ってしまいました。

チャコは北大に行きたくなかったのに・・・


それでもチャコはまたよろよろしながらも
何度も立ち上がって、トレイに行こうと頑張ってました。

チャコは吐く時はいつも、ドアの前の所で吐いていたので
2~3日前からそこにトイレシーツを敷いて
『ちっこもうんたんも、ここでして良いんだよ!』と
私は何度も大きな声で言いましたが
チャコはトイレはお外が鉄則だったようです・・・

でも、このチャコが感じていた『トイレ』はトイレじゃなかったんです。
実はチャコはお腹に水が溜まってしまっていて
それでお腹に違和感があって
うんたんをしたら、楽になると思っていたようでした・・。

もうフラフラなのに、何度も何度も立ち上がろうとするチャコに
ももうお願いだからやめて!
今は無理だって!といくら言っても
チャコは頑張って頑張って
最期まで頑張って立ち上がろうとして・・・


頑張りすぎたみたいです・・・

チャコは誰に似たんだか、頑固者だから・・・


チャコがこんなに頑張り屋さんだなんて
知りませんでした。

な~んだ、やればできるじゃん!

まぁ、根性が入っているのは知っていたけどね。


そして
とうとうその時がやってきてしまいました・・


チャコの呼吸が止まり、近所の病院に駆け込んだけど
実はこれはとてもラッキーでした。

ここは日曜は予約診療だけなので、その場で電話をしても
すぐには通じないはずなのに
たまたま予約が入っていたので、すぐに電話に出てもらえたんです。

ウチには車を運転できるのは私しかいません。
さっき、明日の北大に行く用意をしておいたバッグを
姉に持ってきてもらって
チャコを抱きかかえ車に乗り
住宅街の中を60キロぐらい出して、病院に向かいました。

心臓はドキドキ・・・
涙で前はよく見えません・・・
アクセルを踏む足は、ブルブルと震えていました。


病院に着くと、先生が入り口で到着を待っていてくれて
すぐに処置が始まりました。


チャコの呼吸が止まって、私は・・・・ただパニックでした。
チャコを抱きかかえたまま、オロオロと叫んでいました。



病院の処置室で、先生が心臓マッサージをしているのを見て
初めて、気付きました。

私も人間のだけど、心臓マッサージができる事を。

気管挿管、先生と交代で心臓マッサージを続けましたが
反応はありません。

とうとう最後の手段、直接心臓に薬を注射する事になりました。

その時点で、望みが薄い事は察知しましたが
できる事は全部お願いしました。


でも・・・
やっぱり・・・
チャコの心臓は二度と自力で動く事は
ありませんでした。



今日、診察予定だった北大の先生に電話で報告しましたが
先生によると、チャコは『腸管型リンパ腫』の可能性が
一番高いそうです。

リンパ腫の中でも腸管型は、もっとも悪性度が高く
抗がん剤の効き目もあまり効果の出ない種類の腫瘍だと
ネットで色々調べた時に読んだ事がありました。

そして専門医が予想もできない驚く程の速さで
チャコの腫瘍は進行して行ったみたいです。

チャコの急変に、北大の受付けの人も先生も
絶句していました。

結果論になりますが
もし先週の時点で、すぐに抗がん剤を始めても
そんなに好転はしなかったかもしれないです。

そしてもし開腹検査をしていたら・・・
もっと深刻な状況に陥っていた可能性があります。


だから、やっぱりこれが一番良い選択だったんです

これはチャコは望んだ事だったんです。


チャコはおウチが大好きでした。

だから、もうどこへも行きたくなかったんです。

近所の病院さえ、行きたくなかったんです。

たとえそれが命との引き換えであっても。









チャコの火葬は、18日の13時になりました。