公私共に感じていることがある。
何かで自分が担当になった時に、頑張って改革をしようとする人達がいる。偉いとは思うが、次の人が続けられるなくて、どこかに丸投げなんてことになってしまったりする。
そんなのを見ると、改革した意味があるのあろうかと思ってしまう。その時は、大義名分がまかり通ってしまうが、一時的な独りよがりで終わってしまっているような気がする。
「私は頑張って、いろいろやりました。凄いでしょ。」と、言っているだけのように思う。
これが度を越すと、基礎を作った人や共に頑張った仲間を排除していこうとする。
そんなことに参加しない人達は、上手く取り繕って楽な船に乗り換えていく。
競争社会の弊害が現れてしまう。
なんか、今の日本の不安の原点なのかなと思ってしまう。
「皆で頑張って競争に参加して、次へとつないで行きましょう!」では、いけないのだろうか?
足の引っ張りあいって、疲れませんか?
何かで自分が担当になった時に、頑張って改革をしようとする人達がいる。偉いとは思うが、次の人が続けられるなくて、どこかに丸投げなんてことになってしまったりする。
そんなのを見ると、改革した意味があるのあろうかと思ってしまう。その時は、大義名分がまかり通ってしまうが、一時的な独りよがりで終わってしまっているような気がする。
「私は頑張って、いろいろやりました。凄いでしょ。」と、言っているだけのように思う。
これが度を越すと、基礎を作った人や共に頑張った仲間を排除していこうとする。
そんなことに参加しない人達は、上手く取り繕って楽な船に乗り換えていく。
競争社会の弊害が現れてしまう。
なんか、今の日本の不安の原点なのかなと思ってしまう。
「皆で頑張って競争に参加して、次へとつないで行きましょう!」では、いけないのだろうか?
足の引っ張りあいって、疲れませんか?
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