映画「ドッグ・マン」を映画館で観てきました。
イタリア映画「ドッグ・マン」はカンヌ映画祭主演男優賞を受賞した作品である。白黒の犬をてなづける宣伝ポスターが印象的だが、内容は見れば見るほどきつい題材だ。一言でいうと「いじめられっ子の逆襲」というべきか。単純そうで根深いものがある。プロフィルを見ると、主人公を演じるむしろセミプロというべきキャリアのマルチェロ・フォンテは確かに好演、本当に犬好きだね。ドラえもんの「ジャイアン」のようないじめっ子も役に徹してイヤな奴を演じている。
それにしてもナポリ郊外というこの町は寂れている。いじめっ子もいじめられっ子も頭が弱い。
頭が弱いどうし何でこんな関係続けているんだと思ってしまう。イタリア版下層社会の話ということなのであろうか。
イタリアのさびれた海辺の町で、マルチェロ(マルチェロ・フォンテ)は「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを営んでいる。妻とは別れて独り身だが、最愛の娘とも頻繁に会い地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しんでいた。
だが、一つだけ気掛かりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)に暴力でおどされ、犯罪の片棒を担がされていた。小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ちかけられた話を断りきれずにいたマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。マルチェロは考えた末に、驚くべき計画を立てる。
1.いじめられっ子 マルチェロ
廃墟のような建物の一角で、犬のトリミングサロンを経営している。性格は温厚で、犬を通じて地域社会に溶け込んでいる。妻とは別れたが、娘とは仲がいい。旅行の計画を2人で立てている。腐れ縁の友人シモーネが、泥棒に入るときに運転手役をむりやりさせられている。
シモーネが泥棒に入った家には、まさに警備員のようにプードル犬がいた。シモーネはうるさいのでむりやり犬を冷蔵庫に押し込んでその場を去っている。その話を聞いて犬がかわいそうだと思ったマルチェロはもう一度その家に忍び込んで、冷蔵庫から犬を取り出して水につけて解凍する。ともかく商売を超えて犬が好きなやさしい男だ。
2.いじめっ子 シモーネ
小柄なマルチェロとは対照的に大柄で、腕っぷしも強い。まさにドラえもんのジャイアンのイタリア版だ。ゲームセンターのスロットで遊んでいて、300ユーロやられる。頭にきて叩いてマシンを壊す。弁償させようと店主は怒るが、逆上され怖くなった店主は逆に300ユーロをシモーネに支払う。泥棒に入って金品を盗むことはしょっちゅうである。町の人から厄介者だと思われている。あるときマルチェロを脅迫して犯罪を起こす。警察もシモーネの仕業と思い込んでそれをマルチェロに認めろというが、マルチェロが承認のサインをしない。結局マルチェロに犯罪の責任を押し付ける。
3.反発
マルチェロが警察に行っても仲間をかばうこと自体は、マルチェロ本人が刑務所でのお勤めをすることを意味する。長いお勤めを終えて地元へ帰ってきてもシモーネは感謝すらしない。マルチェロは改めて分け前をくれというが、そんなものはないとシモーネに言われる。さすがに腹が立ち、シモーネのバイクをぶち壊そうとするが、その倍付で半殺しに痛めつけられるのだ。それでもマルチェロは自分が悪かったと言って、いいヤクを手に入れる方法があると相談を持ち掛けていくのであるが。。。(あとはこの映画のヤマ場)
4.いじめの構造
いじめを映画を見ると、誰しもが自分にあった記憶を思い出すであろう。自分もそうだ。一度あったいじめから抜け出すのはむずかしい。時間がかかる。相手か自分のどちらかがその場を離れることが必要である。この二人は腐れ縁で、子供のころから同じような関係だったに違いない。ずっと同じエリアにいるとなると、その上下関係は下手すると一生変わらないかもしれない。どこにも身体だけ大きくて腕っぷしの強いジャイアンのような奴っているもんだ。これだけは万国共通だ。
ただ、いじめをやった方は気楽に考えているし、すぐ自分のやったことを忘れるけど、やられた方の恨みは一生残る。それが爆発するとどうなるのか?というのがこの映画のポイント。
この映画の最終に向けての動きを見て、スカッとした人もいるかもしれない。
そんなことを考えていた。
イタリア映画「ドッグ・マン」はカンヌ映画祭主演男優賞を受賞した作品である。白黒の犬をてなづける宣伝ポスターが印象的だが、内容は見れば見るほどきつい題材だ。一言でいうと「いじめられっ子の逆襲」というべきか。単純そうで根深いものがある。プロフィルを見ると、主人公を演じるむしろセミプロというべきキャリアのマルチェロ・フォンテは確かに好演、本当に犬好きだね。ドラえもんの「ジャイアン」のようないじめっ子も役に徹してイヤな奴を演じている。
それにしてもナポリ郊外というこの町は寂れている。いじめっ子もいじめられっ子も頭が弱い。
頭が弱いどうし何でこんな関係続けているんだと思ってしまう。イタリア版下層社会の話ということなのであろうか。
イタリアのさびれた海辺の町で、マルチェロ(マルチェロ・フォンテ)は「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを営んでいる。妻とは別れて独り身だが、最愛の娘とも頻繁に会い地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しんでいた。
だが、一つだけ気掛かりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)に暴力でおどされ、犯罪の片棒を担がされていた。小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ちかけられた話を断りきれずにいたマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。マルチェロは考えた末に、驚くべき計画を立てる。
1.いじめられっ子 マルチェロ
廃墟のような建物の一角で、犬のトリミングサロンを経営している。性格は温厚で、犬を通じて地域社会に溶け込んでいる。妻とは別れたが、娘とは仲がいい。旅行の計画を2人で立てている。腐れ縁の友人シモーネが、泥棒に入るときに運転手役をむりやりさせられている。
シモーネが泥棒に入った家には、まさに警備員のようにプードル犬がいた。シモーネはうるさいのでむりやり犬を冷蔵庫に押し込んでその場を去っている。その話を聞いて犬がかわいそうだと思ったマルチェロはもう一度その家に忍び込んで、冷蔵庫から犬を取り出して水につけて解凍する。ともかく商売を超えて犬が好きなやさしい男だ。
2.いじめっ子 シモーネ
小柄なマルチェロとは対照的に大柄で、腕っぷしも強い。まさにドラえもんのジャイアンのイタリア版だ。ゲームセンターのスロットで遊んでいて、300ユーロやられる。頭にきて叩いてマシンを壊す。弁償させようと店主は怒るが、逆上され怖くなった店主は逆に300ユーロをシモーネに支払う。泥棒に入って金品を盗むことはしょっちゅうである。町の人から厄介者だと思われている。あるときマルチェロを脅迫して犯罪を起こす。警察もシモーネの仕業と思い込んでそれをマルチェロに認めろというが、マルチェロが承認のサインをしない。結局マルチェロに犯罪の責任を押し付ける。
3.反発
マルチェロが警察に行っても仲間をかばうこと自体は、マルチェロ本人が刑務所でのお勤めをすることを意味する。長いお勤めを終えて地元へ帰ってきてもシモーネは感謝すらしない。マルチェロは改めて分け前をくれというが、そんなものはないとシモーネに言われる。さすがに腹が立ち、シモーネのバイクをぶち壊そうとするが、その倍付で半殺しに痛めつけられるのだ。それでもマルチェロは自分が悪かったと言って、いいヤクを手に入れる方法があると相談を持ち掛けていくのであるが。。。(あとはこの映画のヤマ場)
4.いじめの構造
いじめを映画を見ると、誰しもが自分にあった記憶を思い出すであろう。自分もそうだ。一度あったいじめから抜け出すのはむずかしい。時間がかかる。相手か自分のどちらかがその場を離れることが必要である。この二人は腐れ縁で、子供のころから同じような関係だったに違いない。ずっと同じエリアにいるとなると、その上下関係は下手すると一生変わらないかもしれない。どこにも身体だけ大きくて腕っぷしの強いジャイアンのような奴っているもんだ。これだけは万国共通だ。
ただ、いじめをやった方は気楽に考えているし、すぐ自分のやったことを忘れるけど、やられた方の恨みは一生残る。それが爆発するとどうなるのか?というのがこの映画のポイント。
この映画の最終に向けての動きを見て、スカッとした人もいるかもしれない。
そんなことを考えていた。